望月保次(東海大一高校)高校サッカー名将列伝
目次
1. 監督総評
静岡・清水の激戦区において東海大一高校(現・東海大学付属静岡翔洋高等学校)を率い、ブラジル人留学生の受け入れや先進的なパスワークを導入して全国高校選手権優勝1回・準優勝1回、インターハイ準優勝1回と輝かしい実績を打ち立てた名将。
公立の伝統校が覇を競っていた当時の静岡高校サッカー界において、「体力やスピードだけでなく、個のイマジネーションと高い技術力で勝負する」という柔軟かつ先進的な指導哲学を確立した。日系ブラジル人の三渡洲アデミールを留学生として受け入れ、理不尽な根性論を排した自由な発想と選手自らが判断する思考力を重視。卓越した個人技と流麗なパスワークを融合させた魅力的なサッカースタイルを築き上げた。
1986年度の全国高校選手権では、初出場ながらアデミールの正確無比なフリーキックと澤登正朗を中心とする華麗なパスサッカーで全国初制覇を達成。翌1987年度も平澤政輝が得点王を獲得し2年連続で選手権決勝に進出した。さらに地元静岡開催となった1991年度のインターハイでは全国準優勝を果たすなど黄金期を創出。澤登正朗、大嶽直人、吉田康弘、内藤直樹、服部年宏、伊東輝悦、平澤政輝など、日本代表やJリーグ草創期を象徴する数多くの名手を育て上げた。
2. 基本情報
- 氏名:望月 保次(モチヅキ ヤスジ)
- 生年月日:1947年度生まれ
- 現所属:元・東海大学第一高等学校 サッカー部 監督、元・清水エスパルス 強化部長・取締役、JFA公認S級コーチ
3. 指導歴
- 1970年代 – 1991年:東海大学第一高等学校 保健体育科教諭・サッカー部 監督
- 1992年 – :清水エスパルス 強化部長・フロント幹部
- JFA公認S級コーチライセンス取得(指導者養成・普及活動に尽力)
4. 指導者戦績
全国高校サッカー選手権
出場2回 優勝:1回 準優勝:1回 ベスト4:0回 ベスト8:0回(※初出場から2年連続決勝進出)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1975年 | 東海大一高校 | 第54回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 静岡工高校が全国準優勝 |
| 1976年 | 東海大一高校 | 第55回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 静岡学園高校が全国準優勝 |
| 1977年 | 東海大一高校 | 第56回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 浜名高校が本大会出場 |
| 1978年 | 東海大一高校 | 第57回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選敗退 | 静岡学園高校が本大会出場 |
| 1979年 | 東海大一高校 | 第58回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選ベスト4 | 準決勝で藤枝東高校に惜敗 |
| 1980年 | 東海大一高校 | 第59回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選ベスト8 | 清水東高校が全国準優勝 |
| 1981年 | 東海大一高校 | 第60回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選ベスト4 | 清水市商が全国4強進出 |
| 1982年 | 東海大一高校 | 第61回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選決勝敗退 | 県決勝で清水東に2-3逆転惜敗 |
| 1983年 | 東海大一高校 | 第62回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選ベスト8 | 清水東高校が全国準優勝 |
| 1984年 | 東海大一高校 | 第63回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選ベスト4 | 藤枝東高校が本大会出場 |
| 1985年 | 東海大一高校 | 第64回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選準優勝 | 決勝で清水市商に敗退(清商が全国制覇) |
| 1986年 | 東海大一高校 | 第65回全国高校サッカー選手権(初出場) | 優勝 | 選手権初出場初優勝・全国制覇(決勝で国見に2-0勝利 / アデミール・サントス、澤登正朗、平澤政輝、大嶽直人、吉田康弘、内藤直樹) |
| 1987年 | 東海大一高校 | 第66回全国高校サッカー選手権(2年連続2回目) | 準優勝 | 2年連続決勝進出(決勝で国見に0-1惜敗 / 平澤政輝が得点王獲得、澤登正朗、大嶽直人、吉田康弘) |
| 1988年 | 東海大一高校 | 第67回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選ベスト8 | 清水市商が全国制覇 |
| 1989年 | 東海大一高校 | 第68回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選ベスト4 | 準決勝で清水市商に敗退 |
