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松本暁司(浦和南高校)高校サッカー名将列伝

松本暁司_浦和南

松本暁司(浦和南高校)高校サッカー名将列伝

1. 監督総評

「赤き血のイレブン」のモデルとして全国にその名を轟かせ、高校サッカー史上初の「全国3冠」を成し遂げた伝説の名将。

1963年の浦和南高校開校とともに初代監督に着任。「走れない奴はピッチに立つ資格がない」と徹底した走り込みとハードワーク、不屈の闘争心を植え付ける指導は「鬼松」の異名で恐れられた。しかしその厳しさの裏には、選手一人ひとりの自立と人間的成長を深く見守る教育愛があった。圧倒的な運動量と泥臭い守備から縦へ素早く仕掛ける攻撃サッカーは「南高スタイル」として全国を席巻した。

1969年にはエース・永井良和らを擁し、インターハイ・国体・全国高校選手権のすべてを制する「高校サッカー史上初の3冠」を達成。この常勝軍団の躍進は漫画・TVアニメ『赤き血のイレブン』の原型となった。さらに1975年度・1976年度には選手権連覇を成し遂げるなど、選手権優勝3回、インターハイ優勝1回、国体優勝4回と計8度の全国制覇を達成。永井良和、福家三男、斉藤和夫、田嶋幸三、水沼貴史、野崎正治など、日本代表やJFA幹部として日本サッカーを牽引する幾多の人材を育成した。

2. 基本情報

  • 氏名:松本 暁司(マツモト ギョウジ)
  • 生年月日:1934年8月13日生まれ(2019年9月2日逝去)
  • 現所属:元・さいたま市立浦和南高等学校 サッカー部 監督、元・埼玉県立浦和高等学校 サッカー部 監督、元・U-20サッカー日本代表 監督

3. 指導歴

  • 1957年4月 – 1963年3月:埼玉県立浦和高等学校 教諭・サッカー部 監督
  • 1963年4月 – 1987年3月:浦和市立南高等学校(現・さいたま市立浦和南高等学校) 保健体育科教諭・サッカー部 監督(開校と同時に就任、24年間指導)
  • 1980年:U-20サッカー日本代表 監督
  • 1987年4月 – 1995年3月:埼玉県立浦和高等学校 教諭・サッカー部 監督(定年退職まで指導)
  • その後:埼玉県サッカー協会専務理事・副会長、埼玉県体育協会副会長などを歴任

4. 指導者戦績

■ 全国高校サッカー選手権(出場10回 優勝:3回 準優勝:0回 ベスト4:2回 ベスト8:4回)

年度 高校名 大会名(出場回数) 成績・結果 備考
1963年浦和南高校第42回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退創立・監督就任初年度
1964年浦和南高校第43回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退浦和市立高校が全国優勝
1965年浦和南高校第44回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退川口工高校が出場
1966年浦和南高校第45回全国高校サッカー選手権(初出場)ベスト8創部4年目で選手権初出場・準々決勝進出
1967年浦和南高校第46回全国高校サッカー選手権(2年連続2回目)ベスト82年連続準々決勝進出
1968年浦和南高校第47回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退県川口高校が出場
1969年浦和南高校第48回全国高校サッカー選手権(2年ぶり3回目)優勝選手権初制覇・史上初の高校3冠達成(永井良和、福家三男、森田英夫)
1970年浦和南高校第49回全国高校サッカー選手権(2年連続4回目)ベスト4(3位)準決勝進出(斉藤和夫、永井良和)
1971年浦和南高校第50回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退浦和市立高校が出場
1972年浦和南高校第51回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退浦和市立高校が全国優勝
1973年浦和南高校第52回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退浦和西高校が全国8強
1974年浦和南高校第53回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退児玉高校が全国4強
1975年浦和南高校第54回全国高校サッカー選手権(5年ぶり5回目)優勝2度目の選手権優勝(田嶋幸三、野崎正治)
1976年浦和南高校第55回全国高校サッカー選手権(2年連続6回目)優勝大会2連覇・3度目の選手権優勝(決勝で静岡学園に5-4勝利 / 水沼貴史、田嶋幸三)
1977年浦和南高校第56回全国高校サッカー選手権(3年連続7回目)ベスト4(3位)準決勝進出(水沼貴史)
1978年浦和南高校第57回全国高校サッカー選手権(4年連続8回目)2回戦敗退本大会出場(水沼貴史)
1979年浦和南高校第58回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退武南高校が出場
1980年浦和南高校第59回全国高校サッカー選手権(2年ぶり9回目)ベスト8準々決勝進出
1981年浦和南高校第60回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退武南高校が全国優勝
1982年浦和南高校第61回全国高校サッカー選手権(2年ぶり10回目)ベスト8準々決勝進出(松本体制最後の選手権出場)
1983年浦和南高校第62回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退浦和市立高校が全国8強
1984年浦和南高校第63回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退武南高校が全国4強
1985年浦和南高校第64回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退大宮東高校が出場
1986年浦和南高校第65回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退浦和南高校監督最終年度
1987年浦和高校第66回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退浦和高校へ転任
1988年浦和高校第67回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退
1989年浦和高校第68回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退
1990年浦和高校第69回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退
1991年浦和高校第70回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退
1992年浦和高校第71回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退
1993年浦和高校第72回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退
1994年浦和高校第73回全国高校サッカー選手権埼玉県予選敗退浦和高校定年退職年度

