清水商業高校(静岡県)
目次
学校・クラブ発足とサッカー部の歴史
学校の設立について
静岡市立清水商業高等学校(通称「清商(きよしょう)」)は、1922年(大正11年)3月27日に静岡県安倍郡の地元6町村(入江町、清水町、不二見村、三保村、庵原村、袖師村)の協同により「学校組合立静岡県清見潟商業学校」として創立された伝統ある公立商業高等学校です。1924年(大正13年)の清水市制施行に伴い「清水市立商業高等学校」へと改称され、近代的な港湾都市・商工業都市として急速に発展する清水の街を支える実業教育の拠点として確固たる基盤を築きました。
戦後の1948年(昭和23年)には学制改革により新制高等学校へ移行して定時制課程を設置し、1950年(昭和25年)には男女共学化が実施されました。2003年(平成15年)4月1日には静岡市と清水市の対等合併に伴い「静岡市立清水商業高等学校」と改称。商業科を設置し、長年にわたり高度な実務教育と人間性豊かな産業人の育成に邁進しました。
しかし、静岡市内の公立高等学校再編整備計画に基づき、静岡県立庵原高等学校と再編統合されることが決定。2013年(平成25年)3月31日をもって91年にわたる輝かしい歴史に幕を下ろし閉校しました。同年4月1日からは旧清商の敷地に後継校である「静岡市立清水桜が丘高等学校」が開校し、その誇りある歴史と精神を受け継いでいます。
創部・設立の経緯
清水商業高校サッカー部は、戦後間もない1940年代後半から1950年代初頭にかけて創部され、旧清水市が「サッカーの街」として台頭していく歴史とともに歩みを刻み始めました。当時、静岡県内では藤枝や静岡市街地がサッカーの先進地でしたが、清水の地でも地域指導者や教員たちの情熱的な普及活動によって少年サッカーの礎が築かれつつありました。
清商サッカー部を一躍全国区の強豪へと押し上げる転機となったのは、名将・苫米地康文監督による本格的なチーム強化です。1960年代後半には県内屈指の攻撃力を誇るチームとして頭角を現し、1969年(昭和44年)の全国高校総体(インターハイ)において全国準優勝を達成。この躍進がチームの歴史における大きな分岐点となりました。
その後、1974年に母校の商業科教諭として着任した大瀧雅良監督が就任すると、個人の高度な技術と自主的な戦術判断力を極限まで高める独自の育成メソッドを確立。グラウンドは決して恵まれた環境ではなかったものの、泥臭く技術を磨き抜く練習方針と確固たる規律を徹底し、全国のサッカー少年が憧れる「清商(きよしょう)」ブランドを築き上げました。
全国大会等の成績について
清水商業高校サッカー部の全国大会における戦績は、高校サッカー史の頂点に君臨する圧倒的な輝きを放っています。高校年代の最高峰タイトルである全国高等学校サッカー選手権大会、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)、全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会のすべてで複数回の全国制覇を成し遂げ、獲得した全国タイトルは通算12回に達します。
冬の風物詩である全国高校サッカー選手権大会においては、1969年度(第48回大会)に全国初出場でベスト8、1971年度(第50回大会)に全国ベスト4(3位)に進出。1983年度(第62回大会)には決勝進出を果たし準優勝。そして1985年度(第64回大会)に決勝で四日市中央工を1-0で破り、悲願の選手権初優勝を飾りました。さらに1988年度(第67回大会)には主将の三浦文丈、藤田俊哉、山田隆裕らを擁して決勝で市立船橋を1-0で退け、2度目の全国制覇を達成。1993年度(第72回大会)には守護神・川口能活、田中誠、安永聡太郎、佐藤由紀彦、藤元大輔ら錚々たるタレントを揃え、名門・国見との激闘を2-1で制して3度目の選手権王者に輝きました。
夏のインターハイでは、1969年と1986年の準優勝を経て、1989年に決勝で武南を下し悲願の夏初優勝を果たすと、翌1990年には連覇を達成。さらに1994年、1996年にも全国制覇を成し遂げ、計4度のインターハイ優勝を記録しました。
秋の全日本ユース選手権ではその勝負強さが際立ち、1990年の初優勝に続き、1993年、1994年、1995年には史上前人未到の「全国3連覇」を達成。2000年にも5度目の優勝を飾り、Jユース勢も参戦する最高峰の舞台で圧倒的な強さを誇示しました。静岡県予選自体が「全国大会よりも勝ち抜くことが困難」と恐れられた超激戦区の中で、清水東、藤枝東、東海大一、静岡学園といった名門ライバルたちと鎬を削りながら磨かれた技術と勝負強さは、日本高校サッカーの歴史に燦然と輝く偉大な足跡として永遠に語り継がれています。
強化の結果
清水商業高校が全国屈指の強豪へと登り詰めた背景には、旧清水市が誇る類まれな地域一貫指導システムと、大瀧雅良監督による徹底した個の育成方針が結実した確固たる強化基盤がありました。清水市は全国に先駆けて小学校単位のスポーツ少年団やオール清水(清水FC)を組織し、幼少期から高いボールコントロール技術と豊かなサッカー観を育む土壌が確立されていました。清商サッカー部は、この清水の育成ピラミッドの頂点として地元出身の優れた原石たちを受け入れるとともに、県内外の有望な選手たちが「大瀧監督の指導を受けたい」と集う憧れの拠点となりました。
大瀧監督の指導は、単なる組織戦術の型にはめるのではなく、「ボールを止める・蹴る」という基礎技術の質を徹底的に追求し、1対1の局面で絶対に相手に負けない強い個を育てることに重きを置きました。さらに、選手たち自らが試合状況を的確に読み、ピッチ上で最善の判断を下す自立心を徹底して鍛え上げました。日々の練習では妥協を許さず、プレッシャー下でも正確無比に技術を発揮できるよう猛烈な反復練習を積み重ねました。
