勝澤要(清水東高校)高校サッカー名将列伝
目次
1. 監督総評
青いユニフォーム「ブルーレジェンド」清水東高校を率い、激戦区・静岡を制して全国高校選手権優勝1回・準優勝3回、インターハイ優勝3回と計4度の全国制覇を成し遂げた名将。
指導理念の根幹にあるのは「文武両道」と「初志貫徹の精神力」である。県内屈指の進学校でありながら、妥協のない規律と基本技術の反復、状況判断を極限まで高める情熱的な指導を実践した。テスト期間中の学業と厳しい練習の両立を徹底させ、サッカーを通じた人間形成を重視。1980年代初頭には、卓越したテクニックとスピードを誇る「清水東三羽烏(長谷川健太、大榎克己、堀池巧)」を擁し、流麗かつダイナミックな攻撃サッカーで全国を魅了した。
特筆すべきは全国高校選手権における驚異的な勝負強さであり、出場した4大会(1974、1980、1982、1983年度)すべてで決勝進出を果たし、1982年度には国立競技場を埋め尽くす大観衆の前で悲願の全国初制覇を達成。長谷川健太、大榎克己、堀池巧、反町康治、武田修宏、内田一夫、望月哲也など、日本代表やJリーグで輝き、現役引退後も監督やクラブ幹部として日本サッカー界を牽引する幾多のリーダーを育成した。
2. 基本情報
- 氏名:勝澤 要(カツザワ カナメ / 表記:勝沢 要)
- 生年月日:1939年5月4日生まれ
- 現所属:元・静岡県立清水東高等学校 サッカー部 監督、元・静岡県立熱海高等学校 校長、元・熱海市教育委員会 教育長、元・株式会社エスパルス 顧問
3. 指導歴
- 1962年4月 – 1966年3月:静岡県内公立高等学校 教諭
- 1966年4月 – 1984年3月:静岡県立清水東高等学校 保健体育科教諭・サッカー部 監督(18年間指揮)
- その後:静岡県立熱海高等学校 校長、熱海市教育委員会 教育長などを歴任
- 2007年5月 – :株式会社エスパルス 顧問
- 2009年秋:瑞宝小綬章 受章
4. 指導者戦績
全国高校サッカー選手権
出場4回 優勝:1回 準優勝:3回 ベスト4:0回 ベスト8:0回(※出場した全4大会すべてで決勝進出)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1966年 | 清水東高校 | 第45回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 監督就任初年度(藤枝東が全国優勝) |
| 1967年 | 清水東高校 | 第46回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | |
| 1968年 | 清水東高校 | 第47回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国8強 |
| 1969年 | 清水東高校 | 第48回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 清水市商・藤枝東が全国8強 |
| 1970年 | 清水東高校 | 第49回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国優勝 |
| 1971年 | 清水東高校 | 第50回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 清水市商が全国4強 |
| 1972年 | 清水東高校 | 第51回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国準優勝 |
| 1973年 | 清水東高校 | 第52回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国準優勝 |
| 1974年 | 清水東高校 | 第53回全国高校サッカー選手権(初出場) | 準優勝 | 選手権初出場・全国決勝進出(決勝で帝京に敗退) |
| 1975年 | 清水東高校 | 第54回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準決勝敗退 | 静岡工高校が全国準優勝 |
| 1976年 | 清水東高校 | 第55回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準決勝敗退 | 静岡学園高校が全国準優勝 |
| 1977年 | 清水東高校 | 第56回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 浜名高校が出場 |
| 1978年 | 清水東高校 | 第57回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 静岡学園高校が出場 |
| 1979年 | 清水東高校 | 第58回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が出場 |
| 1980年 | 清水東高校 | 第59回全国高校サッカー選手権(6年ぶり2回目) | 準優勝 | 2度目の決勝進出(決勝で古河一に1-2惜敗 / 反町康治、望月哲也) |
| 1981年 | 清水東高校 | 第60回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準決勝敗退 | 清水市商が全国4強 |
| 1982年 | 清水東高校 | 第61回全国高校サッカー選手権(2年ぶり3回目) | 優勝 | 悲願の選手権初制覇・全国優勝(長谷川健太、大榎克己、堀池巧、反町康治) |
| 1983年 | 清水東高校 | 第62回全国高校サッカー選手権(2年連続4回目) | 準優勝 | 2年連続決勝進出(決勝で帝京に0-1惜敗 / 武田修宏、長谷川健太、大榎克己、堀池巧) |
