倉又寿雄(FC東京U-18)高校サッカー名将列伝
目次
1. 監督総評
倉又寿雄は、FC東京の育成組織において「自立した選手」を育てる指導理念を確立し、U-18チームを率いて数々の全国タイトルを獲得したユース年代屈指の名将である。
現役引退後に東京ガスFCやFC東京のトップチームコーチ、サテライト監督、2006年のトップチーム監督などを歴任。2006年にU-18監督としてクラブユース選手権全国3位へ導き、2007年より本格就任すると激しい球際の攻防と攻守の切り替え、ボールを大切に主導権を握るアグレッシブなスタイルを構築した。2007年のJユースサハラカップで全国初制覇を果たすと、翌2008年には第32回日本クラブユース選手権で優勝を達成。さらに2009年には第20回高円宮杯全日本ユース選手権とJユースサンスタートニックカップの双方を制して「全国2冠」の偉業を成し遂げた。また、強豪ひしめくプリンスリーグ関東では2008年から2010年にかけて前人未到の3連覇を飾るなど、黄金時代を築き上げた。
指導した教え子からは、武藤嘉紀、三田啓貴、橋本拳人、重松健太郎、阿部巧、平出涼、廣木雄磨など、日本代表やJリーグの舞台で躍動するタレントを多数輩出。高校・クラブの枠を超えて大学サッカー界(日本体育大学、立教大学)でも手腕を発揮し続ける名指導者である。
2. 基本情報
- 氏名:倉又 寿雄(くらまた ひさお)
- 生年月日:1958年(昭和33年)12月1日
- 出身地:埼玉県
- 出身校:武南高等学校 → 日本体育大学
- 指導チーム:NKK、東京ガスFC、FC東京(トップチーム・サテライト・U-18)、日本体育大学学友会サッカー部、立教大学体育会サッカー部
- 役職:元・FC東京U-18 監督、元・FC東京 監督、元・日本体育大学サッカー部 監督、現・立教大学サッカー部 総監督、JFA公認S級コーチ
3. 指導歴
- 1993年:NKK コーチ
- 1994年 – 1999年:東京ガスFC コーチ
- 2000年 – 2005年:FC東京 コーチ(サテライト監督兼任など)
- 2006年1月 – 2006年8月:FC東京U-18 監督
- 2006年8月 – 2006年12月:FC東京 監督(トップチーム)
- 2007年 – 2011年:FC東京U-18 監督(2007年育成担当部長兼任)
- 2012年:FC東京 育成部 部長
- 2013年 – 2014年:日本体育大学学友会サッカー部 監督
- 2015年 – 2017年:立教大学体育会サッカー部 監督
- 2018年 – :立教大学体育会サッカー部 総監督
4. 大会の戦績
日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会
監督通算主な戦績(優勝1回、ベスト4 1回、ベスト8 2回)
| 年度 | チーム名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 2006年 | FC東京U-18 | 第30回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会(監督1回目) | ベスト4(3位) | 予選リーグ全勝突破、準々決勝でジェフ千葉U-18に3-2勝利、準決勝でG大阪ユースに1-2惜敗し全国3位。大会直後にトップチーム監督就任 |
| 2007年 | FC東京U-18 | 第31回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会(監督2回目) | グループリーグ敗退 | U-18監督復帰1年目。全国大会グループステージ参戦 |
| 2008年 | FC東京U-18 | 第32回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会(監督3回目) | 優勝 | 7年ぶり2回目の全国制覇。決勝で柏レイソルU-18を1-0で破り優勝。大会MVPに三田啓貴 |
| 2009年 | FC東京U-18 | 第33回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会(監督4回目) | ベスト8 | 前年王者の重圧を背負い準々決勝進出 |
| 2010年 | FC東京U-18 | 第34回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会(監督5回目) | ベスト8 | 全国8強進出 |
| 2011年 | FC東京U-18 | 第35回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会(監督6回目) | ベスト16 | 決勝トーナメント1回戦敗退 |
高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会 / 高円宮杯U-18プレミアリーグ
監督通算主な戦績(優勝1回、ベスト8 2回)
| 年度 | チーム名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 2006年 | FC東京U-18 | 第17回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会 関東予選 | 予選突破 | ※全国大会時はトップチーム監督専任 |