この卓越した強化メソッドの結果、清商は激戦の静岡県予選を幾度も勝ち抜いて全国タイトルを量産しただけでなく、世界を舞台に活躍する風間八宏、名波浩、川口能活、小野伸二をはじめとする無数の日本代表やJリーガーを輩出し、日本サッカー界の発展に計り知れない貢献を果たすこととなったのです。
監督・コーチ
歴代監督
- 苫米地康文
苫米地康文は、創成期の清水商業高校サッカー部を率いて基礎を築き上げ、チームを全国大会の表彰台へと押し上げた名将です。当時、静岡県内の高校サッカー界は藤枝勢や静岡市街地の伝統校が牽引していましたが、苫米地監督は清水の地におけるサッカーの潜在能力に着目し、規律ある集団生活と確固たる基礎技術の向上を掲げてチームの本格的な強化に着手しました。
グラウンド環境や用具が決して十分でなかった時代にあって、情熱的な熱血指導と妥協のない姿勢で選手たちを鼓舞し、清商サッカー部の土台となる不屈のファイティングスピリットを植え付けました。その情熱的な指導は実を結び、1969年(昭和44年)の全国高校総体(インターハイ)において、チームを初の全国準優勝へと導く歴史的快挙を達成。このときの主将が大瀧雅良であり、苫米地監督が蒔いた指導哲学の種は次の世代へと脈々と継承され、後に全国を席巻する清商サッカーの強固な礎となりました。
- 大瀧雅良
大瀧雅良は、1951年生まれで清水市出身の指導者であり、清水商業高校サッカー部を38年間にわたり指揮して全国制覇12回という不滅の金字塔を打ち立てた高校サッカー界の伝説的名将です。自身も清商サッカー部出身で、1969年インターハイ準優勝時には主将としてチームを牽引しました。拓殖大学を卒業後、1974年に母校の商業科教諭として赴任し、恩師・苫米地康文監督の後を継いでサッカー部監督に就任しました。
大瀧監督が掲げた指導方針は、「高校年代で勝つことだけが目的ではなく、26歳や27歳でプロや日本代表としてピークを迎えたときに最も輝く選手を育てる」という極めて先見的なものでした。徹底したボールコントロールの反復練習、相手の逆を取る個人戦術の習得、そしてピッチ内外での自主自立の精神を厳しく叩き込みました。その結果、全国高校選手権優勝3回、インターハイ優勝4回、全日本ユース選手権優勝5回を達成。教え子の風間八宏、名波浩、川口能活、小野伸二ら計7名を海外リーグへ送り出すなど、日本代表やJリーガーを多数輩出し、2012年の定年まで清商サッカーの象徴として君臨しました。
チームのサッカー
- スローガン・理念:
清水商業高校サッカー部の根底に流れる精神的支柱は、「清商魂」と呼ばれる不撓不屈の勝負への執念と、一切の妥協を許さないプロフェッショナリズムです。ピッチ内においては「走れない者は使うな、戦えない者はピッチを去れ」という徹底した勝負の厳しさが求められる一方、サッカーの本質である「ボールを正確にコントロールし、相手の意図を上回る判断を下す」という技術至上主義が貫かれていました。
大瀧雅良監督の指導理念は、目先の高校サッカーの勝利にとどまらず、成人期・プロフェッショナルの舞台で世界に通用する個の育成にあり、選手一人ひとりが自立したフットボーラーとして思考し決断することを最高の美徳としました。
- 基本フォーメーション:
清水商業高校の基本システムは、攻守のバランスと個々の判断力を最大限に引き出す伝統的な「4-4-2」、あるいは中盤の構成力に応じた「4-3-1-2(ダイヤモンド型中盤)」が採用されていました。
名波浩や小野伸二といった稀代の司令塔を擁した時代には、彼らの卓越したゲームメイク能力とイマジネーションを最大限に解放するための中盤設計が施され、前線の機動力あるツートップへの縦パスや、両サイドバックの積極的なオーバーラップを組み合わせた立体的な攻撃陣形が形成されました。
- 戦術的特徴:
清商サッカーの真骨頂は、極限まで磨き抜かれた「止める・蹴る・運ぶ」という基礎技術の正確さと、流動的なパス&ムーブにありました。プレッシャーが激しい近代サッカーの局面においても、ファーストタッチで確実にボールを自分の支配下に置き、相手守備陣の逆を突くショートパスとダイレクトプレーをテンポ良く連続させました。
また、個々のボールキープ力が高いため、味方が連動してスペースへ飛び出す時間とコースを作り出すことが可能でした。さらに、守備から攻撃への切り替え(トランジション)の鋭さと、球際における強烈なボール奪取力も清商の大きな特徴であり、華麗なテクニックの裏側に泥臭いハードワークが同居する完成度の高いサッカースタイルを確立していました。
大会の成績
全国高等学校サッカー選手権大会
全国大会出場回数:12回(優勝3回、準優勝2回、ベスト4 1回、ベスト8 2回)
| 年度 | 高校名(チーム名) | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1959年度 | 清水商業高校 | 第38回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県大会決勝進出。藤枝東に惜敗し準優勝 |
| 1969年度 | 清水商業高校 | 第48回全国高校サッカー選手権(初出場) | 全国大会 ベスト8 | 1回戦で島原工を3-2で破り全国8強進出(主将は大瀧雅良) |
| 1970年度 | 清水商業高校 | 第49回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 敗退 | 静岡県予選敗退(静岡代表は浜名・藤枝東) |
