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星野 晋吾(武南高校 埼玉県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
「紫紺の14番」として高校サッカー界に鮮烈な伝説を刻んだ天才アタッカー。卓越したボールコントロールと相手の逆を突く柔軟なアイデア、意表を突くパスと高い決定力で、名将・大山照人監督が率いる武南高校のパスサッカーを最前線・中盤で華麗に牽引した。
高校3年時の1981年度(第60回全国高校サッカー選手権大会)では背番号14を背負い、柴崎薫らとともに快進撃を牽引。韮崎高校との決勝戦では、右足の負傷や発熱を抱えながらも先制点のアシストと値千金の追加点ゴールを奪い、武南高校を史上初の全国制覇(埼玉県勢としても悲願の優勝)へ導いた。その優雅で創造性溢れるプレースタイルは、漫画『キャプテン翼』の三杉淳のモデルの一人とも語り継がれている。
卒業後は日本大学を経て日本サッカーリーグの日立製作所(後の柏レイソル)で技巧派MFとして活躍。武南高校サッカー部の黄金期を切り拓いた不滅のヒーローである。
所属チーム
武南高等学校
生年月日
1964年3月14日
サイズ(身長・体重)
166cm / 60kg
ポジション
MF / FW
出身チーム
- 3種:埼玉県内中学校
- 4種:埼玉県内少年団
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1979年度・第58回):埼玉県予選 優勝、全国大会 2回戦敗退
- 2年時(1980年度・第59回):埼玉県予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1981年度・第60回):埼玉県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)(大会優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1979年度・滋賀総体):埼玉県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1980年度・愛媛総体):埼玉県予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1981年度・神奈川総体):埼玉県予選 優勝、全国大会 2回戦(初戦)敗退
全日本ユース(高円宮杯)
- 該当なし(※1989年度創設のため、高校在籍時は未開催)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1979年・宮崎国体):記録なし/未確認
- 2年時(1980年・栃の葉国体):記録なし/未確認
- 3年時(1981年・びわこ国体):記録なし/未確認
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:未確認/記録なし
- 日本高校選抜:1982年選出(欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:未確認/記録なし
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
武南高校時代は、大山照人監督のもとで磨かれたショートパスと個人技を武器に、1年時から選手権の全国舞台を経験。激戦区・埼玉県で浦和南などの伝統校としのぎを削りながら、チームの絶対的な攻撃の核へと成長を遂げた。
3年時の第60回全国高校サッカー選手権大会では、抜群の判断力と勝負強さで武南の全国初優勝の立役者となり、大会優秀選手に選出。大会終了後には日本高校選抜に選ばれ海外遠征に参加した。小柄ながら相手守備陣を翻弄する高い技術とインテリジェンスは、同世代の選手や全国のサッカー少年に絶大な衝撃を与えた。
卒業後の進路
大学
日本大学(1982年 – 1985年度)
プロ
- 日立製作所本社サッカー部 / 柏レイソル(1986年 – 1994年)
日本代表
該当なし
卒業後のキャリアの総評
武南高校卒業後は日本大学へと進学し、関東大学サッカーリーグなどで司令塔として活躍。大学卒業後の1986年に日本サッカーリーグ(JSL)の名門・日立製作所サッカー部に入団した。
日立製作所ではJSL1部・2部の昇降格を争う中で中盤のゲームメーカーとして長年チームを支え、Jリーグ発足を控えた1992年以降のジャパンフットボールリーグ(旧JFL)および柏レイソル初期までプレー。1994年の現役引退まで通算8シーズンにわたり黄色いユニフォームを身に纏い貢献した。
引退後は柏レイソルの下部組織コーチなどを務めて後進の育成に尽力。多くのファンや後輩たちから「伝説の14番」として敬愛され続けた。





















