長池実(藤枝東高校)高校サッカー名将列伝
目次
1. 監督総評
「サッカー王国静岡」の絶対的な礎を築き、伝統の藤色ユニフォームを全国に轟かせた高校サッカー界不滅の名将。
国語教諭として教壇に立ちながら、1958年から26年間にわたり藤枝東高校を指揮。1969年にはデットマール・クラマーが指導した「第1回FIFA国際コーチング・スクール」を全国の高体連指導者として受講し、最新のヨーロッパサッカー理論と組織的パスワークをチームに導入した。精神論にとらわれず、状況判断力と個人技、連動したパスサッカーを融合させた指導スタイルは、全国の高校サッカー界に近代化の波をもたらした。
在任中に全国高校サッカー選手権で優勝4回(1962, 1963, 1966, 1970年)・準優勝2回、インターハイ優勝2回(第1回大会王者含む)・準優勝2回を達成。1966年には高校総体・国体・選手権をすべて制覇する「史上初の高校3冠」という金字塔を打ち立てた。山口芳忠、桑原勝義、菊川凱夫、松永信夫、中村一義、服部康雄など、日本代表としてオリンピックで活躍した名手や、後に指導者として静岡サッカーを牽引する幾多の人材を育成した。
2. 基本情報
- 氏名:長池 実(ナガイケ ミノル)
- 生年月日:1931年生まれ(故人)
- 現所属:元・静岡県立藤枝東高等学校 サッカー部 監督、元・静岡県立浜松商業高等学校 サッカー部 監督
3. 指導歴
- 1954年4月 – 1958年3月:静岡県立静岡高等学校 国語科教諭(サッカー部指導)
- 1958年4月 – 1984年3月:静岡県立藤枝東高等学校 国語科教諭・サッカー部 監督(26年間指揮)
- 1969年7月 – 9月:第1回FIFA国際コーチング・スクール(講師:デットマール・クラマー)受講
- 1984年4月 – :静岡県立浜松商業高等学校 国語科教諭・サッカー部 監督
4. 指導者戦績
■ 全国高校サッカー選手権(出場12回 優勝:4回 準優勝:2回 ベスト4:2回 ベスト8:4回)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1958年 | 藤枝東高校 | 第37回全国高校サッカー選手権(初出場) | ベスト8 | 長池監督就任初年度・準々決勝進出 |
| 1959年 | 藤枝東高校 | 第38回全国高校サッカー選手権(2年連続2回目) | ベスト4(3位) | 準決勝進出 |
| 1960年 | 藤枝東高校 | 第39回全国高校サッカー選手権(3年連続3回目) | ベスト4(3位) | 2年連続4強進出 |
| 1961年 | 藤枝東高校 | 第40回全国高校サッカー選手権(4年連続4回目) | 1回戦敗退 | |
| 1962年 | 藤枝東高校 | 第41回全国高校サッカー選手権(5年連続5回目) | 優勝 | 選手権初制覇・静岡県勢初の全国選手権優勝 |
| 1963年 | 藤枝東高校 | 第42回全国高校サッカー選手権(6年連続6回目) | 優勝 | 大会2連覇・2度目の選手権優勝(山口芳忠) |
| 1964年 | 藤枝東高校 | 第43回全国高校サッカー選手権(7年連続7回目) | ベスト8 | 準々決勝進出(松永信夫) |
| 1965年 | 藤枝東高校 | 第44回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準優勝 | 藤枝北高校が全国出場 |
| 1966年 | 藤枝東高校 | 第45回全国高校サッカー選手権(2年ぶり8回目) | 優勝 | 3度目の優勝・史上初の高校3冠達成(秋田商と両校V) |
| 1967年 | 藤枝東高校 | 第46回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | |
| 1968年 | 藤枝東高校 | 第47回全国高校サッカー選手権(2年ぶり9回目) | ベスト8 | 準々決勝進出 |
| 1969年 | 藤枝東高校 | 第48回全国高校サッカー選手権(2年連続10回目) | ベスト8 | 準々決勝進出(菊川凱夫) |
| 1970年 | 藤枝東高校 | 第49回全国高校サッカー選手権(3年連続11回目) | 優勝 | 4度目の選手権優勝(決勝で浜名との静岡県勢対決) |
| 1971年 | 藤枝東高校 | 第50回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 清水市商が全国4強 |
| 1972年 | 藤枝東高校 | 第51回全国高校サッカー選手権(2年ぶり12回目) | 準優勝 | 決勝進出(中村一義、服部康雄) |
| 1973年 | 藤枝東高校 | 第52回全国高校サッカー選手権(2年連続13回目) | 準優勝 | 2年連続決勝進出(中村一義、服部康雄) |
| 1974年 | 藤枝東高校 | 第53回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準優勝 | 清水東高校が全国準優勝 |
| 1975年 | 藤枝東高校 | 第54回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準優勝 | 静岡工高校が全国準優勝 |
| 1976年 | 藤枝東高校 | 第55回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準決勝敗退 | 静岡学園高校が全国準優勝 |
| 1977年 | 藤枝東高校 | 第56回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準決勝敗退 | 浜名高校が出場 |
| 1978年 | 藤枝東高校 | 第57回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準決勝敗退 | 静岡学園高校が出場 |