| 1971年度 | 清水商業高校 | 第50回全国高校サッカー選手権(2回目) | 全国大会 ベスト4 | 松本県ケ丘、報徳学園を破り全国3位進出(準決勝で壬生川工に1-2) |
| 1972年度 | 清水商業高校 | 第51回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 敗退 | 静岡県予選敗退(静岡代表は藤枝東) |
| 1973年度 | 清水商業高校 | 第52回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 敗退 | 静岡県予選敗退(静岡代表は藤枝東) |
| 1974年度 | 清水商業高校 | 第53回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 敗退 | 大瀧雅良監督就任1年目(静岡代表は清水東) |
| 1975年度 | 清水商業高校 | 第54回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 敗退 | 静岡県予選敗退(静岡代表は静岡工) |
| 1976年度 | 清水商業高校 | 第55回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 敗退 | 静岡県予選敗退(静岡代表は静岡学園) |
| 1977年度 | 清水商業高校 | 第56回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 敗退 | 風間八宏1年時(静岡代表は浜名) |
| 1978年度 | 清水商業高校 | 第57回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 敗退 | 風間八宏2年時(静岡代表は静岡学園) |
| 1979年度 | 清水商業高校 | 第58回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 敗退 | 風間八宏3年時(静岡代表は藤枝東) |
| 1980年度 | 清水商業高校 | 第59回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 静岡県準決勝で清水東に0-1で惜敗 |
| 1981年度 | 清水商業高校 | 第60回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 優勝 | 決勝で静岡工を1-0で破り静岡県制覇 |
| 1982年度 | 清水商業高校 | 第61回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 決勝で清水東に0-1で惜敗 |
| 1983年度 | 清水商業高校 | 第62回全国高校サッカー選手権(3回目) | 全国大会 準優勝 | 12年ぶり全国出場で決勝進出。帝京に0-1で惜敗し全国準優勝 |
| 1984年度 | 清水商業高校 | 第63回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で藤枝東に0-2で敗退 |
| 1985年度 | 清水商業高校 | 第64回全国高校サッカー選手権(4回目) | 全国大会 優勝 | 悲願の全国初制覇。決勝で四日市中央工を1-0で撃破 |
| 1986年度 | 清水商業高校 | 第65回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で東海大一に0-1で惜敗 |
| 1987年度 | 清水商業高校 | 第66回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で東海大一に0-1で敗退 |
| 1988年度 | 清水商業高校 | 第67回全国高校サッカー選手権(5回目) | 全国大会 優勝 | 2度目の全国制覇。三浦文丈主将、決勝で市立船橋を1-0で破る |
| 1989年度 | 清水商業高校 | 第68回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で藤枝東に1-2で惜敗 |
| 1990年度 | 清水商業高校 | 第69回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 名波浩、山田隆裕らの世代。県決勝で東海大一に惜敗 |
| 1991年度 | 清水商業高校 | 第70回全国高校サッカー選手権(6回目) | 全国大会 3回戦敗退 | 全国ベスト16進出。3回戦で帝京と激戦 |
| 1992年度 | 清水商業高校 | 第71回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で静岡学園に1-2で敗退 |
| 1993年度 | 清水商業高校 | 第72回全国高校サッカー選手権(7回目) | 全国大会 優勝 | 3度目の全国制覇。川口能活、田中誠らを擁し国見を2-1で撃破 |
| 1994年度 | 清水商業高校 | 第73回全国高校サッカー選手権(8回目) | 全国大会 ベスト8 | 全国ベスト8進出。準々決勝で奈良育英に敗退 |
| 1995年度 | 清水商業高校 | 第74回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 小野伸二1年時。県準決勝で静岡学園に惜敗 |
| 1996年度 | 清水商業高校 | 第75回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 小野伸二2年時。県決勝で静岡学園とPK戦の末惜敗 |
