林義規(暁星高校)高校サッカー名将列伝
目次
1. 監督総評
林義規は、都内屈指の進学校である暁星学園において43年間にわたりサッカー部を指導し、冬の全国高校サッカー選手権大会に8回、夏の全国高校総体(インターハイ)に11回導いた名将である。
「第一に勉強、第二にサッカー」を徹底し、推薦入試によるスポーツ特待生を取らない一般受験の生徒たちを率いて、帝京高校をはじめとする全国屈指の強豪がひしめく東京都予選を幾度も突破。フランス系カトリック校の伝統を活かしたショートパス主体のエレガントなポゼッションサッカーを確立し、1983年度インターハイでの全国3位入賞や、1988年度の第67回選手権での全国ベスト4進出など、輝かしい実績を打ち立てた。
教え子からは元日本代表でJリーグ得点王に輝いた前田遼一、いわきFC代表取締役の大倉智、フットサル日本代表の稲葉洸太郎、星翔太、北原亘など、サッカー界を牽引するトッププレーヤーを輩出。さらに医師や法曹、政財界に多くのリーダーを送り出し、真の「文武両道」を体現した。現場での指導にとどまらず、全国高体連サッカー専門部長や日本サッカー協会副会長などを歴任し、高円宮杯プリンスリーグやプレミアリーグといった通年リーグ戦文化の創設を主導。日本サッカー界の育成システム発展に多大な貢献を果たした不世出の名伯楽である。
2. 基本情報
- 氏名:林 義規(はやし よしのり)
- 生年月日:1954年(昭和29年)5月5日
- 出身地:東京都
- 出身校:暁星中学校・高等学校 → 早稲田大学教育学部教育学科
- 指導チーム:暁星中学校・高等学校サッカー部、早稲田大学ア式蹴球部
- 役職:元・暁星学園中学・高等学校サッカー部 監督、元・全国高体連サッカー専門部 部長、元・東京都サッカー協会 会長、元・日本サッカー協会(JFA) 副会長、日本サッカー指導者協会 代表理事、早稲田大学ア式蹴球部 総監督
3. 指導歴
- 1977年4月 – 2020年3月:学校法人暁星学園 暁星中学・高等学校 教諭、サッカー部監督
- 2002年4月 – 2009年3月:全国高等学校体育連盟(高体連)サッカー専門部 部長
- 東京都サッカー協会 会長
- 公益財団法人日本サッカー協会(JFA) 理事、副会長、競技会委員長、高円宮杯実施委員長
- 日本サッカー指導者協会 代表理事
- 早稲田大学ア式蹴球部 総監督
- FC COLORZ クラブアドバイザー
4. 大会の戦績
全国高校サッカー選手権大会(全国大会・東京都予選)
監督通算全国大会出場8回(ベスト4 1回、ベスト8 1回)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1977年度 | 暁星高校 | 第56回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 就任1年目。都代表は帝京高校(全国優勝)。※当時の都予選初期ラウンド記録は公式資料散逸のため詳細戦績非公開 |
| 1978年度 | 暁星高校 | 第57回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は本郷高校 |
| 1979年度 | 暁星高校 | 第58回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校(全国優勝) |
| 1980年度 | 暁星高校 | 第59回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校 |
| 1981年度 | 暁星高校 | 第60回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、創価高校 |
| 1982年度 | 暁星高校 | 第61回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校 |
| 1983年度 | 暁星高校 | 第62回全国高校サッカー選手権大会(初出場) | 3回戦敗退 | 都予選Aブロック優勝(決勝で都立福生高校に延長2-1勝利)。暁星として26年ぶりの全国選手権出場。全国1回戦で宮崎工高校に2-1勝利、3回戦で四日市中央工高校に0-2敗退 |
| 1984年度 | 暁星高校 | 第63回全国高校サッカー選手権大会(2回目) | 2回戦敗退 | 都予選Bブロック優勝。全国初戦となる2回戦でPK戦惜敗 |
| 1985年度 | 暁星高校 | 第64回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は修徳高校、帝京高校 |
| 1986年度 | 暁星高校 | 第65回全国高校サッカー選手権大会(3回目) | 3回戦敗退 | 都予選Bブロック優勝。全国2回戦で米子東高校に4-0快勝、3回戦で国見高校に1-6敗退 |
| 1987年度 | 暁星高校 | 第66回全国高校サッカー選手権大会(4回目) | 3回戦敗退 | 都予選Bブロック優勝。全国3回戦で国見高校に0-2惜敗 |
| 1988年度 | 暁星高校 | 第67回全国高校サッカー選手権大会(5回目) | ベスト4 | 都予選Bブロック優勝。全国3回戦で新潟西高校に2-0勝利、準々決勝で国見高校と1-1(PK5-4)の激闘を制し全国4強進出。準決勝で市立船橋高校に1-3敗退 |
