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武田 修宏(清水東高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
抜群の得点感覚とDFの背後へ抜け出す鋭いポジショニング、卓越したボールコントロールでゴールを量産した「元祖・天才ストライカー」。浜松から名門・清水東高校へ越境進学し、大榎克己や長谷川健太、堀池巧ら「清水東三羽烏」が最上級生だった1年時からセンターフォワードのレギュラーに君臨した。
1年時の第62回全国高校選手権では県予選で9得点を挙げて得点王とMVPを獲得し、全国大会でも5ゴールを奪って準優勝に貢献。1年生ながら大会優秀選手および日本高校選抜に選出され、高校サッカー界のアイドル的存在として絶大な人気を誇った。
読売クラブやヴェルディ川崎でJリーグ創設期の黄金期を支え、数々のタイトル獲得とMVP・得点王に輝いた稀代の点取屋。日本代表としてもドーハの悲劇やアジア杯制覇を経験したストライカーの真髄は、1年生から激戦区・静岡でゴールを奪い続けた高校時代の勝負強さに凝縮されている。
所属チーム
静岡県立清水東高等学校
生年月日
1967年5月10日
サイズ(身長・体重)
177cm / 68kg
ポジション
FW
出身チーム
- 3種:浜松市立丸塚中学校サッカー部(静岡県浜松市)
- 4種:浜松佐藤サッカースポーツ少年団(浜松市立佐藤小学校 / 静岡県浜松市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1983年度・第62回):静岡県予選 優勝(9得点で得点王&MVP)、全国大会 準優勝(本大会5得点、大会優秀選手選出)
- 2年時(1984年度・第63回):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1985年度・第64回):静岡県予選 準決勝敗退(全国大会不出場 ※県大会優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1983年度・愛知総体):静岡県予選 優勝、全国大会 準優勝
- 2年時(1984年度・秋田総体):静岡県予選 優勝、全国大会 3回戦進出(ベスト16)
- 3年時(1985年度・石川総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1983年度):該当なし(※大会創設前)
- 2年時(1984年度):該当なし(※大会創設前)
- 3年時(1985年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1983年・あかぎ群馬国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 準優勝
- 2年時(1984年・わかくさ奈良国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 準優勝
- 3年時(1985年・わかとり鳥取国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 優勝
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-16日本代表(1982年ライオンシティカップ得点王)、日本ユース代表(U-19日本代表 / 1983年)
- 日本高校選抜:1984年選出(第62回大会優秀選手・欧州遠征参加 ※1年生で選出)
- 都道府県選抜:静岡県選抜(国体:1983年準優勝、1984年準優勝、1985年優勝)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
中学時代から年代別日本代表に名を連ね、中学3年時には日本ジュニアユース代表としてシンガポールで開催されたライオンシティカップで得点王を獲得。清水東高校進学後も高校1年時から日本ユース代表(U-19日本代表)に選出され、アジアユース選手権予選など国際大会を経験した。
全国大会での活躍から1年生にして日本高校選抜に抜擢され、ヨーロッパ遠征(デュッセルドルフ国際ユース大会等)にも参加。静岡県選抜としても高校1年時から3年連続で国体に出場し、1年時・2年時の準優勝を経て、3年時の鳥取国体では準決勝で7得点を挙げる離れ業を演じるなどチームを全国制覇へと導いた。高校年代を通じて常に世代トップの評価を受け続け、卒業後の日本代表定着への足がかりを築いた。
卒業後の進路
大学
該当なし(高卒プロ・実業団入り)
プロ
- 読売クラブ / ヴェルディ川崎(JSL1部 / Jリーグ / 1986年 – 1995年 / 1986-87年JSL新人王、1990-91年JSL得点王、1991-92年JSL MVP、Jリーグ優勝2回)
- ジュビロ磐田(J1 / 1996年)
- 京都パープルサンガ(J1 / 1997年)
- ジェフユナイテッド市原(J1 / 1998年 – 1999年)
- スポルティボ・ルケーニョ(パラグアイ1部 / 2000年)
- 東京ヴェルディ1969(J1 / 2000年 – 2001年)
日本代表
サッカー日本代表(A代表)(1987年 – 1994年 / 国際Aマッチ18試合1得点、1992年アジアカップ優勝、1993年W杯最終予選「ドーハの悲劇」メンバー)
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後の1986年、日本サッカーリーグ(JSL)の読売クラブへ加入。高卒ルーキーながら新人王を獲得し、リーグ優勝やJSLカップ制覇に貢献した。1990-91シーズンには得点王、翌1991-92シーズンにはリーグ最優秀選手賞(MVP)を獲得し、名実ともに日本最高峰のストライカーへと成長した。
1993年のJリーグ開幕後はヴェルディ川崎のエースFWとして三浦知良らと強力攻撃陣を形成し、Jリーグ2連覇やナビスコカップ3連覇に大きく貢献。1994年にはJリーグベストイレブンにも輝いた。日本代表としても1992年アジアカップ優勝や1993年「ドーハの悲劇」を経験した。
その後は磐田、京都、市原(現・千葉)やパラグアイ1部のスポルティボ・ルケーニョなど国内外でプレーを続け、J1通算94得点を記録。引退後はJFA公認S級コーチライセンスを取得し、スポーツコメンテーターとしてサッカーの普及に尽力している。


















