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前橋育英高校【チーム紹介:群馬県】

前橋育英メンバー2019

目次

学校・サッカー部の発足

群馬系内を代表するスポーツ強豪校

前橋育英高校

 群馬県前橋市朝日が丘町にある私立高等学校で1962年創立。普通科の男子校として開校。1970年に保育科(女子)を設置し共学校となった。1976年には体育科を設立しスポーツに力を入れるようになる。陸上部や2013年には夏の甲子園では初出場で初優勝した野球部などスポーツの盛んな高校として知られている。生徒数は計1,724名(男子710名 女子1014名)

学力にも力を入れている。

 近年は特進選抜コースや特進コースなどを設置し、学力にも力を入れている。

サッカー部の歴史・躍進

前橋育英高校優勝記念碑
前橋育英高校選手権優勝の記念碑

創部から選手権初出場へ

 サッカー部は1964年に創部、1982年に山田耕介氏が監督に就任すると、頭角を現し、就任から5年後の1986年に日本代表としてワールドカップに出場したMF山口素弘を擁して、初めての初めての選手権に出場した。その後は、近くにはゼブラカラーの強豪前橋商の前になかなか出場できない状況が続くが、1990年に2度目の出場から5年連続で県予選を突破し、県内を代表する強豪校となった。

松田直樹を擁して

 1994年にはW杯に出場したDF松田直樹(横浜Fマリノス)を中心にダークホースの一角に上がったが、初戦で鹿児島実業に1-2で敗れた。

初の国立競技場、そして4年で3度のベスト4

1998年度に小久保純 、2年生だっ たMF松下裕樹(サンフレッチェ広島)、FW佐藤正美(横浜FC)らを擁して初めてベスト4、国立競技場の ビッ チに経験。松下、佐藤、GK岩九史也(ヴィッセル神戸)らが残った翌1999年も2年連続でベスト4進出。DF坪内秀介(ヴィッセル神戸)、大谷圭志(FC東京) 、MF大谷昌司(鹿島アントラーズ) 、DF佐田聡太郎 (サンフレッチェ広島)、青木剛(鹿島アントラーズ)がいた2001年はスター軍団として優勝候補の一角と言われたが、ベスト4で敗退したが、全国の強豪校として認識され、世代別代表をコンスタントに出し続け、Jリーガーを多数輩出した。

2.3コンスタントにJリーガーを輩出

2003年以降は、全国でベスト4の壁を破ることはできなかったが、Jリーガーを多数輩出した。

2003年

 選手権は1回戦敗退したが、GK常澤聡(東京ヴェルディ) 、小林竜樹が大学経由で湘南ベルマーレヘ 加入。

2004年

 高校総体では、初のベスト4進出を果たすが、選手権は予選敗退となった。細貝 萌が浦和レッズ、青山直晃が清水エスパルスへ入団した。

2005年

 選手権で予選敗退となったが、田中亜土夢がアルビレックス新潟へ入団した。

2006年

 選手権は、まさかの初戦でPK戦の敗退。MF岩沼俊介がコンサドーレ札幌、DF三澤慶一がヴィッセル神戸へ入団した。

2007年

 選手権は、2回戦敗退。青木拓矢が大宮アルディージャ、廣瀬智靖がモンテディオ山形へ入団した。

2008年

 選手権では4度目のベスト4進出、MF六平光成が大学経由で清水エスパルス、FW佐藤穣がザスパクサツ群馬へ入団した。

2009年

高校総体では初優勝を果たし、期待された選手権ではまさかの初戦敗退となった。大学経由でMF中美慶哉が栃木SC、FW皆川佑介がサンフレッチェ広島へ入団した。

2010年

 選手権では3回戦で優勝した流経大柏にPK戦で敗退した。MF小島秀仁が浦和レッズへ、その他は大学経由で、DF北爪 健吾がジェフ千葉、DF川岸祐輔とFW小牟田洋佑がザスパクサツ群馬へ入団した。

