本日、聖地・国立競技場で、第91回全国高校サッカー選手権大会の決勝戦が行われます。決勝戦に進んだ京都府代表の京都橘と宮崎県代表の鵬翔は、どちらが勝っても初めての優勝となります。戦国時代と言われて久しい高校サッカー界ですが、今回もそれが色濃く出た大会といえます。優勝経験高校が早々に敗退し、ベスト8に残ったチームのどこが優勝しても初優勝。新しい高校、新しい選手の活躍が目立った大会となりました。
「高校サッカーかJクラブユースか」
この世代のサッカーを語る上で無視できないテーマです。ここで一つ気になる数字があります。11年に開催されたU-17W杯メキシコ大会では、高校の部活動に所属する選手は4人、それに対し、Jクラブの下部組織(ユース)に所属していたのは17人でした。同じく11年、翌年に開催されたU-19アジア選手権の2次予選に挑んだU-18代表においては、前者が3人、後者は19人と、クラブユース勢が大部分を占めているのです。
ヴァンフォーレ甲府の城福監督は「チームとしての力を比べると、クラブユースは高校よりもタレントがそろっていると思います。そもそも、クラブユースは厳しい競争を勝ち抜いてきたエリート集団。チーム同士の対戦になればユースのほうに分がある」と分析(書籍『日本のサッカーを強くする25の視点』より)。現にここ数年、高円宮杯U-18では、クラブユースのチームが結果を残しています。
しかし、視点を日本代表におくと、これが変わってきます。W杯最終予選のメンバーでも、本田圭佑をはじめ、遠藤保仁、中村憲剛、岡崎慎司、乾貴士と高校サッカー出身者が半数を占めています。また、海外で活躍する長友佑都や細貝萌も高校サッカー出身。エリートというだけでは、日本代表のユニフォームを着ることはできないのでしょうか。
育成時代に高校サッカーで過ごすメリットとは……。実は、一見ネガティブな「理不尽さ」というキーワードにその答えが隠されていると、同書で紹介されています。
かつて高校サッカー界の盟主だった長崎・国見高校。日本一と言われるほど練習量が多く、軍隊と例えられることも。語られるエピソードは尽きません。厳しい練習の後に裏山までの10km走を命じられるのは日常茶飯事。高校選手権で優勝した翌日も走ったそうです。「国見の休みは3年間で1日半」こう話すのは、卒業生で元日本代表の三浦淳寛氏。静岡学園と1日に3試合やったことも。その時の第一試合目のキックオフ時間はなんと朝の6時。そんな理不尽な環境にありながらも、三浦氏は当時監督だった小嶺氏から言われた「自信と過信は紙一重」という言葉が、今でも頭から離れないといいます。一流のサッカー選手に育てる前に、社会で生きていくための最低限の人間性を磨いて欲しいと願っているのが、小嶺氏だったのです。
「もし勝つことだけを目的としていたら、小嶺先生は最後の選手権を終えた3年生をすぐに引退させているでしょうね。次の大会を目指すなら、早く1.2年生を主体とする次のチームに切り替えたほうがいい。でも、小嶺先生はきっと人間教育のことを常に考えているのでしょう。だから、選手権で優勝したからといって終わりにしない」(城福監督)
自身も高校サッカー出身で、日本代表にまで上り詰めた秋田豊氏も、「クラブユースは技術的なエリートを育て、高校サッカーはメンタルを鍛え上げる」と考えているようです。ここでもまた「理不尽さ」があります。
「例えば日本代表の試合。アウェーの戦いではゴール前に釘が落ちていたこともあるし、グランドはボコボコで、しかもものすごい気温差の中で緊迫感のある試合をしなければならないこともある。つまり、理不尽な状況で、国を代表するプレッシャーを背負ってサッカーをやらなければならない。その時に求められるのは、何事にも耐え得る強いメンタリティですよね」
高校サッカーで感じる理不尽さ。しかし、その理不尽さのなかから学ぶこと、生かされることは多分にあるのです。
「秋田の言葉のとおり、厳しいトレーニングに見え隠れするポジティブな『理不尽さ』が、彼らのメンタリティを強く鍛え上げるのだろう。そこで養われる人間性は、やがて日の丸を背負っても動じない『戦う心』となり得る」と同書ではまとめられています。
日本代表に多くの高校サッカー経験者がいることに、これで頷けるのではないでしょうか。そして、今大会からも未来の日本代表選手を見つけることができるのです。若い学生にとって「理不尽さ」とは、なかなか受け入れられないものかもしれません。しかし、その「理不尽さ」と向き合う素直さや、乗り越えるエネルギーを持ち合わせた選手が、一流のアスリートして、日本代表選手になるのでしょう。
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