三浦 文丈(清水商業高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
抜群のスピードに乗ったドリブル突破と闘志あふれるプレー、中盤を力強く統率するキャプテンシーで名門の黄金期を築いた「清商の誇り高きナンバー10」。名将・大滝雅良監督率いる清水市立清水商業高校において、藤田俊哉や山田隆裕ら豪華タレント軍団の絶対的支柱として君臨した。
2年時にインターハイ全国8強へ進出。主将として挑んだ3年時の第67回全国高校選手権では激戦の静岡県予選を制覇。昭和天皇崩御に伴い延期され、平成最初の日(平成元年1月9日)に国立競技場で行われた市立船橋との決勝戦では、自らのCKから決勝ゴールをアシストして1-0の完封勝利を収め、3年ぶり2度目の全国制覇(日本一)を達成。大会優秀選手に選出された。
筑波大を経て横浜マリノスやFC東京でJリーガーとして躍動し、引退後も指導者として手腕を発揮。勝者のメンタリティと最後まで走り抜く闘争心の礎は、清商での鍛錬の日々に築かれた。
所属チーム
清水市立清水商業高等学校
生年月日
1970年8月12日
サイズ(身長・体重)
174cm / 68kg(※現役時)
ポジション
MF / FW
出身チーム
- 3種:清水市立第五中学校サッカー部(静岡県清水市 / 3年時・全国中学校サッカー大会 準優勝)
- 4種:三保第一サッカースポーツ少年団(清水市立三保第一小学校) / 清水FC(小学6年時・全日本少年サッカー大会 優勝)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1986年度・第65回):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1987年度・第66回):静岡県予選 準優勝(全国大会不出場)
- 3年時(1988年度・第67回):主将・背番号10として静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・日本一!)(大会優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1986年度・山梨総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1987年度・北海道総体):静岡県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)
- 3年時(1988年度・山形総体):静岡県予選 優勝、全国大会 出場
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1986年度):該当なし(※大会創設前)
- 2年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
- 3年時(1988年度):該当なし(※大会創設前 / 1989年度より創設)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1986年・かいじ山梨国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 2年時(1987年・海邦沖縄国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 3年時(1988年・京都国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 優勝(日本一!)
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:日本ユース代表(U-19日本代表 / 1988年カタールAFCユース選手権等)
- 日本高校選抜:1989年選出(第67回大会優秀選手・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:静岡県選抜(1988年京都国体少年の部 優勝)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
少年時代から名門・清水FCで全日本少年サッカー大会優勝を経験し、清水市立第五中学校時代には全国中学校サッカー大会で準優勝を飾るなど、エリート街道を歩み日本ジュニアユース代表にも招集された。
清水商業高校へ進学後も各年代の代表に選出され、高校2年・3年時には日本ユース代表(U-19日本代表)としてアジアユース選手権などの国際舞台で日の丸を背負った。
高校3年時の第67回全国高校選手権で主将として全国優勝を成し遂げると、大会優秀選手および日本高校選抜に選出。ヨーロッパ遠征に参加し、海外の強豪クラブ相手に持ち前の機動力と球際の激しさで堂々と渡り合った。国体静岡県選抜でも少年の部で全国制覇を果たすなど、高校年代におけるすべてのタイトル争いを牽引した。
卒業後の進路
大学
筑波大学蹴球部(1989年 – 1992年 / 関東大学リーグ制覇、総理大臣杯全日本大学トーナメント優勝)
プロ・社会人
- 横浜マリノス(J1 / 1993年 – 1998年 / 1995年Jリーグ年間王者)
- 京都パープルサンガ(J1 / 1999年)
- ジュビロ磐田(J1 / 1999年 – 2000年 / 1999年Jリーグ年間王者)
- FC東京(J1 / 2001年 – 2006年 / 2004年ナビスコカップ優勝 / 現役引退)
日本代表
国際Aマッチ出場なし(1995年ダイナスティカップ日本代表選出)
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後は大学サッカーの名門・筑波大学へ進学。1年時から主力として活躍し、関東大学リーグ制覇や総理大臣杯全日本大学トーナメント優勝に大きく貢献した。
1993年のJリーグ開幕を前に日産自動車サッカー部(現・横浜F・マリノス)へ加入。豊富な運動量と攻撃センスを武器にJリーグ初期の横浜マリノスで主力MFとして定着し、1995年のJリーグ年間王者に貢献した。その後、京都パープルサンガ、ジュビロ磐田(1999年年間王者)を経て、2001年からFC東京へ移籍。チームリーダーとして2004年のナビスコカップ初優勝に貢献し、2006年に現役を引退した。
引退後はFC東京、横浜FM、新潟、福岡などでコーチを務め、AC長野パルセイロ、アルビレックス新潟、SC相模原、ジュビロ磐田、横浜FCなどで監督を歴任。勝負にこだわる情熱的な指導で日本サッカー界を支え続けている。


