| 1984年 | 清水東高校 | 第63回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 監督退任(藤枝東が出場) |
全国高校総体(インターハイ)
出場5回 優勝:3回 準優勝:0回 ベスト4:0回 ベスト8:0回(※1966年度大会創設以降)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1966年 | 清水東高校 | 昭和41年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 第1回大会(藤枝東が優勝) |
| 1967年 | 清水東高校 | 昭和42年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | |
| 1968年 | 清水東高校 | 昭和43年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | |
| 1969年 | 清水東高校 | 昭和44年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 清水市商が出場・準優勝 |
| 1970年 | 清水東高校 | 昭和45年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | |
| 1971年 | 清水東高校 | 昭和46年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国優勝 |
| 1972年 | 清水東高校 | 昭和47年度全国高校総体(初出場) | 優勝 | インターハイ初出場初優勝・全国制覇 |
| 1973年 | 清水東高校 | 昭和48年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国8強 |
| 1974年 | 清水東高校 | 昭和49年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | |
| 1975年 | 清水東高校 | 昭和50年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国準優勝 |
| 1976年 | 清水東高校 | 昭和51年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国準優勝 |
| 1977年 | 清水東高校 | 昭和52年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | |
| 1978年 | 清水東高校 | 昭和53年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | |
| 1979年 | 清水東高校 | 昭和54年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | |
| 1980年 | 清水東高校 | 昭和55年度全国高校総体(8年ぶり2回目) | 優勝 | 2度目の総体全国制覇(反町康治、望月哲也) |
| 1981年 | 清水東高校 | 昭和56年度全国高校総体(2年連続3回目) | 優勝 | 大会2連覇・3度目の総体優勝(長谷川健太、大榎克己、堀池巧、反町康治) |
| 1982年 | 清水東高校 | 昭和57年度全国高校総体(3年連続4回目) | 2回戦敗退 | (長谷川健太、大榎克己、堀池巧) |
| 1983年 | 清水東高校 | 昭和58年度全国高校総体(4年連続5回目) | 2回戦敗退 | (長谷川健太、大榎克己、堀池巧、武田修宏) |
| 1984年 | 清水東高校 | 昭和59年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 監督退任(清水市商が出場・4強) |
高円宮杯 JFA U-18 / 全日本ユース
大会創設前(該当なし ※1989年創設)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1966年 – 1984年 | 清水東高校 | 高円宮杯 JFA U-18 / 全日本ユース | 大会創設前(該当なし) | 1989年創設 |
5. 選手経歴
(1) 出身チーム
- 2種(高校・ユース):静岡県立清水東高等学校 サッカー部(10回生)
- 3種(中学・ジュニアユース):静岡大学教育学部附属静岡中学校 サッカー部
- 4種(小学・ジュニア・少年団):袖師町立袖師小学校
(2) 卒業後の進路
- 大学:東京教育大学(現・筑波大学) 体育学部(蹴球部)
- プロ:なし(大学卒業後、教職に就き指導者に専念)
- 日本代表:該当なし
(3) 選手時代の総評
静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。幼少期より袖師小学校、静岡大学教育学部附属静岡中学校でサッカーに親しみ、名門・静岡県立清水東高校へ進学。高校時代は10回生としてサッカー部に所属し、サッカー部創設者である恩師・福井半治のもとで基本技術と文武両道の精神を叩き込まれた。
東京教育大学(現・筑波大学)体育学部に進学後は蹴球部に所属し、ハイレベルな大学サッカーの舞台でプレー。大学時代に近代的な運動理論や指導法を体系的に学び、教育者としての見識を深めた。大学卒業後は静岡県内の高校教員となり、1966年に母校・清水東高校へ赴任した。
自らが清水東の選手として培った母校への誇りと、東京教育大学で培った理論的アプローチが、その後の指導者人生の確固たる礎となった。母校の青いユニフォームに込められた伝統を受け継ぎ、生徒たちに「初志貫徹」を説き続けた選手時代の歩みは、後に数々の全国タイトルを獲得し清水東黄金時代を築く偉大な名将キャリアへと結実した。