| 2007年 | FC東京U-18 | 第18回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会(監督1回目) | グループリーグ敗退 | 全国大会グループステージ参戦 |
| 2008年 | FC東京U-18 | 第19回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会(監督2回目) | ベスト8 | プリンスリーグ関東優勝枠で全国出場。準々決勝で名古屋グランパスU-18に敗退 |
| 2009年 | FC東京U-18 | 第20回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会(監督3回目) | 優勝 | 大会初制覇。決勝でサンフレッチェ広島ユースを2-0で下し全国の頂点に立つ |
| 2010年 | FC東京U-18 | 第21回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会(監督4回目) | ベスト8 | 準々決勝でサンフレッチェ広島ユースに1-2惜敗 |
| 2011年 | FC東京U-18 | 高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグEAST | 5位 | 新設された全国最高峰プレミアリーグEASTで年間通じて戦い抜く |
Jユースカップ(Jリーグユース選手権大会)
監督通算主な戦績(優勝2回、準優勝1回、ベスト4 1回)
| 年度 | チーム名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 2006年 | FC東京U-18 | 第14回Jリーグユース選手権大会 | 予選敗退 | ※秋季大会時はトップチーム監督専任のため予選時に関与 |
| 2007年 | FC東京U-18 | 第15回Jリーグユース選手権大会(監督1回目) | 優勝 | Jユースカップ初制覇。決勝で柏レイソルU-18を2-1で下し初優勝 |
| 2008年 | FC東京U-18 | 第16回Jリーグユース選手権大会(監督2回目) | ベスト4(3位) | 準々決勝で横浜FMユースを破り進出。準決勝でセレッソ大阪U-18に2-3惜敗 |
| 2009年 | FC東京U-18 | 第17回Jリーグユース選手権大会(監督3回目) | 優勝 | 決勝でサンフレッチェ広島ユースを2-0で下し2年ぶり優勝。全日本ユースとの「全国2冠」達成 |
| 2010年 | FC東京U-18 | 第18回Jリーグユース選手権大会(監督4回目) | 準優勝 | 決勝進出。決勝で横浜F・マリノスユースに延長3-4惜敗、全国準優勝 |
| 2011年 | FC東京U-18 | 第19回Jリーグユース選手権大会(監督5回目) | ベスト8 | 準々決勝敗退 |
プリンスリーグ関東(U-18)
監督在任期間におけるリーグ戦推移(優勝3回・3連覇)
| 年度 | チーム名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 2007年 | FC東京U-18 | JFAプリンスリーグU-18関東 | 4位 | 全日本ユース出場枠を獲得 |
| 2008年 | FC東京U-18 | JFAプリンスリーグU-18関東 1部 | 優勝 | 強豪ひしめく関東1部リーグ初制覇 |
| 2009年 | FC東京U-18 | JFAプリンスリーグU-18関東 1部 | 優勝 | 2年連続優勝(連覇達成) |
| 2010年 | FC東京U-18 | JFAプリンスリーグU-18関東 1部 | 優勝 | 前人未到の大会3連覇を達成。翌年度からのプレミアリーグ創設参入権を獲得 |
5. 選手経歴・選手総評
選手総評
倉又寿雄の選手としてのキャリアは、高校サッカーの名門・武南高校から日本体育大学、そして日本サッカーリーグ(JSL)の強豪・日本鋼管(NKK)へと進み、右サイドバックとして攻守に走り抜いた10年余りにあった。
高校時代は埼玉の名門・武南高校サッカー部で厳しい鍛錬を積み、的確なポジショニングと粘り強い対人守備を確立。日本体育大学進学後はサッカー部主将を務め、卓越したキャプテンシーと戦術眼でチームを牽引した。1981年に実業団の日本鋼管(NKK)へ入部すると、長年にわたり右サイドバックのレギュラーとして君臨。1982年には日本代表にも招集されるなど、JSL1部通算175試合に出場して3得点をマークした。日本リーグ黄金期の激しいプレッシャーとハイレベルな駆け引きをピッチの最前線で体感した。
1992年に現役を引退。実業団トップリーグで培った「戦術的な規律」「ハードワークの精神」「攻守両面におけるサイドバックの重要性」は、指導者に転身した後の強烈な原動力となった。ピッチ上で自らが体現したインテンシティと基本技術の徹底は、のちにFC東京U-18において多くの日本代表選手やプロ選手を輩出する指導理論の確固たる礎となった。
選手経歴
- 高校時代:武南高等学校 サッカー部
- 大学時代:日本体育大学 サッカー部
- 社会人時代:
- 1981年 – 1992年:日本鋼管サッカー部/NKKサッカー部(JSL1部通算175試合出場3得点)




