| 1989年度 | 暁星高校 | 第68回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選Aブロック準優勝 | 決勝で帝京高校に敗退し全国出場を逃す |
| 1990年度 | 暁星高校 | 第69回全国高校サッカー選手権大会(6回目) | ベスト8 | 都予選Bブロック優勝。全国1回戦で大社高校に4-0快勝、3回戦で前回王者・南宇和高校を1-0で破り準々決勝進出。準々決勝で東海大五高校に0-2敗退 |
| 1991年度 | 暁星高校 | 第70回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校(全国優勝)、堀越高校 |
| 1992年度 | 暁星高校 | 第71回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選ベスト4 | 準決勝敗退。都代表は都立久留米高校、帝京高校 |
| 1993年度 | 暁星高校 | 第72回全国高校サッカー選手権大会(7回目) | 2回戦敗退 | 都予選Aブロック優勝。全国初戦となる2回戦でPK戦惜敗 |
| 1994年度 | 暁星高校 | 第73回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、東亜学園高校 |
| 1995年度 | 暁星高校 | 第74回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、東海大菅生高校 |
| 1996年度 | 暁星高校 | 第75回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選Aブロック準優勝 | 決勝で修徳高校に敗退。都代表は修徳高校、國學院久我山高校 |
| 1997年度 | 暁星高校 | 第76回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、都立駒場高校 |
| 1998年度 | 暁星高校 | 第77回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選ベスト4 | 準決勝敗退。都代表は帝京高校、修徳高校 |
| 1999年度 | 暁星高校 | 第78回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選ベスト4 | 準決勝敗退。都代表は帝京高校、國學院久我山高校 |
| 2000年度 | 暁星高校 | 第79回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は東海大菅生高校、修徳高校 |
| 2001年度 | 暁星高校 | 第80回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、国士舘高校 |
| 2002年度 | 暁星高校 | 第81回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選Bブロック準優勝 | 決勝で国士舘高校に2-3(延長)惜敗 |
| 2003年度 | 暁星高校 | 第82回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は成立高校、国士舘高校 |
| 2004年度 | 暁星高校 | 第83回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選Aブロック準優勝 | 決勝で実践学園高校に0-1(延長Vゴール)惜敗 |
| 2005年度 | 暁星高校 | 第84回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は成立学園高校、修徳高校 |
| 2006年度 | 暁星高校 | 第85回全国高校サッカー選手権大会(8回目) | 1回戦敗退 | 都予選Bブロック優勝(決勝で修徳高校に2-2、PK5-3勝利)。13年ぶりの全国大会出場。全国1回戦で滝川第二高校に1-2惜敗 |
| 2007年度 | 暁星高校 | 第86回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、都立三鷹高校 |
| 2008年度 | 暁星高校 | 第87回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、國學院久我山高校 |
| 2009年度 | 暁星高校 | 第88回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選ベスト4 | 準決勝敗退。都代表は都立東久留米総合高校、帝京高校 |
| 2010年度 | 暁星高校 | 第89回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は都立駒場高校、駒澤大学高校 |
| 2011年度 | 暁星高校 | 第90回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は都立東久留米総合高校、國學院久我山高校 |
| 2012年度 | 暁星高校 | 第91回全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都予選Aブロック準優勝 | 決勝で修徳高校に0-2敗退 |