2011年

 選手権では予選敗退した。横山翔平はザスパクサツ群馬へ入団した。

2012年

選手権は2回戦敗退。FW外山凌が大学経由で水戸ホーリーホックへ入団した。

2013年

選手権予選敗退と見せ場がなかった。

悲願の選手権、常勝軍団へ

 2014年度以降は、プリンスリーグ関東でJユース勢と戦う中で美しいポゼッションサッカーに加え、攻守の切り替えのスピードを速くし、球際やセカンドボールの回収で負けないことを徹底させたことで、成績も残すようになった。Jリーガーの輩出は高卒ではなく、大学経由でJを目指す選手も多くなった。

2014年

 2014年度は、高校総体4強、選手権で初の決勝進出、一時はリーグしたが、星稜高校に延長戦に末敗れ準優勝となった。大学経由でMF鈴木徳真と鈴木大誠がヴォルティス徳島、坂元達裕がモンテディオ山形へ入団した。

2015年

 2015年度は、高校総体は予選敗退、プリンスリーグ関東を2位となり、プレミアリーグ参入戦で敗戦。選手権では、ベスト8で準優勝した國學院久我山に敗れた。

2016年
前橋育英2015年メンバー

 2016年度は、高校総体は予選敗退、プリンスリーグ関東を8位となり、厳しい状況の中、チームを立て直し、選手権では決勝進出したが、青森山田に0-5で敗れ、屈辱的な敗戦となった。しかし、2年生主体のチームだったこともあり、翌年への期待も持てる1年となった。

2017年
前橋育英2017年メンバー

 2017年度は、前評判の強さを見せ、高校総体では、準決勝で優勝した流経大柏に敗れベスト4となった。プリンスリーグ関東では優勝し、プレミアリーグ参入決定戦に参加、昇格候補として期待されたが、ジュビロ磐田U-18に敗れ、昇格とならなかった。高校選手権では、前評判通りの強さを見せ決定進出。決勝では流経大柏相手に後半アディショナルタイムでのゴールで勝利し、悲願の選手権初優勝を達成した。松田陸がガンバ大阪、渡邊泰基がアルビレックス新潟へ入団した。

2018年
前橋育英サッカー2018年メンバー

 高校総体では大津に敗れ初戦敗退。プリンスリーグ関東は4位、選手権では尚志に敗れ、3回戦敗退となった。

2019年
前橋育英メンバー2019

 2019年度は、高校総体では、初戦で青森山田に敗戦、プリンスリーグ関東は5位、選手権では神村学園に敗れ、初戦敗退となった。

前橋育英高校の主な成績

全国高校選手権

 全国高校選手権出場23回
 優勝1回(17年度)、準優勝2回(14、16年度)、4強4回(98、99、01、08年度)

高校総体

 全国高校総体出場15回
優勝1回(09年)、4強3回(04、14、17年)

リーグ戦

19年プリンスリーグ関東5位
18年プリンスリーグ関東4位
17年プリンスリーグ関東優勝
16年プリンスリーグ関東8位
15年プリンスリーグ関東2位
14年プリンスリーグ関東3位
13年プリンスリーグ関東1部優勝
12年プリンスリーグ関東1部6位
11年プリンスリーグ関東1部3位
10年プリンスリーグ関東2部4位

監督・コーチ

 現在、前橋育英には12名のコーチが在籍しており、そのほとんどが前橋育英サッカー出身者で教員として生徒に係わっています。プリンスリーグ関東に所属するトップチームから群馬県リーグの1部、2部、3部で活動するチームに1年生のABチームの合計6チームありますが、各カテゴリーに選任のコーチが指導することで充実した指導を受けることが可能となっている。

監督 山田 耕介
部長 戸塚 浩美
GM 林 昭男
トレーナー 林 大輔
コーチ 櫻井 勉
コーチ 北村 仁
GKコーチ 山口 晋嗣
コーチ 中島 和哉
コーチ 白石 敦志
コーチ 宮本 允輝

