「浦和東は絶対に強くなくてはいけない。公立の雄でなければ」。浦和東高サッカー部の野崎正治監督(53)が31日、24年間指導したグラウンドでまな弟子たちに最後の言葉を送った。無名だった同校を県内有数の名門に築き上げ、日本代表GK川島永嗣ら多くのプロサッカー選手を育てた。1日付で母校の浦和南高へ赴任となり、「プレッシャーはあるが、古豪復活へ頑張りたい」と新天地での活躍を誓った。
「本当に明日からいなくなるのかな」と胸が熱くなった。「寂しいな」「こいつら、かわいいな」。泥だらけで練習に取り組む選手を見守り、次々と惜別の思いが込み上げた。「こんなはずじゃ…。おかしいな」と自身の感情に驚き、目には涙がにじんだ。
30歳で浦和東高に赴任。就任当初は部員約20人ほどのチームだった。練習環境も整っておらず、まさにゼロからのスタート。自費でヘディング練習用のポールを立てたり、手作業でグラウンドを整備したりと腐心した。「みんなに愛されるチームに」と雪が降れば、選手たちと積極的に雪かき。「強いだけでは駄目」と人間力も磨いた。
「全国大会出場」を目標に掲げ、当時の選手には無謀と思われ「びっくりされた」と振り返る。だが信念は揺るがず、就任7年目で全国高校選手権出場を果たした。「あっという間」という24年間で5度出場。部員は約200人に膨れ上がった。日本代表の川島をはじめ、これまでプロ選手9人も輩出した。
「選手に恵まれた。特長を伸ばし、それを組み合わせてチームづくりした。個人によって違うから性格と人を見ながら指導した」
30日夜、川島から「(浦和東から)出ちゃうんですか」と電話があったそうだ。同校OBでJ1大宮の元選手の塚本泰史アンバサダー(大使)も驚きを隠せなかったが、「とにかく厳しかったが、会うたびにやさしくなる印象。浦和東に行ってなかったらプロになってない」と感謝する。
自ら後任に名乗りを上げた鈴木豊新監督(38)は、「『浦和東は強くなくちゃいけない』と、さらに上を目指していきたい」と力を込める。今後はライバル監督になるが、「敵に回したくないな」と苦笑い。
主将の大久保秀斗は「出会った中で一番いい先生」と信頼し、深谷から片道2時間半をかけて通学。「春休みの合宿中に聞いて不安になったが、みんなで話し合ってやるしかないと決めた」と決意。中心選手のンドカ・ボニフェイスは「対戦して勝つことが恩返し。先生が言っていたことを忘れずに後輩にも伝えていきたい」と意気込んだ。
午前から始まった練習も夕方に終わりを迎えようとしていた。野崎監督は選手一人一人と握手を交わすと、「ここのグラウンドには血の汗と、うれし涙と悔し涙と先生の思いが詰まっている」と感極まった。嗚咽(おえつ)を漏らす選手、すすり泣くマネジャー。それぞれが、さまざまな思いを抱き、校歌を歌い、野崎監督を胴上げした。
【埼玉新聞】
浦和東…?