高校・クラブユースのチーム紹介ページ▼

水嶋 勇夫(四日市中央工業高校)高校サッカーヒーロー列伝

水嶋勇夫_四日市中央工業

水嶋 勇夫(四日市中央工業高校 三重県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

爆発的な瞬発力と卓越したドリブル突破、相手守備陣の背後を鋭く突く決定力で四中工の攻撃を牽引した名ストライカー。名門・四日市中央工業高校において、後に小倉隆史へと受け継がれ同校のエースナンバーとして定着した「背番号17」の象徴・発端となった伝説のアタッカーである。

高校1年時の1987年度・第66回全国高校選手権では、1年生ながらスーパーサブとしてピッチに立ち、チームの全国3位(ベスト4)進出に貢献して全国にその名を轟かせた。3年時の第68回大会でもエースとして背番号17を背負い、高い決定力とチャンスメイクでチームを牽引。ベスト16敗退ながらその圧倒的な存在感が評価され、大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。

順天堂大学進学後はバルセロナ五輪予選代表候補にも選出され、大学サッカー界のトップシーンで活躍。名将・城雄士監督のもとで磨かれた不屈の走力と鋭利なゴールへの嗅覚は、四中工が誇る伝統の系譜の金字塔として今なお語り継がれている。

所属チーム

三重県立四日市中央工業高等学校

生年月日

1971年5月2日

サイズ(身長・体重)

未確認(※高校・現役時)

ポジション

FW

出身チーム

  • 3種:未確認/記録なし(三重県出身)
  • 4種:未確認/記録なし(三重県出身)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1987年度・第66回):背番号17として三重県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)
  • 2年時(1988年度・第67回):三重県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(ベスト16)
  • 3年時(1989年度・第68回):エース・背番号17として三重県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(ベスト16、大会優秀選手選出
高校総体
  • 1年時(1987年度・北海道総体):三重県予選 優勝、全国大会 出場
  • 2年時(1988年度・山形総体):三重県予選 優勝、全国大会 出場
  • 3年時(1989年度・高知総体):三重県予選 優勝、全国大会 出場
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1988年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1989年度・第1回):東海地域予選 敗退(全国大会不出場)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1987年・海邦沖縄国体):三重県選抜としてサッカー少年の部 出場
  • 2年時(1988年・京都国体):三重県選抜としてサッカー少年の部 出場
  • 3年時(1989年・はまなす北海道国体):三重県選抜としてサッカー少年の部 出場




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:バルセロナ五輪(U-23)日本代表候補
  • 日本高校選抜:1990年選出(第68回大会優秀選手・欧州遠征参加)
  • 都道府県選抜:三重県選抜(国体サッカー少年の部 3年連続出場)
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

中学時代から三重県下屈指の快足アタッカーとして名を馳せ、名門・四日市中央工業高校へ進学後は1年生時から選手層の厚いチームで頭角を現す。高校2年・3年時には三重県選抜の主力として国体に出場し、東海地区を代表するストライカーとして存在感を発揮した。

高校3年時の1989年度・第68回全国高校サッカー選手権では、エースナンバー17を背負い圧巻の攻撃力を見せて大会優秀選手および日本高校選抜に選出。ヨーロッパ遠征(デュッセルドルフ国際ユース大会等)にも参加し、屈強な欧州クラブ相手にスピードと鋭い仕掛けで通用することを証明した。順天堂大学進学後もバルセロナオリンピックを目指すU-23日本代表候補に名を連ねるなど、同世代最高峰のアタッカーとして高く評価された。

卒業後の進路

大学

順天堂大学蹴球部(バルセロナ五輪日本代表候補、総理大臣杯・インカレ出場)

プロ・社会人

  • 三重マスターズ(JFA全日本O-40サッカー大会等に出場)

日本代表

該当なし(※世代別五輪代表候補)

卒業後のキャリアの総評

高校卒業後は大学サッカー界の名門・順天堂大学蹴球部へ進学。関東大学リーグや総理大臣杯、全日本大学サッカー選手権(インカレ)の舞台で快足フォワードとして活躍し、大学在学中にはバルセロナ五輪(U-23)日本代表候補にも選出された。

大学卒業後は社会人サッカーの世界でプレーを続け、競技の一線から退いた後も地元・三重県でシニアサッカーに精力的に参加。JFA主催の全国シニア(40歳以上)サッカー大会において「三重マスターズ」の背番号17として出場するなど、生涯にわたってサッカーへの情熱を燃やし続けている。

後に日本代表へ登りつめる後輩・小倉隆史が憧れ、背番号17を自ら志願するきっかけとなったそのプレースタイルは、四中工サッカー史における偉大なレジェンドとして深く刻まれている。