山田耕介

前橋育英を高校サッカー界屈指の名門に育て上げた山田耕介監督
前橋育英を高校サッカー界屈指の名門に育て上げた山田耕介監督

 前橋育英の躍進には山田耕介監督の存在が欠かせない。長崎県出身の山田監督は高校時代、島原商時代に後に国見高校jを率いて何度も全国優勝に導いた小嶺忠雄監督の元、1977年の高校総体では全国優勝、高校選手権にも3年連続で出場を果たす。卒業後は法政大学へ進学、サッカーをしながら地元長崎で教員になる予定だった。
 しかし、採用試験と総理大臣杯の決勝の日程が重なり、サッカーを選んだ山田監督は、地元での教員を諦め、知人の誘いを受け、前橋育英へ社会科教諭として就職。昭和1982年にサッカー部の監督に就任した。1986年に高校選手権初出場を果たし、2019年まで、選手権出場23回、優勝1回、準優勝2回、ベスト4が4回、と素晴らしい成績を収めている。
 2000年にはJリーグで監督が可能なS級ライセンスを高校サッカーの指導者として取得している。
 監督就任当初は、守備を固めてロングボールを多用するサッカーだったが、1995年にはオランダのアヤックスのサッカーを学び、現在の技術とパスワークを重視したサッカーへスタイルが大きく変わっていった。どちらかと言えば、選手の長所を見抜き、伸ばす指導に定評がある。フォワードだった山口素弘や松田直樹ら、後に日本代表としてワールドカップに出場する選手をMFやDFにコンバートさせ、現在ドイツで活躍する細貝も、ゲームメイクよりもボール奪取能力に目を付けるなど、確かな手腕を発揮し、70名近いJリーガーを多数輩出している。

櫻井勉

 Bチームを担当するコーチで、前橋育英高校OB、卒業後は仙台大学、佐川急便東北で選手として活躍。引退後はジェフ千葉で3年間コーチを勉強し、2007年前橋育英の事務職兼同校サッカー部のコーチに就任。国体の監督を務め、2019年はBチームで出場した関東大会で優勝するなど高い手腕に注目されている。

チームについて

チームスローガン

前橋育英のスローガン「強く激しく美しく」

「強く激しく美しく」

ポゼッションとロングパスの融合

 基本的には4-4-2のフォーメーションで中盤はボックス型で、2枚のボランチを置き、ボール奪取時からボランチを起点にパスを長短のパスで攻撃を組み立てていく。選手間の距離間を一定に保たれているため、ショートパスがつながる。攻撃的MFはパス能力とドリブルの技術が高く、サイドバックもオーバーラップして積極的に攻撃参加し、サイドでも数的優位な状況を作っていく。FWは長身タイプでポストプレーに優れ、サイドからのクロスをしっかり合わせられるスキルを持つ。一方で小柄なFWは、相手最終ラインへの裏抜けを得意とするタイプが多い。

ボランチに好選手を輩出

 前橋育英といえば、ボランチでプロになった選手が多く、山口素弘、松下裕樹( 現ザスパクサツ 群馬) 、細貝萌( 現柏レイソル) 、青木拓矢( 現浦和レッ ズ) 、大平光成( 現清水エスパルス) 、小島秀仁( 現ジェフユナイテツド市原・ 千葉) 、鈴木徳真( 徳島ヴオルティス加入内定)ら優れたボランチをプロの世界へ 輩出している。これはボランチを起点としたパスサッカーを展開していることが理由として挙げられている。

5つの原則「球際」「切り替え」「ハードワーク」「声」「競り合い・拾い合い」

 前橋育英が各種大会でコンスタントに上位進出する大きな要因として、「球際」「切り替え」「ハードワーク」「声」「競り合い・拾い合い」を徹底。相手ボールになった時点で素早いプレスでボールを奪い、こぼれ球をしっかり拾い攻撃につなげていくことで、本来持っている高い技術がより活きるようになり、近年の好成績につながっている。

エースナンバー14

93回の選手権ではu19日本代表の鈴木徳真(現筑波大)を背負っていた
93回の選手権ではu19日本代表の鈴木徳真(現筑波大)を背負っていた

 前橋育英のエースナンバーは「14番」が上げられる。毎年チームの中心選手・もしくは象徴となる選手が付けている。古くはDF松田直樹からMF鈴木徳真、秋山裕紀、選手権初制覇の時は田部井涼が付けている。14番がエースナンバーの理由として山田監督はオランダの偉大な選手であったヨハン・クライフ好きを理由にしている。