| 1990年 | 東海大一高校 | 第69回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選決勝敗退 | 県決勝で清水東と0-0(PK戦敗退 / 服部年宏、伊東輝悦) |
| 1991年 | 東海大一高校 | 第70回全国高校サッカー選手権 | 静岡県予選ベスト4 | 準決勝で藤枝東に惜敗(監督最終年度) |
全国高校総体(インターハイ)
出場1回 優勝:0回 準優勝:1回 ベスト4:0回 ベスト8:0回(※1966年度大会創設以降)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1975年 | 東海大一高校 | 昭和50年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国準優勝 |
| 1976年 | 東海大一高校 | 昭和51年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が全国準優勝 |
| 1977年 | 東海大一高校 | 昭和52年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 浜名高校が出場 |
| 1978年 | 東海大一高校 | 昭和53年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 静岡学園高校が出場 |
| 1979年 | 東海大一高校 | 昭和54年度全国高校総体 | 静岡県予選敗退 | 藤枝東高校が出場 |
| 1980年 | 東海大一高校 | 昭和55年度全国高校総体 | 静岡県予選ベスト4 | 清水東高校が全国優勝 |
| 1981年 | 東海大一高校 | 昭和56年度全国高校総体 | 静岡県予選ベスト4 | 清水東高校が全国優勝 |
| 1982年 | 東海大一高校 | 昭和57年度全国高校総体 | 静岡県予選準優勝 | 決勝で清水東高校に惜敗 |
| 1983年 | 東海大一高校 | 昭和58年度全国高校総体 | 静岡県予選ベスト8 | 清水東高校が出場 |
| 1984年 | 東海大一高校 | 昭和59年度全国高校総体 | 静岡県予選準優勝 | 決勝で清水市商に惜敗 |
| 1985年 | 東海大一高校 | 昭和60年度全国高校総体 | 静岡県予選ベスト4 | 清水市商が出場 |
| 1986年 | 東海大一高校 | 昭和61年度全国高校総体 | 静岡県予選準優勝 | 決勝で清水市商に惜敗 |
| 1987年 | 東海大一高校 | 昭和62年度全国高校総体 | 静岡県予選準優勝 | 決勝で清水市商に惜敗(清水市商が本大会出場) |
| 1988年 | 東海大一高校 | 昭和63年度全国高校総体 | 静岡県予選準優勝 | 決勝で清水市商に惜敗 |
| 1989年 | 東海大一高校 | 平成元年度全国高校総体 | 静岡県予選ベスト4 | 清水市商が全国優勝 |
| 1990年 | 東海大一高校 | 平成2年度全国高校総体 | 静岡県予選ベスト4 | 清水市商が全国優勝 |
| 1991年 | 東海大一高校 | 平成3年度全国高校総体(初出場) | 準優勝 | 地元静岡開催で総体初出場・全国決勝進出(決勝で清水東と対戦 / 服部年宏、伊東輝悦) |
高円宮杯 JFA U-18 / 全日本ユース
出場1回 1回戦敗退:1回(※1989年度大会創設以降)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1989年 | 東海大一高校 | 第1回全日本ユース選手権 | 静岡県予選敗退 | 大会創設初年度 |
| 1990年 | 東海大一高校 | 第2回全日本ユース選手権 | 静岡県予選敗退 | 清水市商が出場 |
| 1991年 | 東海大一高校 | 第3回全日本ユース選手権(初出場) | 1回戦敗退 | 1回戦で国見にPK戦敗退(服部年宏、伊東輝悦) |
5. 選手経歴
(1) 出身チーム
- 2種(高校・ユース):静岡県立清水東高等学校 サッカー部
- 3種(中学・ジュニアユース):静岡県内中学校 サッカー部
- 4種(小学・ジュニア・少年団):静岡県内少年団
(2) 卒業後の進路
- 大学:日本体育大学 体育学部(学友会サッカー部)
- 社会人・実業団:本田技研工業サッカー部(現・Honda FC)
- プロ:なし(現役引退後、教職に就き指導者に専念)
- 日本代表:該当なし
(3) 選手時代の総評
サッカー王国・静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれ育ち、名門・静岡県立清水東高校へ進学。高校時代はサッカー部に所属し、激戦区・静岡のハイレベルな環境で基本技術と戦術眼を徹底的に磨き上げた。
高校卒業後は日本体育大学(日体大)体育学部へ進学し、学友会サッカー部でプレー。大学サッカー界の強豪で主力として活躍しながら、最新の体育学やトレーニング理論を体系的に学んだ。大学卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)を目指す本田技研工業サッカー部(現・Honda FC)に所属し、厳しい社会人トップリーグの舞台で実戦経験を積んだ。
現役引退後は指導者の道に進み、東海大学第一高校(現・東海大静岡翔洋高校)の教員・サッカー部監督に着任。自らが清水東、日体大、本田技研で培った高い戦術理解度とオープンなフットボール観は、旧態依然とした根性論にとらわれない近代的なチーム作りの礎となった。選手時代の豊かな経験と知見が、後に東海大一を全国屈指の強豪へと育て上げ、全国選手権初出場初優勝を成し遂げる偉大な指導者キャリアへと結実した。










