高校・クラブユースのチーム紹介ページ▼

国見高校(長崎県)チーム紹介

国見_長崎県

国見高校(長崎県)チーム紹介

学校・クラブ発足とサッカー部の歴史

学校の設立について

長崎県立国見高等学校の起源は、1949(昭和24)年に設置された長崎県立島原高等学校の神代分校および多比良分校に遡ります。島原半島北部の地域社会からの強い要望に応え、農村・有明海沿岸地域の青少年に中等教育の機会を提供する定時制高校として開校しました。

その後、昭和の大合併を経て1956年に多比良分校が国見分校へと改称され、昼間部への転換や全日制普通科の設置が進められた後、1964年に神代分校と国見分校が統合されました。そして1967(昭和42)年4月1日、島原高等学校から分離・独立を果たし、現在の「長崎県立国見高等学校」として新たな歩みを始めました。

建学以来、校訓に「誠実・気魄・努力」を掲げ、学習活動と部活動の両立を図る文武両道の教育を実践。普通科単科校として基礎学力の定着から大学進学・公務員試験対策まで多様な進路希望に応える指導を展開してきました。また、敷地内から貴重な土偶や農耕石器が出土した歴史的背景から考古学研究部が全国的な発掘調査実績を残し、学校敷地内に考古学資料館や考古博物園を併設するなど、独自の教育・文化環境を有しています。島原鉄道多比良駅や有明フェリー多比良港に近接し、長崎県内のみならず熊本県など九州各地域からも生徒を受け入れ、地域に根差した伝統校として歩み続けています。

創部・設立の経緯

国見高校サッカー部は、1967(昭和42)年の学校独立・開校と同時に創部されました。創部当初は部員数も少なく、地方の一公立高校の部活動として県予選の初戦や中位で敗退を繰り返す無名の存在でした。

チームの歴史を根底から変えたのは、1984(昭和59)年に島原商業高校をインターハイ全国制覇に導いた名将・小嶺忠敏監督が教諭として赴任したことです。小嶺監督は「サッカーを通じた人間教育」を掲げ、挨拶・礼儀・清掃などの生活習慣を徹底させるとともに、猛烈な走り込みとフィジカルトレーニング、1日5000キロカロリーを摂取する徹底した食育を導入しました。さらに自らマイクロバスを運転して全国各地を転戦する遠征合宿を敢行し、全国の強豪と肌を合わせることでチーム力を急激に引き上げました。

赴任わずか2年後の1986年に全国高校総体(インターハイ)で初出場初優勝の快挙を達成。同年度の第65回全国高校サッカー選手権大会でも初出場で準優勝に輝き、翌1987年度の第66回大会で悲願の選手権初優勝を飾りました。以来、冬の選手権には21年連続で出場し、全国優勝6回を数えるなど、高校サッカー史を塗り替える絶対王者として君臨することとなりました。小嶺監督が築いた強固な伝統と勝者のメンタリティは、公立校でありながら全国の頂点へ登り詰めた唯一無二の軌跡として受け継がれています。

全国大会等の成績について

国見高校サッカー部は、冬の「全国高校サッカー選手権大会」、夏の「全国高等学校総合体育大会(インターハイ)」、秋の「高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会」において、高校サッカー史に刻まれる圧倒的な全国実績を打ち立ててきました。

全国高校サッカー選手権大会においては通算24回の全国出場を誇り、戦後最多タイとなる優勝6回(1987年度、1990年度、1992年度、2000年度、2001年度、2003年度)、準優勝3回(1986年度、1993年度、2002年度)、ベスト4(3位)3回(1989年度、1991年度、2004年度)を達成しています。初出場となった1986年度の第65回大会でいきなり準優勝を果たすと、翌年の第66回大会で東海大一を破り全国初制覇。1986年度から2006年度の第85回大会まで「21年連続全国大会出場」という驚異的な大記録を樹立しました。特に大久保嘉人を擁した2000年度の第79回大会から、平山相太が大会史上最多得点記録(通算17得点、1大会9得点)を樹立した2003年度の第82回大会にかけては、4年連続で決勝進出を果たし3度の全国制覇を成し遂げる黄金期を築きました。

全国高校総体(インターハイ)でも通算23回の全国出場を果たし、全国優勝5回(1986年、1993年、2000年、2003年、2004年)、準優勝2回(1987年、2002年)、ベスト4(3位)3回(1992年、1997年、2023年)という輝かしい戦績を記録。1986年の初優勝をはじめ、2003年・2004年には大会連覇を達成しました。特筆すべきは近年の大躍進であり、2023(令和5)年度の北海道総体において初芝橋本、帝京第五、金光大阪、矢板中央といった強豪を次々と撃破し、19年ぶりとなる全国ベスト4(3位)進出を果たして全国に完全復活を印象づけました。さらに2024年、2026年にも長崎県予選を制して全国総体出場を果たしています。

さらにJクラブユースと高校勢が真剣勝負を繰り広げた高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権大会においても、2001年と2002年に全国連覇を達成、1989年・1991年にも準優勝、1990年・1996年・2000年に全国ベスト4(3位)を記録。2000年度にはインターハイ、国民体育大会(長崎県選抜・国見単独チーム)、高校選手権の全冠を制覇する「高校3冠」の不滅の大偉業を達成しました。長年の低迷期を経て、2022年度の第101回高校選手権で12年ぶりに全国大会出場を果たして16強へ進出、2023年インターハイ全国4強、そして2026年インターハイ出場と、青と黄の縦縞の軍団は力強い歩みを続けています。