| 1997年度 | 清水商業高校 | 第76回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 小野伸二3年時。県準決勝で藤枝東に惜敗 |
| 1998年度 | 清水商業高校 | 第77回全国高校サッカー選手権(9回目) | 全国大会 3回戦敗退 | 全国ベスト16進出。3回戦で室蘭大谷に敗退 |
| 1999年度 | 清水商業高校 | 第78回全国高校サッカー選手権(10回目) | 全国大会 2回戦敗退 | 全国初戦で富山第一とPK戦の末惜敗 |
| 2000年度 | 清水商業高校 | 第79回全国高校サッカー選手権(11回目) | 全国大会 3回戦敗退 | 小林大悟主将。全国ベスト16進出(草津東にPK負け) |
| 2001年度 | 清水商業高校 | 第80回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 県準決勝で静岡学園に敗退 |
| 2002年度 | 清水商業高校 | 第81回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 県準決勝で静岡学園に惜敗 |
| 2003年度 | 清水商業高校 | 第82回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 水野晃樹3年時。県決勝で藤枝東に1-2で惜敗 |
| 2004年度 | 清水商業高校 | 第83回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 平岡康裕3年時。県準決勝で藤枝東に敗れる |
| 2005年度 | 清水商業高校 | 第84回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト8 | 県準々決勝で常葉橘に敗退 |
| 2006年度 | 清水商業高校 | 第85回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 県準決勝で静岡学園に敗れる |
| 2007年度 | 清水商業高校 | 第86回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト8 | 県準々決勝で藤枝東に惜敗 |
| 2008年度 | 清水商業高校 | 第87回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 県準決勝で藤枝東に敗退 |
| 2009年度 | 清水商業高校 | 第88回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で藤枝明誠に惜敗し準優勝 |
| 2010年度 | 清水商業高校 | 第89回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 風間宏矢2年時。県準決勝で静岡学園に惜敗 |
| 2011年度 | 清水商業高校 | 第90回全国高校サッカー選手権(12回目) | 全国大会 3回戦敗退 | 11年ぶり全国出場でベスト16。市立船橋と激闘の末PK惜敗 |
| 2012年度 | 清水商業高校 | 第91回全国高校サッカー選手権静岡県予選 | 県予選 ベスト8 | 清商として最後の選手権。県準々決勝で藤枝東に敗退 |
全国高等学校総合体育大会(インターハイ)
全国大会出場回数:15回(優勝4回、準優勝3回、ベスト8 1回)
| 年度 | 高校名(チーム名) | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1969年 | 清水商業高校 | 第2回全国高校総体(初出場) | 全国大会 準優勝 | 決勝進出、遠野に惜敗し全国準優勝(主将は大瀧雅良) |
| 1980年 | 清水商業高校 | 第33回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 準決勝で清水東に惜敗 |
| 1981年 | 清水商業高校 | 第34回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 決勝で清水東に敗れる |
| 1982年 | 清水商業高校 | 第35回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 準決勝で清水東に屈す |
| 1983年 | 清水商業高校 | 第36回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 決勝で藤枝東に惜敗 |
| 1984年 | 清水商業高校 | 第37回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 準決勝で藤枝東に敗れる |
| 1985年 | 清水商業高校 | 第38回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 準決勝で清水東に惜敗 |
| 1986年 | 清水商業高校 | 第39回全国高校総体(2回目) | 全国大会 準優勝 | 山口総体。決勝で国見に敗れ銀メダル |
| 1987年 | 清水商業高校 | 第40回全国高校総体(3回目) | 全国大会 2回戦敗退 | 北海道総体出場。初戦突破し2回戦進出 |
| 1988年 | 清水商業高校 | 第41回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で東海大一に惜敗 |
