原田 武男(国見高校 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
無尽蔵のスタミナと鋭いボール奪取力、中盤を引き締める強烈なキャプテンシーで名門を支えた「国見の闘将ボランチ」。名将・小嶺忠敏監督のもと1年時から先発に抜擢され、第66回全国高校選手権で全試合スタメン出場を果たし、国見高校史上初となる全国制覇(日本一)に大きく貢献した。
最上級生となった1989年度の第68回全国選手権では主将を務め、中盤の要として攻守を統率。ロングスローや高精度のキック、体を張った泥臭い守備でチームを牽引し、全国ベスト4進出を果たして大会優秀選手に輝いた。
早稲田大でインカレ優勝後、横浜フリューゲルスで天皇杯制覇。晩年はV・ファーレン長崎の初代主将としてJ参入の礎を築き「ミスターV・ファーレン」と称された。国見仕込みの不屈の魂は、指導者となった現在も受け継がれている。
所属チーム
長崎県立国見高等学校
生年月日
1971年10月2日
サイズ(身長・体重)
173cm / 72kg(※現役時)
ポジション
MF / DF
出身チーム
- 3種:鹿島市立東部中学校サッカー部(佐賀県鹿島市)
- 4種:鹿島市立浜小学校サッカー部(佐賀県鹿島市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1987年度・第66回):長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・日本一!)
- 2年時(1988年度・第67回):長崎県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)
- 3年時(1989年度・第68回):主将として長崎県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)(大会優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1987年度・北海道総体):長崎県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)
- 2年時(1988年度・山形総体):長崎県予選 優勝、全国大会 出場
- 3年時(1989年度・高知総体):長崎県予選 優勝、全国大会 出場
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
- 2年時(1988年度):該当なし(※大会創設前)
- 3年時(1989年度・第1回):九州地区代表として出場、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1987年・海邦沖縄国体):長崎県選抜候補
- 2年時(1988年・京都国体):長崎県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 3年時(1989年・はまなす北海道国体):長崎県選抜としてサッカー少年の部 出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:日本ユース代表(U-19日本代表 / 1990年カタールAFCユース選手権等)
- 日本高校選抜:1990年選出(第68回大会優秀選手・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:長崎県選抜(国体サッカー少年の部出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
小学生時代から佐賀県代表として全国少年サッカー大会に出場するなど早くから注目を集め、国見高校進学後は1年生から主力として活躍。豊富な運動量と球際の激しさを武器に長崎県選抜の主力として国民体育大会(国体)少年の部に出場した。
高校3年時の第68回全国高校選手権では主将として全国4強入りを果たし、大会優秀選手および日本高校選抜に選出。ヨーロッパ遠征に参加し、屈強な欧州クラブユース相手にボランチとして確固たる存在感を示した。
さらに同年代のトップ選手で構成された日本ユース代表(U-19日本代表)にも選出され、AFCユース選手権など国際舞台を経験。大学・プロへと続く輝かしいキャリアの礎となる国際感覚と対人守備の強さを高校年代で確立した。
卒業後の進路
大学
早稲田大学人間科学部ア式蹴球部(1990年 – 1993年 / 関東大学リーグ優勝、第42回インカレ優勝)
プロ・社会人
- 横浜フリューゲルス(J1 / 1994年 – 1998年 / 1998年度第78回天皇杯優勝)
- セレッソ大阪(J1 / 1999年 – 2000年)
- 川崎フロンターレ(J1 / 2000年)
- 大分トリニータ(J2 / 2001年)
- アビスパ福岡(J2 / 2002年 – 2003年)
- V・ファーレン長崎(九州リーグ・JFL / 2005年 – 2007年 / 現役引退)
日本代表
該当なし
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後は大学サッカーの名門・早稲田大学人間科学部ア式蹴球部へ進学。中心選手として関東大学リーグ制覇や第42回全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)優勝に大きく貢献した。
大学卒業後の1994年に横浜フリューゲルスへ加入。激しいプレッシングと戦術眼を併せ持つ守備的MFとしてレギュラーを掴み、クラブ消滅の悲劇に見舞われた1998年度の第78回天皇杯決勝ではフル出場を果たして劇的な優勝を飾った。その後、セレッソ大阪、川崎フロンターレ、大分トリニータ、アビスパ福岡でプレー。
2005年からは誕生間もないV・ファーレン長崎へ加入。初代キャプテンとして地域リーグからJFL昇格へとチームを牽引し、サポーターから「ミスターV・ファーレン」と親しまれ2007年に現役引退。引退後は長崎のトップチームコーチや監督代行、ギラヴァンツ北九州監督などを歴任し、情熱的な指導を続けている。























