萩村 滋則(四日市中央工業高校 三重県)高校サッカーヒーロー列伝
目次
総評
名門・四日市中央工業高校において、1年生時から定位置を掴み強靭なストッパーとして全国にその名を轟かせた実力派センターバック。183cmの恵まれた体躯を活かした卓越した空中戦の強さと、相手エースを完全に抑え込む冷静かつ激しい対人守備を武器に守備陣の中核として君臨した。
1年時の第71回全国高校サッカー選手権(1992年度)では名将・城雄士監督のもとでレギュラーとして堅守を支え、全国ベスト8進出に貢献。最上級生となった3年時(1994年度)にはチームキャプテン(主将)に就任し、夏の富山総体で全国ベスト16、冬の第73回全国選手権でもベスト16進出を果たした。冬の選手権では初戦(2回戦)の西宮東高校戦を完封で下し、3回戦ではその大会で4強に進出した楢崎正剛擁する奈良育英高校と互角の死闘(2-2、PK戦8-9)を演じるなど、高校サッカー界屈指のディフェンダーとして大会優秀選手に選出された。
高校卒業後は名門・筑波大学へ進学し、1995年のFIFAワールドユース選手権(カタール)ではU-20日本代表の主軸として世界ベスト8進出に大きく貢献。大学中退を経て柏レイソルへ加入し、1999年のナビスコカップ初優勝やJ1年間2位の立役者となった。その後、京都、新潟、東京ヴェルディで第一線を守り抜き、引退後は東京ヴェルディやギラヴァンツ北九州、浦和レッズのアカデミーで指導歴を重ね、現在は浦和レッズユースコーチとして後進の育成に尽力している。
所属チーム
三重県立四日市中央工業高等学校
生年月日
1976年7月31日
サイズ(身長・体重)
183cm / 75kg(※現役時)
ポジション
DF(ストッパー / センターバック)
出身チーム
- 3種:四日市市立西陵中学校サッカー部(三重県四日市市)
- 4種:四日市市内の少年サッカークラブ(三重県四日市市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1992年度・第71回):三重県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)
(1回戦:シード、2回戦:4-1 遠野高校、3回戦:2-0 徳島市立高校、準々決勝:1-2 習志野高校) - 2年時(1993年度・第72回):三重県予選 優勝、全国大会 2回戦進出
(1回戦:2-1 松商学園高校、2回戦:0-1 徳島市立高校) - 3年時(1994年度・第73回):三重県予選 優勝、全国大会 3回戦進出(ベスト16)
※主将としてチームを牽引。
個人表彰:大会優秀選手に選出!
(1回戦:シード、2回戦:2-0 西宮東高校、3回戦:2-2[PK 8-9]奈良育英高校)
高校総体
- 1年時(1992年度・宮崎総体):三重県予選敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1993年度・栃木総体):三重県予選 優勝、全国大会 2回戦進出
(1回戦:2-0 秋田商業高校、2回戦:1-2 桐蔭学園高校) - 3年時(1994年度・富山総体):三重県予選 優勝、全国大会 3回戦進出(ベスト16)
(1回戦:シード、2回戦:2-1 広島皆実高校、3回戦:0-1 帝京高校)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1992年度・第3回):東海地区予選敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1993年度・第4回):東海地区予選敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1994年度・第5回):東海地区予選敗退(全国大会不出場)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1992年・山形国体):三重県選抜
- 2年時(1993年・東四国国体):三重県選抜
- 3年時(1994年・愛知国体):三重県選抜
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-18日本代表候補
- 日本高校選抜:1995年選出(第73回選手権優秀選手として選出)
- 都道府県選抜:三重県選抜(国体出場)
- 個人表彰:第73回全国高校サッカー選手権 大会優秀選手(1994年度・3年時)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
高校1年時から名門・四中工の最終ラインに定着し、年代別代表の強化指定や候補合宿に名を連ねた。高校3年時の第73回全国高校選手権では、主将として圧倒的なリーダーシップと強固な対人ディフェンスを発揮して大会優秀選手に選出。大会後の日本高校選抜にも選ばれ、将来の日本を背負う大型ストッパーとして高い評価を確立した。
卒業後の進路
大学
- 筑波大学蹴球部(1995年 – 1996年 / 2年修了後に中退しプロ入り)
※大学在学中の1995年、U-20日本代表としてFIFAワールドユース(カタール)に出場し世界8強進出。
プロ・社会人
- 柏レイソル(J1 / 1997年 – 2003年)※1999年ナビスコカップ優勝
- 京都パープルサンガ(J2 / 2004年)
- アルビレックス新潟(J1 / 2005年)
- 東京ヴェルディ1969 / 東京ヴェルディ(J2・J1 / 2006年 – 2008年)※2007年J1昇格貢献
- Jリーグ通算243試合10得点(J1:175試合7得点、J2:68試合3得点)
日本代表
- U-20日本代表(1995年 FIFAワールドユース選手権 カタール大会 ベスト8)
- 日本代表候補(2000年)
引退後の指導歴・役職
- 東京ヴェルディ 普及育成コーチ(2009年)
- 東京ヴェルディ ジュニアユース コーチ(2010年 – 2012年)
- 東京ヴェルディ ジュニアユース 監督(2013年 – 2016年)
- ギラヴァンツ北九州 ヘッドコーチ(2017年)
- ギラヴァンツ北九州 強化育成本部 ボランティアコーチ(2018年)
- 浦和レッズユース コーチ(2019年 – 2022年)
- 浦和レッズユース 監督(2023年)
- 浦和レッズジュニアユース コーチ(2024年)※2024年8月よりトップチームコーチ追加登録
- 浦和レッズジュニアユース 監督(2025年)
- 浦和レッズユース コーチ(2026年 – 現在)
卒業後のキャリアの総評
筑波大学進学直後の1995年、中田英寿や松田直樹らとともにU-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権に出場し世界ベスト8の偉業を達成。1997年に柏レイソルへ加入すると、屈強なフィジカルと対人能力で定位置を確保し、1999年のナビスコカップ制覇やJ1年間2位の躍進を支えた。2000年にはフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表候補にも選出されている。
その後は京都、新潟、東京ヴェルディで最終ラインの重鎮として活躍し、2007年には東京VのJ1復帰に貢献。2008年シーズン限りで現役を退いた後は指導者の道を歩み、東京ヴェルディのアカデミーやギラヴァンツ北九州のトップチームヘッドコーチを経て浦和レッズのアカデミーへ。ユース監督やジュニアユース監督、トップチームコーチ登録など豊富な指導経験を重ね、現在は浦和レッズユースのコーチとして次代を担う若手タレントの育成に情熱を注いでいる。






