| 1989年 | 清水商業高校 | 第42回全国高校総体(4回目) | 全国大会 優勝 | 高知総体。武南を破りインターハイ初制覇 |
| 1990年 | 清水商業高校 | 第43回全国高校総体(5回目) | 全国大会 優勝 | 宮城総体。南宇和を下し夏の総体2連覇 |
| 1991年 | 清水商業高校 | 第44回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 準決勝で清水東に敗れる |
| 1992年 | 清水商業高校 | 第45回全国高校総体(6回目) | 全国大会 3回戦敗退 | 宮崎総体。ベスト16進出 |
| 1993年 | 清水商業高校 | 第46回全国高校総体(7回目) | 全国大会 準優勝 | 栃木総体。決勝で徳島市立に敗れ準優勝 |
| 1994年 | 清水商業高校 | 第47回全国高校総体(8回目) | 全国大会 優勝 | 富山総体。安永聡太郎ら活躍し夏3度目V |
| 1995年 | 清水商業高校 | 第48回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 小野伸二1年時。準決勝で静岡学園に屈す |
| 1996年 | 清水商業高校 | 第49回全国高校総体(9回目) | 全国大会 優勝 | 山梨総体。小野伸二2年時、帝京を破り4度目V |
| 1997年 | 清水商業高校 | 第50回全国高校総体(10回目) | 全国大会 3回戦敗退 | 京都総体。小野伸二3年時、3回戦進出 |
| 1998年 | 清水商業高校 | 第51回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で静岡学園に敗退 |
| 1999年 | 清水商業高校 | 第52回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で静岡学園に惜敗 |
| 2000年 | 清水商業高校 | 第53回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で東海大翔洋に敗れる |
| 2001年 | 清水商業高校 | 第54回全国高校総体(11回目) | 全国大会 2回戦敗退 | 熊本総体出場。初戦突破し2回戦へ |
| 2002年 | 清水商業高校 | 第55回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 準決勝で静岡学園に敗れる |
| 2003年 | 清水商業高校 | 第56回全国高校総体(12回目) | 全国大会 2回戦敗退 | 長崎総体出場。2回戦進出 |
| 2004年 | 清水商業高校 | 第57回全国高校総体(13回目) | 全国大会 3回戦敗退 | 島根総体。平岡康裕主将、3回戦進出 |
| 2005年 | 清水商業高校 | 第58回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト8 | 準々決勝で常葉橘に敗退 |
| 2006年 | 清水商業高校 | 第59回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 準優勝 | 県決勝で静岡学園に惜敗 |
| 2007年 | 清水商業高校 | 第60回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト8 | 準々決勝で藤枝東に敗退 |
| 2008年 | 清水商業高校 | 第61回全国高校総体(14回目) | 全国大会 2回戦敗退 | 埼玉総体出場。初戦突破し2回戦へ |
| 2009年 | 清水商業高校 | 第62回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 準決勝で藤枝東に惜敗 |
| 2010年 | 清水商業高校 | 第63回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト4 | 準決勝で静岡学園に敗退 |
| 2011年 | 清水商業高校 | 第64回全国高校総体(15回目) | 全国大会 ベスト8 | 秋田総体。準々決勝進出で全国ベスト8 |
| 2012年 | 清水商業高校 | 第65回全国高校総体静岡県予選 | 県予選 ベスト8 | 清商最後の総体予選。準々決勝で敗退 |
| 2013年 | 清水商業高校 | 第66回全国高校総体静岡県予選 | 閉校に伴い不出場 | 2013年3月31日をもって閉校(後継は清水桜が丘高校) |
全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会
出場回数:9回(優勝5回、準優勝1回、ベスト8 2回)
| 年度 | 高校名(チーム名) | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1989年 | 清水商業高校 | 第1回全日本ユース選手権東海予選 | 東海地区予選 敗退 | 記念すべき第1回大会。東海地区予選敗退 |
| 1990年 | 清水商業高校 | 第2回全日本ユース選手権(初出場) | 全国大会 優勝 | 名波浩、山田隆裕らの世代が全日本ユース初制覇 |
| 1991年 | 清水商業高校 | 第3回全日本ユース選手権東海予選 | 東海地区予選 敗退 | 東海ブロック予選敗退 |
| 1992年 | 清水商業高校 | 第4回全日本ユース選手権東海予選 | 東海地区予選 敗退 | 地域予選で本大会切符逃す |