| 1979年 | 藤枝東高校 | 第58回全国高校サッカー選手権(6年ぶり14回目) | 1回戦敗退 | 本大会出場 |
| 1980年 | 藤枝東高校 | 第59回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準決勝敗退 | 清水東高校が全国準優勝 |
| 1981年 | 藤枝東高校 | 第60回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準決勝敗退 | 清水市商が全国4強 |
| 1982年 | 藤枝東高校 | 第61回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準々決勝敗退 | 清水東高校が全国優勝 |
| 1983年 | 藤枝東高校 | 第62回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準決勝敗退 | 清水東高校が全国準優勝(藤枝東最終年度) |
| 1984年 | 浜松商業高校 | 第63回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 浜松商監督就任 |
■ 全国高校総体(インターハイ)(出場5回 優勝:2回 準優勝:2回 ベスト8:1回)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1966年 | 藤枝東高校 | 昭和41年度全国高校総体(初出場) | 優勝 | 記念すべき第1回インターハイ初代王者 |
| 1967年 | 藤枝東高校 | 昭和42年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | |
| 1968年 | 藤枝東高校 | 昭和43年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | |
| 1969年 | 藤枝東高校 | 昭和44年度全国高校総体 | 静岡県予選準優勝 | 清水市商が出場・準優勝 |
| 1970年 | 藤枝東高校 | 昭和45年度全国高校総体 | 静岡県予選準決勝敗退 | |
| 1971年 | 藤枝東高校 | 昭和46年度全国高校総体(5年ぶり2回目) | 優勝 | 2度目のインターハイ全国制覇 |
| 1972年 | 藤枝東高校 | 昭和47年度全国高校総体 | 静岡県予選準優勝 | 清水東高校が全国優勝 |
| 1973年 | 藤枝東高校 | 昭和48年度全国高校総体(2年ぶり3回目) | ベスト8 | 準々決勝進出(中村一義、服部康雄) |
| 1974年 | 藤枝東高校 | 昭和49年度全国高校総体 | 静岡県予選準決勝敗退 | |
| 1975年 | 藤枝東高校 | 昭和50年度全国高校総体(2年ぶり4回目) | 準優勝 | 全国決勝進出 |
| 1976年 | 藤枝東高校 | 昭和51年度全国高校総体(2年連続5回目) | 準優勝 | 2年連続全国決勝進出 |
| 1977年 | 藤枝東高校 | 昭和52年度全国高校総体 | 静岡県予選準決勝敗退 | |
| 1978年 | 藤枝東高校 | 昭和53年度全国高校総体 | 静岡県予選準決勝敗退 | |
| 1979年 | 藤枝東高校 | 昭和54年度全国高校総体 | 静岡県予選準々決勝敗退 | |
| 1980年 | 藤枝東高校 | 昭和55年度全国高校総体 | 静岡県予選準決勝敗退 | 清水東高校が全国優勝 |
| 1981年 | 藤枝東高校 | 昭和56年度全国高校総体 | 静岡県予選準決勝敗退 | 清水東高校が全国連覇 |
| 1982年 | 藤枝東高校 | 昭和57年度全国高校総体 | 静岡県予選準々決勝敗退 | 清水東高校が出場 |
| 1983年 | 藤枝東高校 | 昭和58年度全国高校総体 | 静岡県予選準決勝敗退 | 清水東高校が出場(藤枝東最終年度) |
| 1984年 | 浜松商業高校 | 昭和59年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 浜松商赴任 |
■ 高円宮杯 JFA U-18 / 全日本ユース
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1958年 – 1984年 | 藤枝東高校 / 浜松商業高校 | 高円宮杯 JFA U-18 / 全日本ユース | 大会創設前(該当なし) | 1989年創設 |
5. 選手経歴
(1) 出身チーム
- 2種(高校・ユース):東京都立大泉高等学校 サッカー部
- 3種(中学・ジュニアユース):東京都内中学校 サッカー部
- 4種(小学・ジュニア・少年団):東京都内小学校
(2) 卒業後の進路
- 大学:東京教育大学(現・筑波大学) 国語科(蹴球部)
- プロ:なし(大学卒業後、1954年に静岡県立静岡高校へ国語科教諭として赴任)
- 日本代表:該当なし
(3) 選手時代の総評
東京都練馬区出身。旧制中学・新制高校時代からサッカーに親しみ、ボールを扱う基本技術と戦術的な駆け引きを磨いた。
東京教育大学(現・筑波大学)に進学後は蹴球部に所属し、大学サッカーのハイレベルな環境でプレー。文武両道を実践しながら国語教員としての学びを深めるとともに、指導者としての戦術眼や運動理論の基礎を体系的に身につけた。大学卒業後は実業団へ進む道ではなく教職の道を選び、1954年に静岡県立静岡高等学校へ国語科教諭として赴任した。
自らの学生時代に培った論理的な思考力と教育者としての情熱が、その後の指導スタイルの根幹となった。1958年に藤枝東高校へ赴任後は、サッカーを単なるスポーツにとどまらず「知性と人間性を磨く教育」として位置づけ、生徒自らに考えさせる指導を実践。この選手・学生時代の文武両道の歩みが、後に数々の全国タイトルを獲得し静岡を王国へと押し上げる偉大な指導者キャリアの確固たる基盤となった。









