青木孝太(野洲 滋賀県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
確かな足元の技術としなやかな身のこなし、そして前線で相手ディフェンスの急所を突く鋭い得点感覚を兼ね備えたストライカー。滋賀県近江八幡市出身で、桐原JFCからセゾンフットボールクラブを経て滋賀県立野洲高等学校へと進学した。同期には楠神順平や内野貴志、1学年下には乾貴士らが揃い、クリエイティブなパスサッカーを志向するチームの中心として背番号9を背負った。
高校生活の集大成となった3年時の第84回全国高等学校サッカー選手権大会では、高い個人技と流れるようなパスワークで全国に衝撃を与えた。1回戦の修徳戦から順調に勝ち進み、準々決勝の大阪朝鮮戦ではPK戦を制し、準決勝の多々良学園戦、そして決勝では前大会王者の鹿児島実業を延長戦の末に2対1で下して滋賀県勢初となる全国制覇を成し遂げた。青木はその攻撃陣を最前線で牽引し、大会優秀選手にも選出された。
卒業後はJリーグのジェフユナイテッド千葉へ加入し、同年のU-19アジア選手権でU-20ワールドカップ出場権獲得に大きく貢献する決勝ゴールを挙げるなど世代別日本代表でも躍動した。2007年のFIFA U-20ワールドカップ本大会メンバーにも名を連ね、その後はファジアーノ岡山、ヴァンフォーレ甲府、ザスパクサツ群馬などでプロキャリアを重ねた。
所属
滋賀県立野洲高等学校(滋賀県)
生年月日
1987年4月27日
サイズ(身長・体重)
176cm / 67kg
ポジション
FW
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):セゾンフットボールクラブ
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):桐原JFC
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(2003年度・第82回大会):滋賀県大会敗退(滋賀県代表は草津東)。
- 2年時(2004年度・第83回大会):滋賀県大会敗退(滋賀県代表は草津東)。
- 3年時(2005年度・第84回大会):全国優勝。1回戦の修徳戦に2-0、2回戦の四日市中央工戦に3-2、3回戦の高松商戦に4-0、準々決勝の大阪朝鮮戦に1-1(PK3-1)、準決勝の多々良学園戦に1-0、決勝で鹿児島実業を延長の末に2-1で破り初優勝。
- 個人表彰:第84回全国高校サッカー選手権大会 優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(2003年):滋賀県大会敗退(滋賀県代表は草津東)。
- 2年時(2004年):滋賀県大会敗退(滋賀県代表は草津東)。
- 3年時(2005年):滋賀県大会敗退(滋賀県代表は草津東)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(2003年)〜3年時(2005年):全国大会進出記録は確認できず。
国民体育大会(国体)
- 3年時(2005年・第60回晴れの国おかやま国体):滋賀県選抜として少年男子サッカー競技に出場し第3位(3位決定戦で東京都選抜に勝利)。
- 個人表彰:国体優秀選手(2005年)
代表歴
高校時代の代表・選抜歴:2005年 U-18日本代表、2005年 国体滋賀県選抜、2006年 日本高校選抜(第66回ベッリンツォーナ国際ユースサッカー大会優勝)。
【高校時代の代表歴について】
青木は高校3年時の2005年にU-18日本代表へ選出され、同年の国民体育大会では滋賀県選抜の中心として上位進出に貢献し国体優秀選手に選ばれた。
選手権優勝直後の2006年初頭には日本高校選抜に選出され、スイスで開催された第66回ベッリンツォーナ国際ユースサッカー大会に出場してチームの優勝に貢献した。高校年代での卓越したテクニックと高い得点力は全国および国際舞台でも高く評価された。
卒業後の進路
プロ・社会人
- ジェフユナイテッド千葉(2006年〜2012年)
- ファジアーノ岡山(2009年・期限付き移籍)
- ヴァンフォーレ甲府(2012年・期限付き移籍)
- ザスパクサツ群馬(2013年〜2014年)
- 通算成績:J1リーグ通算35試合4得点、J2リーグ通算170試合22得点、カップ戦通算5試合0得点、天皇杯通算8試合1得点。
- 個人表彰:確認できた記録なし
日本代表(世代別代表・国際大会)
U-19日本代表(2006年・AFCユース選手権2006準優勝)、U-20日本代表(2007年・トゥーロン国際大会、2007 FIFA U-20ワールドカップ)。
引退後の活動・指導歴・役職
2015年に現役引退。引退後は民間企業に勤務。
【卒業後のキャリアの総評】
2006年にジェフユナイテッド千葉へ加入すると、同年のU-19アジア選手権では準々決勝サウジアラビア戦でFIFA U-20ワールドカップ出場権を決定づける決勝ゴールを決め、準決勝の韓国戦でも劇的な同点弾を挙げるなど大舞台での勝負強さを発揮した。2007年にはカナダで開催されたFIFA U-20ワールドカップ本大会メンバーに選出され、いわゆる調子乗り世代の一員として世界を相手に戦った。
クラブレベルでは千葉でJ1のピッチに立ち、プロ初ゴールを記録。その後はファジアーノ岡山、ヴァンフォーレ甲府、ザスパクサツ群馬へと移籍し、前線の主軸としてJ2リーグを中心に通算200試合以上に出場した。特に群馬では攻撃の中心としてコンスタントに出場機会を重ね、2014年にはJ2通算12500ゴール目のメモリアルゴールを記録するなど確かな足跡を残した。
高校時代に全国を席巻した高い足元の技術と、一瞬の閃きで相手ゴールを脅かすストライカーとしての嗅覚はプロの世界でも随所に発揮された。度重なる怪我とも戦いながらプロ生活を全うし、2015年に現役を引退した。

