| 1993年 | 清水商業高校 | 第5回全日本ユース選手権(2回目) | 全国大会 優勝 | 川口能活、田中誠らを擁し2度目のユース王者 |
| 1994年 | 清水商業高校 | 第6回全日本ユース選手権(3回目) | 全国大会 優勝 | 安永聡太郎、佐藤由紀彦らを擁し大会連覇 |
| 1995年 | 清水商業高校 | 第7回全日本ユース選手権(4回目) | 全国大会 優勝 | 小野伸二1年時、史上初の大会3連覇達成 |
| 1996年 | 清水商業高校 | 第8回全日本ユース選手権(5回目) | 全国大会 ベスト8 | 全国大会出場、ベスト8進出 |
| 1997年 | 清水商業高校 | 第9回全日本ユース選手権(6回目) | 全国大会 準優勝 | 小野伸二3年時、決勝で浦和ユースに惜敗 |
| 1998年 | 清水商業高校 | 第10回全日本ユース選手権(7回目) | 全国大会 ベスト8 | 全国大会出場、ベスト8進出 |
| 1999年 | 清水商業高校 | 第11回全日本ユース選手権東海予選 | 東海地区予選 敗退 | 地域予選敗退 |
| 2000年 | 清水商業高校 | 第12回全日本ユース選手権(8回目) | 全国大会 優勝 | 小林大悟主将、通算5度目の全国ユース制覇 |
| 2001年 | 清水商業高校 | 第13回全日本ユース選手権東海予選 | 東海地区予選 敗退 | ブロック予選敗退 |
| 2002年 | 清水商業高校 | 第14回全日本ユース選手権東海予選 | 東海地区予選 敗退 | 地域予選敗退 |
| 2003年 | 清水商業高校 | 第15回全日本ユース選手権(9回目) | 全国大会 GL敗退 | プリンス東海2位枠で全国本大会出場 |
| 2004年 | 清水商業高校 | 第16回全日本ユース選手権東海予選 | プリンス東海4位 | 東海4位となり本大会出場ならず |
| 2005年 | 清水商業高校 | 第17回全日本ユース選手権東海予選 | プリンス東海3位 | 東海3位で本大会切符に届かず |
| 2006年 | 清水商業高校 | 第18回全日本ユース選手権東海予選 | プリンス東海4位 | 東海4位 |
| 2007年 | 清水商業高校 | 第19回全日本ユース選手権東海予選 | プリンス東海6位 | 東海6位 |
| 2008年 | 清水商業高校 | 第20回全日本ユース選手権東海予選 | プリンス東海4位 | 東海4位 |
| 2009年 | 清水商業高校 | 第21回全日本ユース選手権東海予選 | プリンス東海5位 | 東海5位 |
| 2010年 | 清水商業高校 | 第22回全日本ユース選手権東海予選 | プリンス東海4位 | 大会最終年度。東海4位 |
高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ東海
参戦リーグ:プリンスリーグ東海(上位入賞多数)
| 年度 | 高校名(チーム名) | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 2003年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(初出場) | 1部 2位 | 7勝1分1敗・勝点22(全日本ユース出場権獲得) |
| 2004年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(2回目) | 1部 4位 | 5勝1分3敗・勝点16 |
| 2005年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(3回目) | 1部 3位 | 5勝2分2敗・勝点17 |
| 2006年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(4回目) | 1部 4位 | 4勝1分4敗・勝点13 |
| 2007年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(5回目) | 1部 6位 | 3勝2分4敗・勝点11 |
| 2008年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(6回目) | 1部 4位 | 4勝2分3敗・勝点14 |
| 2009年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(7回目) | 1部 5位 | 4勝1分4敗・勝点13 |
| 2010年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(8回目) | 1部 4位 | 5勝0分4敗・勝点15 |
| 2011年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(9回目) | 1部 2位 | 9勝2分3敗・勝点29(プレミア参入戦進出) |
| 2012年 | 清水商業高校 | 高円宮杯プリンスリーグ東海1部(10回目) | 1部 5位 | 6勝2分6敗・勝点20(清商として最終参戦年度) |
ユニフォーム
- サプライヤー:アディダス(adidas)
オフィシャルサプライヤーとして長年にわたり採用。
- デザイン・特徴:
歴代フランス代表モデル(トリコロール)の象徴:ホームキットは伝統のロイヤルブルーをベースに、肩や袖口に白いスリーストライプス、胸元に赤と白のボーダーラインや幾何学的パターンを配した歴代フランス代表のクラシックモデル。
アウェイキット:フランス代表アウェイを踏襲した白ベースのクリーンなトリコロールデザイン。
