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長谷川 健太(清水東高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
爆発的なスプリントと鋭いドリブル突破、正確無比なクロスと泥臭く泥にまみれてゴールを陥れる決定力で一時代を築いた「日本最高峰の右ウイング」。大榎克己、堀池巧と共に「清水東三羽烏」として高校サッカー界の頂点に君臨し、サッカー王国・静岡の黄金期を象徴するエースストライカーとして熱狂を巻き起こした。
清水東高校では1年時の選手権4強&インターハイ制覇を経験し、2年時の第61回全国高校選手権では圧倒的な攻撃力でチームを牽引し同校史上初となる全国制覇を達成。3年時にもインターハイ&選手権の双方で全国準優勝に導き、2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。
筑波大を経て日産自動車でJSL3冠を達成し、清水エスパルス創設期のエースとして君臨。日本代表として「ドーハの悲劇」を戦い、引退後はG大阪を国内3冠に導くなど名将として名を馳せる男の原点は、清水東の青いユニフォームにある。
所属チーム
静岡県立清水東高等学校
生年月日
1965年9月25日
サイズ(身長・体重)
177cm / 77kg
ポジション
FW
出身チーム
- 3種:清水市立第六中学校サッカー部(清水FC / 静岡県清水市)
- 4種:清水市立辻小学校サッカー部(清水FC / 静岡県清水市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1981年度・第60回):静岡県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)
- 2年時(1982年度・第61回):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)(大会優秀選手選出)
- 3年時(1983年度・第62回):静岡県予選 優勝、全国大会 準優勝(大会優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1981年度・神奈川総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)
- 2年時(1982年度・鹿児島総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1983年度・愛知総体):静岡県予選 優勝、全国大会 準優勝
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1981年度):該当なし(※大会創設前)
- 2年時(1982年度):該当なし(※大会創設前)
- 3年時(1983年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1981年・びわこ滋賀国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 2年時(1982年・くにびき島根国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 優勝(静岡サッカー王国6冠達成)
- 3年時(1983年・あかぎ群馬国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:日本ユース代表(U-19日本代表 / 1983年)
- 日本高校選抜:1983年・1984年選出(第61回・第62回選手権大会優秀選手・2年連続欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:静岡県選抜(1982年島根国体 優勝)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
小学生時代に清水FCの一員として全日本少年サッカー大会優勝を成し遂げ、清水東高校へ進学後は1年生時から攻撃の中心として台頭。高校2年・3年時には静岡県選抜の主力として国体に出場し、1982年の島根国体では静岡県勢の全国完全制覇(6冠達成)の一角を担って優勝を果たした。
全国高校選手権では2年時に初優勝、3年時に準優勝を飾り、2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出。欧州遠征(デュッセルドルフ国際ユース大会等)でも世界の強豪DF陣を鋭いスピードで切り裂くプレーを見せ、日本ユース代表(U-19日本代表)としてもアジアユース予選など国際舞台で活躍。高校年代を通じて常に世代屈指のアタッカーとして国内外のスカウトから絶大な評価を集めた。
卒業後の進路
大学
筑波大学体育専門学群(1984年 – 1987年 / 関東大学リーグ優勝、在学中に日本代表A代表初選出)
プロ・社会人
- 日産自動車サッカー部(JSL1部 / 1988年 – 1991年 / JSL2連覇、JSL3冠達成、1989年天皇杯優勝)
- 清水エスパルス(J1 / 1991年 – 1999年 / 1993年Jリーグベストイレブン、1996年ナビスコ杯優勝、1999年J1ステージ優勝)
日本代表
サッカー日本代表(A代表)(1987年 – 1995年 / 国際Aマッチ27試合4得点、1993年W杯アジア最終予選「ドーハの悲劇」メンバー)
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後は筑波大学へ進学し、エースとして関東大学リーグ優勝などに貢献。1987年には在学中に日本代表(A代表)へ初選出された。大学卒業後の1988年に日産自動車へ加入し、JSL2連覇や3冠達成など数々のタイトルを獲得した。
1991年には地元・清水エスパルスに創設メンバーとして加入し、大榎・堀池との三羽烏が再集結。Jリーグ開幕初年度からスピード溢れるサイドアタックでチームを牽引し、1993年Jリーグベストイレブンや1996年ナビスコ杯初制覇に大きく貢献した。日本代表としても1993年「ドーハの悲劇」を不動の右ウイングとして戦い抜いた。
引退後は指導者として清水、G大阪(2014年国内3冠達成)、FC東京、名古屋の監督を歴任。J1歴代トップクラスの勝利数を誇る名将として日本サッカー界を牽引し続けている。