ヤマダ電機でのスポンサー契約

 2019年より、高崎市を本社に置く株式会社ヤマダ電機とユニフォームのスポンサー契約を結んでいる。これにより高体連が主催しない大会では、選手のユニフォームにヤマダ電機のロゴが入り、ヤマダ電機主催で小学生サッカー教室 &AED講習会を前橋育英グラウンドで実施している。目的は、地元の小学生の育成と同校OBであった故:松田直樹氏のような悲劇を繰り返さなよう、AEDの講習会も実施している。

サッカー部員

部員数

前橋育英_部員1

140名(3年:51名 2年:41名 1年:48名)

所属リーグ

 前橋育英は6チームに分けて多くの選手に公式戦を経験させている。特にBチームのレベルが高く、関東大会で優勝したり、県リーグでも前橋商に勝利するなど、高いレベルにあり、ここで大きく成長してAチームに昇格する選手の多い。
関東プリンスリーグ:TOP
群馬県1部リーグ:前橋育英B
群馬県2部リーグ:前橋育英C
群馬県3部リーグ:前橋育英D
関東ルーキーリーグA:前橋育英1年生A
群馬県ルーキーリーグ1部:前橋育英1年生B

3種(中学)出身チーム

 古くからたくさんの選手を供給していた北関東を代表する強豪クラブである前橋FC、クマガヤSCを中心に埼玉県や東京のクラブチーム、FC東京や鹿島アントラーズ、横浜Fマリノスの下部組織出身者も含め、全国から選手が集まっている。

前橋FCとの提携

 北関東を代表する強豪クラブである前橋FCは、前橋育英のグラウンドで練習しており、監督を務める湯浅 英明氏は前橋育英の外部コーチも務めている。近年はJリーグのユースに進め選手も増えている。

ユニフォーム

 上州のブラックタイガー軍団と呼ばれる所以もあり、黄色と黒の縦縞が伝統のユニフォームとなっている。これは山田監督が選手時代に在籍していた島原商業の黒×白の縦縞を参考に白を元々のユニフォームの色であった黄色に変更したものとされている。ユニフォームのサプライヤーはPUMAがずっと務めている。

前橋育英ユニフォーム_HOME 前橋育英ユニフォーム_AWAY

練習

練習時間は1日2時間・自主練で課題を克服し、武器を磨く

 練習時間は授業が終わった16:00~18:00の基本2時間で、全体練習終了後は大体の選手がナイター設備完備のグラウンドに残って自主練で技を磨いている。

1週間の主なスケジュール

 月:休み 火~金:TR  土・日:練習試合・公式試合
月曜日:オフ
火曜日:長距離走
水曜日:テーマ別トレーニング
木曜日:テーマ別トレーニング
金曜日:ゲームに向けた実践トレーニング
土曜日:試合
日曜日:試合
 ※試合予定がない週末は朝7時から2時間練習して終了

学校生活

練習環境

前橋育英高崎グラウンド写真1
人工芝のグラウンドが1.5面、充実した設備

 2002年、学校から3キロの場所に高校サッカーのチームとして早い段階で専用の人工芝のグラウンドを完備。フルーコート1面とハーフコート1面を所有しており、ザスパクサツ群馬の練習場としても利用されている。

高校サッカー界屈指の充実したクラブハウス

前橋育英高校_クラブハウス
2019年に完成した新クラブハウス

2016年にグラウンドから道路を挟んだすぐ横に南仏風のクラブハウスは完成。シャワールームと宿泊施設、取材ルームを備える。2019年にはグラウンドに面した新クラブハウスが完成。部員全員の鍵付きロッカールーム、トレーナーが常駐する医務室、スタッフルーム、公式戦用の放送室まで完備。アウェーチーム専用のロッカールームやプロジェクター付きの控室もある。