部員人数
- 総部員数:各学年約20名、全体で約60名〜80名
- カテゴリー構成・活動実態:
- トップチーム(Aチーム):高円宮杯 JFA U-18プリンスリーグ東海等に参戦
- セカンドチーム(Bチーム):静岡県ユースリーグ等に参戦
- 各カテゴリーに適正人数を配置し、実戦機会を確保。
- 主な出身チーム:
- 清水FCをはじめとする静岡市内の有力ジュニアユースクラブ、中学校サッカー部、県内外の有力街クラブ・クラブユース。
学校生活
- 練習環境:
- 清水商業高校グラウンド:校内のクレーピッチ(土グラウンド)。夜間照明設備を完備。
- 練習時間:
- 放課後の午後4時前後から約2〜3時間の集中トレーニング。朝練(技術・基礎)も実施。
- 生活体制:
- 市外・県外出身の部員を対象とした下宿体制。
- 寮について:
清水商業高校サッカー部には学校直営の専任寮は存在しませんでしたが、静岡市外や県内外から越境して集まる選手たちを受け入れるため、学校至近の老舗旅館・下宿先である「日本閣」を中心とした下宿体制が確立されていました。
沼津市出身の小野伸二や藤枝市出身の名波浩をはじめ、多くの遠方出身選手がこの下宿先で高校3年間の共同生活を送り、心身を鍛錬しました。下宿では朝晩のバランスの取れた栄養管理や規則正しい生活習慣の徹底が図られ、家庭的な温もりの中で選手たちの体調管理とメンタルケアが支えられていました。
複数人で寝食を共にする生活環境は、ピッチ上での阿吽の呼吸や仲間への強い信頼感を育む絶好の土壌となり、厳しい練習を乗り越える強い精神的支柱となりました。「清商魂」の根底には、グラウンドでの厳しい鍛錬のみならず、下宿生活で培われた強固な人間関係と自立心がありました。
入部するには
- 偏差値:商業科 約48〜52
- 入部方法:
- 一般選抜入試:静岡県公立高校入学者選抜試験による合格・進学。
- 推薦枠・練習会:中学校年代でのトレセンや全国大会等の実績を重視した選考・練習参加。
進路
- 学校推薦・強豪大学進学実績:
- 筑波大学、順天堂大学、法政大学、明治大学、中央大学、専修大学、駒澤大学、福岡大学など、関東・全国のトップレベルの大学サッカー部へ多数の進学実績を保有。
- Jリーグ・海外プロ出身選手一覧(卒業年度順・全員表記):
- 1969年度卒:大瀧雅良(拓殖大学 → 清水商業高校サッカー部監督・教員)
- 1971年度卒:望月豊仁(東京農業大学 → 富士通サッカー部、元日本代表)
- 1972年度卒:内山篤(ヤマハ発動機/ジュビロ磐田、元日本代表、元U-23日本代表監督)
- 1979年度卒:風間八宏(筑波大学 → バイヤー・レバークーゼン → レムシャイト → サンフレッチェ広島、元日本代表)
- 1981年度卒:後藤義一(中央大学 → 古河電工/ジェフユナイテッド市原 → 横浜FC)
- 1981年度卒:佐野達(法政大学 → 日産自動車/横浜マリノス、指導者)
- 1982年度卒:本田美登里(読売日本サッカークラブ・ベレーザ、元日本女子代表、指導者)
- 1984年度卒:江尻篤彦(明治大学 → 古河電工/ジェフユナイテッド市原、元日本代表、指導者)
- 1984年度卒:真田雅則(順天堂大学 → 全日空横浜サッカークラブ → 清水エスパルス、元日本代表GK)
- 1984年度卒:伊達倫央(ヤマハ発動機/ジュビロ磐田)
- 1984年度卒:安藤信仁(日産自動車サッカー部)
- 1985年度卒:杉本雅央(ヤマハ発動機/ジュビロ磐田 → 清水エスパルス)
- 1986年度卒:平岡宏章(順天堂大学 → 清水エスパルス → アルビレックス新潟、指導者)
- 1986年度卒:青嶋文明(ヤマハ発動機 → 清水エスパルス → 本田技研工業)
- 1987年度卒:三浦文丈(筑波大学 → 横浜マリノス → ジュビロ磐田 → FC東京他、元日本代表、指導者)
- 1987年度卒:古賀正人(法政大学 → 横浜マリノス → サガン鳥栖)
- 1988年度卒:野澤憲司(国士舘大学)
- 1989年度卒:藤田俊哉(筑波大学 → ジュビロ磐田 → FCユトレヒト → 名古屋グランパス他、元日本代表)
- 1989年度卒:岩崎泰之(ヤマハ発動機/ジュビロ磐田 → 本田技研工業)
- 1990年度卒:大石尚哉(筑波大学 → ヴェルディ川崎 → サンフレッチェ広島 → 横浜FC、GK、指導者)
- 1990年度卒:山田隆裕(日産自動車/横浜マリノス → 京都パープルサンガ → ベガルタ仙台他、元日本代表)
- 1990年度卒:名波浩(順天堂大学 → ジュビロ磐田 → ACヴェネツィア → セレッソ大阪他、元日本代表)
- 1990年度卒:大岩剛(筑波大学 → 名古屋グランパスエイト → 鹿島アントラーズ、元日本代表、U-23日本代表監督)
- 1990年度卒:薩川了洋(全日空/横浜フリューゲルス → 柏レイソル、指導者)
- 1990年度卒:望月慎之(同志社大学 → 京都パープルサンガ)
- 1991年度卒:興津大三(筑波大学 → セレッソ大阪)
- 1991年度卒:山田祥吾(駒澤大学 → 浦和レッドダイヤモンズ)
- 1992年度卒:望月重良(筑波大学 → 名古屋グランパスエイト → ジュビロ磐田他、元日本代表、SC相模原創設者)
- 1992年度卒:西ヶ谷隆之(筑波大学 → 名古屋グランパスエイト → アビスパ福岡他、指導者)
- 1992年度卒:平野孝(名古屋グランパスエイト → ジュビロ磐田 → バンクーバー・ホワイトキャップス他、元日本代表)
- 1992年度卒:津島三敏(名古屋グランパスエイト)
- 1992年度卒:石野智顕(筑波大学 → モンテディオ山形、GK、現GKコーチ)
