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中川 秀樹(市立船橋高校)高校サッカーヒーロー列伝

中川秀樹_市立船橋

中川 秀樹(市立船橋高校 千葉県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

高校サッカー界屈指の強豪・市立船橋高校の黄金期において、抜群のサッカーセンスと卓越したキャプテンシーで名門を統率したマルチプレーヤー。高い戦術理解度と鋭い状況判断力、正確なキックを誇り、FWやボランチ、リベロなど複数ポジションをこなす万能戦士として攻守に貢献した。

布啓一郎監督の厚い信頼のもと、1年時・2年時に夏のインターハイ全国連覇(2連覇)を達成。2年時の第67回全国高校選手権では主力として同校初の全国準優勝に大きく貢献した。3年時には主将としてチームを牽引し、激戦区・千葉県予選を3連覇へと導いて全国8強進出を果たした。

高校卒業時にはJSL全日空からオファーを受けるほどの実力を誇り、専修大を経て後輩・ワッキー(脇田寧人)とお笑いコンビ「ペナルティ」を結成。芸能界屈指のサッカー通・論客として活躍する原点は、市船の厳しい環境と主将経験で培われた。

所属チーム

船橋市立船橋高等学校

生年月日

1971年4月7日

サイズ(身長・体重)

174cm / 64kg

ポジション

FW / MF / DF

出身チーム

  • 3種:船橋市立行田中学校サッカー部
  • 4種:船橋市立行田東小学校(少年サッカークラブ)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1987年度・第66回):千葉県予選 優勝、全国大会 ベスト8
  • 2年時(1988年度・第67回):千葉県予選 優勝、全国大会 準優勝(決勝で清水商業に惜敗)
  • 3年時(1989年度・第68回):主将として千葉県予選 優勝(県3連覇)、全国大会 ベスト8
高校総体
  • 1年時(1987年度・北海道総体):千葉県予選 優勝、全国大会 優勝(市船としてインターハイ初優勝)
  • 2年時(1988年度・金沢総体):千葉県予選 優勝、全国大会 優勝(インターハイ2連覇達成)
  • 3年時(1989年度・高知総体):主将として千葉県予選 優勝、全国大会 ベスト8
リーグ戦(全日本ユース等)
  • 1年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1988年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1989年度):該当なし(※大会創設前)




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:該当なし
  • 都道府県選抜:千葉県選抜(1987年・1988年・1989年 国民体育大会少年男子の部 出場)
  • 日本高校選抜:該当なし
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

全国から逸材が集まる名門・市立船橋高校において、1年生時から公式戦に出場機会を掴み、1年時・2年時・3年時と3年連続で千葉県選抜の主力として国民体育大会に出場した。

1学年上の野口幸司らと共にインターハイ2連覇や全国高校選手権準優勝を成し遂げ、3年時にはキャプテンとして全国8強へ進出。世代別日本代表や高校選抜への選出歴はないものの、その確かな戦術眼と万能性は高く評価され、高校卒業時には横浜フリューゲルスの前身である全日空横浜サッカークラブから正式オファーを受けるなど、高校年代屈指の実力者として全国に知られた。

卒業後の進路

大学

専修大学法学部(専修大学サッカー部、1990年 – 1994年卒業)※プロオファーを辞退しスポーツ推薦進学

プロ

該当なし(※大学卒業時にもJリーグ複数クラブからオファー)

日本代表

該当なし

卒業後のキャリアの総評

高校卒業時はプロ入りオファーを辞退し、サッカー推薦で専修大学法学部へ進学。体育会サッカー部の主力として関東大学リーグなどで活躍し、4年間でしっかりと大学を卒業した。

大学卒業時にもJリーグ数クラブから声がかかったもののプロ入りは選択せず、高校サッカー部の1学年後輩であった脇田寧人(ワッキー)を誘って1994年にお笑いコンビ「ペナルティ」を結成。吉本興業に所属し、ツッコミ担当の「ヒデ」として確かな話術で頭角を現した。

『爆笑オンエアバトル』や数々のバラエティ番組で大ブレイクを果たし、現在はサッカー番組のMCや解説、W杯関連のコメンテーター、家電芸人、小説家など多岐にわたる分野で第一線で活躍。市船サッカー部OBの象徴としてサッカー界を盛り上げ続けている。




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