■ 全国高校総体(インターハイ)(出場7回 優勝:1回 準優勝:1回 ベスト8:3回)

年度 高校名 大会名(出場回数) 成績・結果 備考
1966年浦和南高校昭和41年度全国高校総体埼玉県予選敗退第1回大会
1967年浦和南高校昭和42年度全国高校総体埼玉県予選敗退浦和市立高校が出場
1968年浦和南高校昭和43年度全国高校総体埼玉県予選敗退浦和市立高校が出場
1969年浦和南高校昭和44年度全国高校総体(初出場)優勝インターハイ全国初制覇・3冠の第1冠(永井良和)
1970年浦和南高校昭和45年度全国高校総体(2年連続2回目)ベスト8準々決勝進出(永井良和)
1971年浦和南高校昭和46年度全国高校総体埼玉県予選敗退浦和市立高校が出場
1972年浦和南高校昭和47年度全国高校総体埼玉県予選敗退児玉高校が出場
1973年浦和南高校昭和48年度全国高校総体埼玉県予選敗退児玉高校が全国優勝
1974年浦和南高校昭和49年度全国高校総体(4年ぶり3回目)2回戦敗退本大会出場
1975年浦和南高校昭和50年度全国高校総体埼玉県予選敗退児玉高校が出場
1976年浦和南高校昭和51年度全国高校総体埼玉県予選敗退児玉高校が出場
1977年浦和南高校昭和52年度全国高校総体(3年ぶり4回目)準優勝全国決勝進出(水沼貴史)
1978年浦和南高校昭和53年度全国高校総体(2年連続5回目)ベスト8準々決勝進出(水沼貴史)
1979年浦和南高校昭和54年度全国高校総体埼玉県予選敗退武南高校が出場
1980年浦和南高校昭和55年度全国高校総体(2年ぶり6回目)1回戦敗退本大会出場
1981年浦和南高校昭和56年度全国高校総体(2年連続7回目)ベスト8準々決勝進出(松本体制最後の総体出場)
1982年浦和南高校昭和57年度全国高校総体埼玉県予選敗退武南高校が出場
1983年浦和南高校昭和58年度全国高校総体埼玉県予選敗退武南高校が出場
1984年浦和南高校昭和59年度全国高校総体埼玉県予選敗退武南高校が出場
1985年浦和南高校昭和60年度全国高校総体埼玉県予選敗退大宮東高校が出場
1986年浦和南高校昭和61年度全国高校総体埼玉県予選敗退武南高校が出場(浦和南最終年度)
1987年浦和高校昭和62年度全国高校総体埼玉県予選敗退浦和高校へ転任
1988年浦和高校昭和63年度全国高校総体埼玉県予選敗退
1989年浦和高校平成元年度全国高校総体埼玉県予選敗退
1990年浦和高校平成2年度全国高校総体埼玉県予選敗退
1991年浦和高校平成3年度全国高校総体埼玉県予選敗退
1992年浦和高校平成4年度全国高校総体埼玉県予選敗退
1993年浦和高校平成5年度全国高校総体埼玉県予選敗退
1994年浦和高校平成6年度全国高校総体埼玉県予選敗退浦和高校定年退職年度

■ 高円宮杯 JFA U-18 / 全日本ユース

年度 高校名 大会名(出場回数) 成績・結果 備考
1963年 – 1988年浦和南高校 / 浦和高校高円宮杯 JFA U-18 / 全日本ユース大会創設前(該当なし)1989年創設
1989年 – 1994年浦和高校高円宮杯全日本ユース選手権埼玉県予選敗退本大会出場なし

5. 選手経歴

(1) 出身チーム

  • 2種(高校・ユース):埼玉県立浦和高等学校 サッカー部
  • 3種(中学・ジュニアユース):浦和市立岸中学校 サッカー部
  • 4種(小学・ジュニア・少年団):浦和市立高砂小学校

(2) 卒業後の進路

  • 大学:明治大学 商学部(蹴球部)
  • プロ:なし(大学卒業後、高校教員として地方公務員となり指導者に専念)
  • 日本代表:国際Aマッチ1試合出場・0得点(1958年5月28日 香港戦、GK)

(3) 選手時代の総評

サッカーの街・埼玉県浦和市に生まれ、高砂小、岸中を経て名門・埼玉県立浦和高校(浦高)へ進学。高校時代は守護神GKとして抜群の反射神経と勇敢なセービングを武器にゴールマウスを守り、全国高校サッカー選手権大会で優勝を経験した。

明治大学商学部に進学後も蹴球部の正GKとしてゴールを守り、強烈なキャプテンシーと的確なコーチングで大学サッカー界をリード。1958年には日本代表に選出され、同年5月28日の国際Aマッチ(香港戦)に出場した。大学卒業後は教職の道に進み、母校・浦和高校で教鞭を執りながら選手としても埼玉教員団等で国体優勝に貢献した。

自らがトップレベルのGKとして培った「最後方から全体を見渡す戦術眼」と、徹底した基本技術へのこだわりは、後の指導者としての強烈な勝負哲学の礎となった。選手として日の丸を背負った誇りと経験が、浦和南高校をゼロから立ち上げ、全国3冠や選手権連覇を成し遂げる不滅の名将キャリアへと結実した。