- 1992年度卒:安藤智安(駒澤大学 → 浦和レッズ → アビスパ福岡 → 大宮アルディージャ、GK)
- 1993年度卒:川口能活(横浜マリノス → ポーツマスFC → FCノアシェラン → ジュビロ磐田他、元日本代表主将GK)
- 1993年度卒:田中誠(ジュビロ磐田 → アビスパ福岡、元日本代表、指導者)
- 1993年度卒:小川雅己(鹿島アントラーズ → 京都パープルサンガ → セレッソ大阪他)
- 1993年度卒:鈴木悟(順天堂大学 → セレッソ大阪 → 京都パープルサンガ)
- 1994年度卒:佐藤由紀彦(清水エスパルス → モンテディオ山形 → FC東京他、元日本代表、指導者)
- 1994年度卒:安永聡太郎(横浜マリノス → レダ・エスパニョール → 清水エスパルス他、指導者)
- 1994年度卒:朝比奈伸(同志社大学 → ガンバ大阪 → サガン鳥栖)
- 1994年度卒:加藤泰明(名古屋グランパスエイト)
- 1994年度卒:鈴木伸幸(順天堂大学)
- 1994年度卒:藤元大輔(福岡大学)
- 1995年度卒:早川知伸(順天堂大学 → 浦和レッズ → 横浜FC → ジェフユナイテッド千葉、指導者)
- 1995年度卒:大石玲(清水エスパルス → 水戸ホーリーホック → 静岡FC)
- 1995年度卒:小林弘記(ジュビロ磐田 → ヴェルディ川崎 → コンサドーレ札幌 → ロアッソ熊本、GK)
- 1995年度卒:松原忠明(清水エスパルス → ジェフユナイテッド市原 → 東京ヴェルディ1969)
- 1995年度卒:西川周吾(筑波大学 → 水戸ホーリーホック)
- 1995年度卒:新田純也(本田技研工業/Honda FC)
- 1995年度卒:山内恵太(中央大学)
- 1996年度卒:川島眞也(サンフレッチェ広島 → 浦和レッズ → アビスパ福岡 → FC岐阜)
- 1997年度卒:小野伸二(浦和レッズ → フェイエノールト → VfLボーフム → 清水エスパルス他、元日本代表)
- 1997年度卒:平川忠亮(筑波大学 → 浦和レッズ、指導者)
- 1997年度卒:池端陽介(サンフレッチェ広島 → ヴェルスパ大分 → カターレ富山 → 沖縄SV)
- 1997年度卒:前川大樹(本田技研工業/Honda FC、GK)
- 1998年度卒:池田学(浦和レッズ → 湘南ベルマーレ)
- 1998年度卒:水谷雄一(関東学院大学 → ベルマーレ平塚/湘南ベルマーレ → アビスパ福岡他、GK)
- 1998年度卒:小林宏之(筑波大学 → 浦和レッズ → 川崎フロンターレ → 大分トリニータ他)
- 1998年度卒:楽山孝志(中京大学 → ジェフユナイテッド市原・千葉 → サンフレッチェ広島他)
- 1999年度卒:秋本倫孝(法政大学 → ヴァンフォーレ甲府 → 京都サンガF.C.他)
- 1999年度卒:太田恵介(福岡大学 → アビスパ福岡 → ザスパ草津他)
- 2000年度卒:小林大悟(東京ヴェルディ1969 → 大宮アルディージャ → バンクーバー・ホワイトキャップス他、元日本代表)
- 2000年度卒:佐野裕哉(東京ヴェルディ1969 → V・ファーレン長崎 → ギラヴァンツ北九州他)
- 2000年度卒:高木純平(清水エスパルス → コンサドーレ札幌 → モンテディオ山形他)
- 2000年度卒:河野淳吾(サンフレッチェ広島 → 横浜FC → 水戸ホーリーホック)
- 2000年度卒:杉山洋一郎(清水エスパルス)
- 2001年度卒:井上平(法政大学 → 東京ヴェルディ → FC町田ゼルビア他)
- 2001年度卒:谷池洋平(徳島ヴォルティス → 栃木SC他)
- 2001年度卒:田光仁重(立正大学)
- 2002年度卒:菊地直哉(ジュビロ磐田 → FCカールツァイス・イェーナ → 大分トリニータ他、元日本代表)
- 2002年度卒:水野和樹(アルビレックス新潟シンガポール他)
- 2002年度卒:筑城和人(駒澤大学 → 名古屋グランパスエイト)
- 2002年度卒:櫻田真平(沖縄かりゆしFC他)
- 2003年度卒:水野晃樹(ジェフユナイテッド市原・千葉 → セルティックFC → 柏レイソル他、元日本代表)
- 2003年度卒:河野直人(名古屋グランパスエイト → アビスパ福岡 → サンフレッチェ広島、GK)
- 2004年度卒:平岡康裕(清水エスパルス → ベガルタ仙台 → 愛媛FC)
- 2005年度卒:赤星貴文(浦和レッズ → ポゴニ・シュチェチン他)
- 2005年度卒:岡大生(駒澤大学 → ヴァンフォーレ甲府 → ジェフユナイテッド千葉他、GK)
- 2005年度卒:小林史八(ジェフユナイテッド千葉リザーブズ)
- 2006年度卒:庄司悦大(専修大学 → FC町田ゼルビア → レノファ山口FC → 京都サンガF.C.他)
- 2007年度卒:齊藤和樹(中京大学 → ロアッソ熊本 → ジュビロ磐田 → ファジアーノ岡山)
- 2008年度卒:風間宏希(ロウレターノDC → 川崎フロンターレ → ザスパ群馬他)
- 2008年度卒:松本陽介(専修大学 → ギラヴァンツ北九州)
- 2009年度卒:前澤甲気(専修大学 → ソニー仙台FC → ヴァンラーレ八戸)
- 2010年度卒:風間宏矢(川崎フロンターレ → 大分トリニータ → ジェフユナイテッド市原・千葉他)
- 2011年度卒:佐野翼(順天堂大学 → アルビレックス新潟シンガポール → ロアッソ熊本他)
- 2011年度卒:新井一耀(順天堂大学 → 横浜F・マリノス → 名古屋グランパス → ジェフユナイテッド市原・千葉他)
- 2011年度卒:青木翼(順天堂大学 → FC岐阜 → ザスパクサツ群馬)













