永井 秀樹(国見高校 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
抜群のテクニックと閃きに満ちたボールキープ、相手DFの逆を突く魅惑のフェイントで観客を虜にした「国見が生んだ華麗なるファンタジスタ」。名将・小嶺忠敏監督率いる泥臭くハードワークを身上とする長崎・国見高校において、卓越した個人技と華やかさを放つ異色のエースナンバー10として全国に旋風を巻き起こした。
高校1年時の1986年にインターハイ初出場初優勝、冬の選手権でも準優勝を達成。2年時の第66回全国高校選手権では原田武男らと共に攻守に躍動し、決勝で東海大一を破って国見高校史上初となる悲願の全国制覇を成し遂げた。主将を務めた3年時も選手権8強へ導き、2年連続で大会優秀選手に選出された。
国士舘大を経て読売・ヴェルディ川崎などでJリーグ黎明期の黄金期を彩り、45歳まで現役を継続。現在はヴィッセル神戸のSDとしてクラブ初優勝に導くなど手腕を発揮。幾多の栄光を支えた鋼のフィジカルと不屈の情熱は、国見のグラウンドで培われた。
所属チーム
長崎県立国見高等学校
生年月日
1971年1月26日
サイズ(身長・体重)
174cm / 69kg(※現役時)
ポジション
MF / FW
出身チーム
- 3種:大分市立明野中学校サッカー部(大分県大分市)
- 4種:明野西サッカースポーツ少年団(大分県大分市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1986年度・第65回):長崎県予選 優勝、全国大会 準優勝
- 2年時(1987年度・第66回):長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・日本一!)(大会優秀選手選出)
- 3年時(1988年度・第67回):主将・背番号10として長崎県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)(大会優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1986年度・山梨総体):長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・日本一!)
- 2年時(1987年度・北海道総体):長崎県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)
- 3年時(1988年度・山形総体):長崎県予選 優勝、全国大会 出場
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1986年度):該当なし(※大会創設前)
- 2年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
- 3年時(1988年度):該当なし(※大会創設前 / 1989年度より創設)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1986年・かいじ山梨国体):長崎県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 2年時(1987年・海邦沖縄国体):長崎県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 3年時(1988年・京都国体):長崎県選抜としてサッカー少年の部 出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:日本ユース代表(U-19日本代表)
- 日本高校選抜:1988年、1989年選出(第66回・第67回大会優秀選手・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:長崎県選抜(国体サッカー少年の部 3年連続出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
大分市立明野中学校時代から九州屈指のテクニシャンとして全国に名を轟かせ、単身越境入学した国見高校では1年生からトップチームの主力として台頭。高校2年時・3年時には静岡や千葉の強豪と渡り合う日本ユース代表(U-19日本代表)に選出され、国際舞台での経験を積んだ。
全国高校選手権では2年時に初優勝、3年時にベスト8進出を果たし、2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出。ヨーロッパ遠征では屈強な欧州のユース年代相手に華麗なドリブル突破と卓越したキープ力を披露し、世界基準のテクニックで高い評価を得た。国体長崎県選抜としてもチームの攻撃を牽引し、同世代トップクラスのアタッカーとして高校サッカー界のスター選手となった。
卒業後の進路
大学
国士舘大学サッカー部(1989年 – 1991年 / 全日本大学サッカー選手権大会優勝、総理大臣杯準優勝)
プロ・社会人
- 読売クラブ / ヴェルディ川崎(J1 / 1992年 – 1994年)
- 福岡ブルックス(1995年)
- 清水エスパルス(J1 / 1996年)
- ヴェルディ川崎(J1 / 1997年)
- 横浜フリューゲルス(J1 / 1998年 / 第78回天皇杯優勝)
- 横浜F・マリノス(J1 / 1999年 – 2000年)
- 東京ヴェルディ1969(J1 / 2001年 – 2002年)
- 大分トリニータ(J1 / 2004年)
- FC琉球(JFL / 2005年 – 2007年)
- 東京ヴェルディ(J2 / 2008年 – 2013年、2014年 – 2016年 / 現役引退)
日本代表
日本代表B選出(1992年)
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後は関東大学リーグの強豪・国士舘大学へ進学。1年時から背番号10を背負い、全日本大学サッカー選手権(インカレ)優勝や総理大臣杯準優勝に貢献するなど大学年代の頂点に君臨した。
1992年に読売クラブ(現・東京ヴェルディ)へ加入し、Jリーグ創設初期の黄金期に華麗なドリブラーとしてカズやラモス瑠偉らと共に躍動。その後、清水エスパルス、横浜フリューゲルス(クラブ消滅時の天皇杯優勝メンバー)、横浜F・マリノスなどで活躍した。晩年も現役への強い情熱を持ち続け、45歳となった2016年まで現役Jリーガーとしてプレーした。
引退後は指導者として東京ヴェルディの監督を務め、2022年よりヴィッセル神戸のスポーツダイレクター(SD)に就任。的確なチーム編成と補強手腕を発揮し、2023年にはクラブ史上初となるJ1リーグ制覇を達成。選手としても強化責任者としても頂点を極めた日本サッカー界のレジェンドである。





