寮生活

 サッカー部の約半数の選手が寮生活を送っており、寮の部屋が足りないため、学校近くの団地を借り上げて、選手寮が用意。部屋は6人部屋で、各学年2名ずつの部屋割りとなっている。洗濯も先輩後輩関係なく自分たちで実施している。山田監督も5年前から同じ寮に住んでおり、選手の生活面でのフォローも欠かしていない。

寮費

 入寮費:30,000円、寮費:50,000円 
  普通科Ⅳ類:スポーツ科学コースのみ対象(前橋育英高校ホームページより)

前橋育英サッカー部専用の寮
1部屋6人で各学年2名の部屋割りとなっている

入部するには

練習会・セレクション

 中学生合同練習会を夏休みに行っていますが、合否はありません。別途特待制度あるとのこと。

偏差値

 Ⅰ類特進選抜:65 Ⅱ類特進:55 Ⅲ類総合進学:48 Ⅳ類スポーツ科学:44 保育:44

チーム情報

住所 〒371-0832 群馬県前橋市朝日が丘町13
監督 山田耕介
所属リーグ プリンスリーグ関東
サイトURL 前橋育英サッカー部OB会ホームページ

OB(Jリーガー)

前橋育英は多くのJリーガーを輩出している。古くは日本代表で活躍したボランチ山口素弘、同じ日本代表とし横浜Fマリノスの黄金時代を支えた松田直樹、現在はドイツで活躍する細貝萌など多数の選手を輩出する。

鈴木徳真 徳島ヴォルティス
鈴木大誠 徳島ヴォルティス
榎本樹 松本山雅
秋山裕紀 アルビレックス新潟
松田陸 ガンバ大阪
渡邊泰基 アルビレックス新潟
金子拓郎 北海道コンサドーレ札幌
岡村大八 ザスパクサツ群馬
坂元達裕 モンテディオ山形
横山翔平 ザスパクサツ群馬
小島秀仁 浦和レッドダイヤモンズ
小牟田洋佑 ザスパクサツ群馬
川岸祐輔 ザスパクサツ群馬
北爪健吾 ジェフユナイテッド市原・千葉
代田敦資 V・ファーレン長崎
皆川佑介 サンフレッチェ広島F.C
中美慶哉 栃木SC
三浦雄介 横浜スポーツ&カルチャークラブ
佐藤穣 ウズベク・リーグ FCブニョドコル
六平光成 清水エスパルス
北原毅之 SC相模原
青木拓矢 浦和レッドダイヤモンズ
廣瀬智靖 徳島ヴォルティス
岩沼俊介 松本山雅FC
黄大俊 引退 現役時はザスパクサツ群馬などに所属
田中亜土夢 フィンランド・ヴェイッカウスリーガ HJKヘルシンキ
反町一輝 引退
後藤涼 引退 現役時はザスパクサツ群馬などに所属
伊藤拓真 ラインメール青森
吉澤正悟 引退
青山直晃 タイ・プレミアリーグ ムアントン・ユナイテッド
細貝萌 ブンデスリーガ ヘルタ・ベルリン
関憲太郎 ベガルタ仙台
常澤聡 FC岐阜
小泉訓 徳島ヴォルティス 引退
武田英明 引退
石亀晃 引退
小林竜樹 ザスパクサツ群馬
廣井友信 ツエーゲン金沢
森賢一 引退
小暮直樹 引退
吉田正樹 東京23FC
佐田聡太郎 引退
相川進也 引退
岡本勇輝 引退
里見仁義 引退
坪内秀介 ジュビロ磐田
大谷昌司 引退
大谷圭志 引退
須田剛史 引退
青木剛 鹿島アントラーズ
松下裕樹 ザスパクサツ群馬
岩丸史也 引退 現役時は横浜FCなどに所属
茂原岳人 引退
佐藤正美 引退
小林卓也 引退
小久保純 引退
大島秀夫 ギラヴァンツ北九州
松田直樹 引退(現役活躍中に死去) 現役時は横浜マリノスなどに所属
上村祐司 引退
山口素弘 引退 現役時は横浜フリューゲルスなどに所属

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