| 2013年度 – 2019年度 | 暁星高校 | 全国高校サッカー選手権大会 東京都予選 | 東京都2次予選等敗退 | 都2次予選進出・ブロック敗退等。※東京都高体連の公式公開資料において決勝進出校以外の各ラウンド詳細スコアは記録集約外のため概要記載 |
全国高校総体(全国大会・東京都予選)
監督通算全国大会出場11回(ベスト4 1回)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1977年 – 1980年 | 暁星高校 | 全国高校総体 東京都予選 | 東京都予選敗退 | ※当時の都予選詳細記録は高体連アーカイブ未掲載のため概要記載 |
| 1981年 | 暁星高校 | 昭和56年度全国高校総体(初出場) | 出場 | 都予選準優勝によりインターハイ初出場(神奈川総体) |
| 1982年 | 暁星高校 | 昭和57年度全国高校総体(2回目) | 出場 | 都予選準優勝により2年連続出場(鹿児島総体) |
| 1983年 | 暁星高校 | 昭和58年度全国高校総体(3回目) | ベスト4 | 都予選優勝。全国大会で快進撃を見せ3位入賞(愛知総体) |
| 1984年 | 暁星高校 | 昭和59年度全国高校総体 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、桐朋高校 |
| 1985年 | 暁星高校 | 昭和60年度全国高校総体(4回目) | 出場 | 都予選準優勝により全国出場(石川総体) |
| 1986年 | 暁星高校 | 昭和61年度全国高校総体 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は修徳高校、帝京高校 |
| 1987年 | 暁星高校 | 昭和62年度全国高校総体(5回目) | 出場 | 都予選準優勝により全国出場(北海道総体) |
| 1988年 | 暁星高校 | 昭和63年度全国高校総体(6回目) | 出場 | 都予選準優勝により全国出場(兵庫総体) |
| 1989年 | 暁星高校 | 平成元年度全国高校総体(7回目) | 出場 | 都予選優勝により全国出場(高知総体) |
| 1990年 | 暁星高校 | 平成2年度全国高校総体(8回目) | 出場 | 都予選優勝により全国出場(宮城総体) |
| 1991年 | 暁星高校 | 平成3年度全国高校総体 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、堀越高校 |
| 1992年 | 暁星高校 | 平成4年度全国高校総体(9回目) | 出場 | 都予選優勝により全国出場(宮崎総体) |
| 1993年 – 1997年 | 暁星高校 | 全国高校総体 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都代表は帝京高校、修徳高校、桐朋高校、堀越高校、日体大荏原高校、東海大菅生高校等 |
| 1998年 | 暁星高校 | 平成10年度全国高校総体(10回目) | 出場 | 都予選準優勝により全国出場(四国総体・香川) |
| 1999年 | 暁星高校 | 平成11年度全国高校総体(11回目) | 出場 | 都予選準優勝により全国出場(岩手総体) |
| 2000年 – 2019年 | 暁星高校 | 全国高校総体 東京都予選 | 東京都予選敗退 | 都支部予選・1次トーナメント・2次トーナメント等で敗退。※都代表校(帝京、国士舘、國學院久我山、実践学園、成立学園、関東第一等)以外の予選詳細記録は高体連の公式公開記録に現存しないため概要記載 |
関東高校サッカー大会
監督通算主な戦績(準優勝1回、3位2回)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1984年 | 暁星高校 | 第27回関東高校サッカー大会 | 3位 | 関東大会準決勝進出 |
| 1987年 | 暁星高校 | 第30回関東高校サッカー大会 | 準優勝 | 決勝で帝京高校に敗退し準優勝 |
| 1989年 | 暁星高校 | 第32回関東高校サッカー大会 | 3位 | 関東大会準決勝進出 |
5. 選手経歴・選手総評
選手総評
林義規のサッカー人生の礎は、母校・暁星中学校・高等学校での青春時代と、伝統ある早稲田大学ア式蹴球部での厳格な鍛錬にある。
暁星中学・高校時代からサッカー部に所属し、技術と戦術眼を研鑽。高校卒業後は早稲田大学教育学部教育学科へと進学し、名門・ア式蹴球部の門を叩いた。当時の早稲田大学は、ラグビー部監督の大西鐵之祐が提唱した「荒ぶる魂」の精神が体育各部に深く浸透しており、林もこの不屈の精神と徹底した規律、理論的なサッカー観を貪欲に吸収した。学業と激しい部活動を高次元で両立させた大学4年間の経験は、のちに指導者として「真の文武両道」を説く上での揺るぎない信念となった。
1977年に大学を卒業すると、恩師の教えと早稲田で培ったフットボール哲学を胸に母校・暁星学園へ着任。現役選手として自らに課した「妥協なき文武両道」と「自律の精神」を後進の指導に注ぎ込み、伝統校の新たな黄金期を切り拓いていくこととなる。選手としてピッチで培った高い向上心と強い責任感こそが、半世紀近くにわたり日本サッカー界を牽引し続ける名将の原点であった。
選手経歴
- 高校時代:暁星高等学校 サッカー部
- 大学時代:早稲田大学 ア式蹴球部(教育学部教育学科)

























