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服部 浩紀(前橋商業高校)高校サッカーヒーロー列伝

服部浩紀_前橋商

服部 浩紀(前橋商業高校 群馬県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

180cmの恵まれた体格と抜群のスピード、強烈な左足シュートと豪快なヘディングでゴールを量産し「アジアの虎」と恐れられた超高校級ストライカー。名将・奈良知彦監督率いる群馬の名門・前橋商業高校で背番号10を背負い、同校の全国的な黄金期をエースとして牽引した。

高校時代は1年時から3年連続で全国選手権の舞台を踏み、2年時(第67回)と3年時(第68回)には2大会連続でチームを全国3位(ベスト4)へ進出させる快挙を達成。夏のインターハイでも2年時に全国8強に進出するなど、常に全国トップレベルの決定力を示し、大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。

筑波大学を経て横浜フリューゲルスなどでJリーグを沸かせ、引退後はザスパクサツ群馬の監督などを歴任。前橋商から世界へ羽ばたいた豪快な点取屋の原点は、厳しい鍛錬と高い志のもとで磨かれた高校時代のストライカー魂にある。

所属チーム

群馬県立前橋商業高等学校

生年月日

1971年8月30日

サイズ(身長・体重)

180cm / 76kg

ポジション

FW

出身チーム

  • 3種:前橋市立鎌倉中学校サッカー部(群馬県前橋市)
  • 4種:前橋市立桃川小学校サッカー少年団(群馬県前橋市)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1987年度・第66回):群馬県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(ベスト16)
  • 2年時(1988年度・第67回):群馬県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)
  • 3年時(1989年度・第68回):主将・背番号10として群馬県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)(大会優秀選手選出)
高校総体
  • 1年時(1987年度・北海道総体):群馬県予選 優勝、全国大会 出場
  • 2年時(1988年度・山形総体):群馬県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝敗退)
  • 3年時(1989年度・高知総体):群馬県予選 敗退(全国大会不出場)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1988年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1989年度・第1回):関東地域予選 敗退(全国大会不出場)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1987年・海邦沖縄国体):群馬県選抜としてサッカー少年の部 出場
  • 2年時(1988年・京都国体):群馬県選抜としてサッカー少年の部 出場
  • 3年時(1989年・はまなす北海道国体):群馬県選抜としてサッカー少年の部 出場




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:日本ユース代表(U-19日本代表 / 1988年・1989年)
  • 日本高校選抜:1990年選出(第68回選手権大会優秀選手・欧州遠征参加)
  • 都道府県選抜:群馬県選抜(国体サッカー少年の部 3年連続出場)
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

前橋市立鎌倉中学校時代から卓越した体格と得点感覚で注目を集め、名門・前橋商業高校進学後は1年生時から攻撃陣の主力として全国大会を経験。高いフィジカル能力とスプリント力を兼ね備えた大型ストライカーとして頭角を現し、高校2年・3年時には日本ユース代表(U-19日本代表)に選出されてアジアユース予選など国際舞台で日の丸を背負った。

全国高校選手権において2年連続でチームを全国ベスト4へと導き、2年時・3年時と連続して大会優秀選手に選出。3年時には日本高校選抜のエースとしてヨーロッパ遠征(デュッセルドルフ国際ユース大会等)にも参加し、屈強な欧州クラブのDF陣を相手に当たり負けしないポストプレーとパンチ力あるシュートを披露。世代最高峰のストライカーとして全国のプロスカウト陣から熱烈な視線を集めた。

卒業後の進路

大学

筑波大学体育専門学群(1990年 – 1993年 / 関東大学リーグ優勝)

プロ・社会人

  • 横浜フリューゲルス(J1 / 1994年 – 1998年 / 1998年天皇杯優勝)
  • 川崎フロンターレ(旧JFL / 1998年 / 期限付き移籍)
  • 清水エスパルス(J1 / 1999年 / 1999年J1 2ndステージ優勝)
  • アルビレックス新潟(J2 / 2000年)
  • アビスパ福岡(J1・J2 / 2000年 – 2002年)
  • サガン鳥栖(J2 / 2003年 / 現役引退)

日本代表

該当なし

卒業後のキャリアの総評

高校卒業後は関東大学リーグの強豪・筑波大学へ進学。大学でもフィジカルと得点力を発揮してリーグ優勝などに貢献し、大学屈指のストライカーとして活躍した。

1994年に横浜フリューゲルスへ加入。Jリーグ創設期の激しい競争の中で前線のターゲットマンとして定着し、1998年の第78回天皇杯制覇に貢献した。その後は川崎フロンターレ、清水エスパルス、アルビレックス新潟、アビスパ福岡、サガン鳥栖でプレーし、Jリーグ通算192試合に出場して34得点を記録。2003年に現役を引退した。

引退後は指導者の道へ進み、2012年にJFA公認S級コーチライセンスを取得。地元・群馬でルーヴェン高崎FCを立ち上げて育成に尽力する傍ら、2015年から2シーズンにわたりザスパクサツ群馬の監督を務めるなど、群馬および日本サッカーの発展に貢献し続けている。