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長谷部 茂利(桐蔭学園高校)高校サッカーヒーロー列伝

長谷部茂利_桐蔭学園

長谷部 茂利(桐蔭学園高校 神奈川県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

高いインテリジェンスと視野の広さ、攻守のバランスを保ちながら的確なパスと強烈なミドルシュートでチームを操った「桐蔭学園の皇帝」。李国秀監督が就任した黎明期のチームで1期生として背番号10を背負い、主将としてゾーンディフェンスとポゼッションサッカーという先進的戦術を体現した。

高校3年時の1989年度には、夏のインターハイで全国16強、秋の第1回高円宮杯全日本ユース選手権で全国3位入賞。冬の第68回全国高校選手権では同校史上初となる全国出場を果たし、1回戦・2回戦で連続5得点の猛攻を見せるなど全国8強進出の快進撃を牽引。大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。

中央大を経てヴェルディ川崎や神戸で活躍後、指導者として水戸や福岡、川崎Fの監督を歴任しルヴァン杯制覇を達成。緻密な戦術と勝負強さを兼ね備えた名将の原点は、高校サッカー界に戦術革命を起こした桐蔭学園での日々に刻まれている。

所属チーム

桐蔭学園高等学校

生年月日

1971年4月23日

サイズ(身長・体重)

173cm / 68kg

ポジション

MF

出身チーム

  • 3種:横浜市立本郷中学校サッカー部(神奈川県横浜市栄区)
  • 4種:FC本郷(横浜市立本郷小学校 / 神奈川県横浜市栄区)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1987年度・第66回):神奈川県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1988年度・第67回):神奈川県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 3年時(1989年度・第68回):主将・背番号10として神奈川県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝進出・桐蔭学園初出場)(大会優秀選手選出)
高校総体
  • 1年時(1987年度・北海道総体):神奈川県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1988年度・山形総体):神奈川県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 3年時(1989年度・高知総体):主将として神奈川県予選 優勝、全国大会 3回戦進出(ベスト16)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1988年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1989年度・第1回):関東地区代表、全国大会 3位(ベスト4)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1987年・海邦沖縄国体):該当なし(未選出・不出場)
  • 2年時(1988年・京都国体):該当なし(未選出・不出場)
  • 3年時(1989年・はまなす北海道国体):神奈川県選抜としてサッカー少年の部 出場




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:日本ユース代表候補
  • 日本高校選抜:1990年選出(第68回選手権大会優秀選手・欧州遠征参加)
  • 都道府県選抜:神奈川県選抜(1989年北海道国体 出場)
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

横浜市立本郷中学から名門・桐蔭学園高校へ進学し、李国秀監督の理論的な指導のもとで戦術眼とリーダーシップを開花。高校3年時には神奈川県選抜の主力として北海道国体に出場し、日本ユース代表候補にも名を連ねた。

高校3年時の1989年度には、第1回高円宮杯全日本ユース選手権で全国3位、冬の第68回全国高校サッカー選手権では初出場ながらチームを全国ベスト8へと導き、大会優秀選手および日本高校選抜に選出。ヨーロッパ遠征(デュッセルドルフ国際ユース大会等)にも参加し、高校選抜の主軸として欧州の強豪相手に高い戦術眼とゲームコントロールを披露。高校サッカー界に新風を吹き込んだ知性派ミッドフィールダーとして全国から高い評価を受けた。

卒業後の進路

大学

中央大学学友会サッカー部(1990年 – 1993年 / 主長)

プロ

  • ヴェルディ川崎(J1 / 1994年 – 1997年 / Jリーグチャンピオンシップ優勝)
  • 川崎フロンターレ(旧JFL / 1997年 / 期限付き移籍)
  • ヴィッセル神戸(J1 / 1998年 – 2000年)
  • ジェフユナイテッド市原(J1 / 2001年 – 2003年 / 現役引退)

日本代表

該当なし

卒業後のキャリアの総評

高校卒業後は中央大学へ進学し、キャプテンとして関東大学リーグなどで活躍。1994年にJリーグ初代王者のヴェルディ川崎へ加入した。ラモス瑠偉やビスマルクら錚々たるタレントが揃う中盤でボランチとして出場機会を掴み、Jリーグ制覇などに貢献した。

その後、川崎フロンターレ(期限付き移籍)、ヴィッセル神戸、ジェフユナイテッド市原でプレー。献身的な守備と状況判断に優れたゲームメイクでJ1通算244試合に出場し、2003年に現役を引退した。

引退後は指導者へ転身し、JFA公認S級コーチライセンスを取得。神戸のコーチや市原の監督代行・監督を経て、水戸ホーリーホックで手腕を発揮。2020年からはアビスパ福岡の監督を務め、5年周期のジンクスを破るJ1定着や2023年ルヴァンカップ初制覇というクラブ初タイトルをもたらしJ1優秀監督賞を受賞。2025年からは川崎フロンターレの監督としてJリーグの第一線を走り続けている。