強化の結果

国見高校サッカー部が達成した数々の偉業と強化の成果は、日本の高校サッカー界および日本サッカーの発展史において決定的な役割を果たしました。

最大の成果は、九州・地方の公立普通科高校が全国の頂点に君臨し続けたという事実です。徹底した走り込みによる圧倒的な運動量、球際のデュエルの強さ、ヘディングや空中戦の強さ、そして徹底したセットプレーという「勝つためのフットボール」を確立し、それまで首都圏や名門私学が優勢だった高校サッカー界の力関係を劇的に覆しました。国見の台頭は九州各県の指導者や選手に強烈な刺激を与え、鹿児島実業、東福岡、大津といった強豪校が切磋琢磨する土壌を生み出し、九州サッカー全体の競技レベルを飛躍的に押し上げました。

また、ピッチ内の戦術的インパクトにとどまらず、日本代表選手やJリーガーを70名以上輩出した圧倒的なタレント育成力は特筆に値します。高木琢也、永井秀樹、三浦淳宏、都築龍太、大久保嘉人、徳永悠平、柴崎晃誠、平山相太、渡邉千真、山村和也といった各年代の日本代表選手やワールドカップ出場選手を育成。高校卒業後に直接プロ入りした選手のみならず、早稲田大学、明治大学、筑波大学、国士舘大学などの名門大学へ進学して主将や主力を務めた後にプロ入りする選手が非常に多く、大学サッカー界やJリーグ各クラブから絶大な信頼を獲得しました。徹底した人間教育と自己管理能力の養成は、プロ引退後も監督やコーチ、クラブ経営者として日本サッカーを支える有為な人材を多数輩出する礎となっています。

監督・コーチ

現在の国見高校サッカー部は、同校OBであり元Jリーガーの木藤健太監督のもと、名門復活と新時代のチームづくりを両立させた強固な指導体制を構築しています。

木藤監督は選手時代に小嶺忠敏監督の指導を受け、近畿大学を経てアビスパ福岡やモンテディオ山形などでプレーした実績を持ちます。2018年の監督就任以降、名門に受け継がれてきた「ハードワーク」「デュエルの強度」「ピッチ外での礼儀」を根底に据えつつ、自ら考えてプレーを選択する判断力や現代的な戦術眼を融合させたサッカーを追求。2022年度の第101回高校選手権でチームを12年ぶりの全国大会出場(16強進出)へ導き、2023年インターハイでは19年ぶりの全国ベスト4進出を達成するなど確固たる手腕を発揮しています。

指導スタッフ陣には、総監督としてチーム全体を支える内田利広をはじめ、同じく国見OBの経験豊富な指導者が在籍。トップチームだけでなく、長崎県リーグを戦うセカンドチーム、サードチーム、U-16年代の球蹴男児ルーキーリーグに参戦する1年生チームまで一貫した育成方針のもとで手厚く指導を行い、選手一人ひとりの技術向上と人間的成長を支えています。

歴代監督

  • 小嶺忠敏(こみねただとし)(在籍期間:1984年〜2007年1月 監督・総監督)

    小嶺忠敏は、1984年に島原商業高校から国見高校へ赴任し、無名だった公立高校を高校サッカー史に輝く最強の常勝軍団へと育て上げた不世出の名将です。1968年から率いた島原商業で1977年にインターハイ優勝を果たすなど全国屈指の手腕を持っていた小嶺は、国見赴任後も「サッカーを通じた人間教育」を根底に据え、妥協のないチーム作りを進めました。自らマイクロバスのハンドルを握って全国の強豪を巡る遠征合宿を重ね、選手には毎朝の清掃や礼儀、学業の徹底を義務付けました。ピッチ内では圧倒的な運動量を誇るスタミナ、泥臭く球際を制するデュエル、徹底した空中戦とセットプレーを叩き込み、赴任2年目の1986年にインターハイ初優勝。選手権でも初出場準優勝を果たし、翌1987年には選手権初制覇を成し遂げました。2000年度にはインターハイ、国体、選手権を制する史上初の「高校3冠」を達成。選手権優勝6回(戦後最多タイ)、インターハイ優勝5回、全日本ユース優勝2回など通算14回の全国制覇を誇り、大久保嘉人や平山相太をはじめとする数々の日本代表やJリーガーを輩出。2007年1月に退任するまで、高校サッカー界の頂点に君臨し続けました。

  • 瀧上知巳(たきうえともみ)(在籍期間:2007年4月〜2011年3月 監督)

    小嶺忠敏監督の島原商業時代の教え子である瀧上知巳は、順天堂大学卒業後に実業団でプレーしたのち、国見高校コーチ(1992年〜1995年)として母校の全国制覇を支えました。その後、熊本国府高校サッカー部の初代監督に就任し、創部わずか4年で同校を全国高校選手権初出場に導くなど優れた指導手腕を発揮しました。2007年1月に小嶺総監督が退任したことを受け、同年4月に後任の監督として母校へ復帰(総監督制は廃止)。絶対的カリスマが去った後の重責を担い、長年続いていた選手権連続出場記録が途絶えるという苦難にも直面しましたが、伝統の走力とフィジカルの強さに加え、戦術的なポジショニングやパスワークの要素を融合させたチーム再建に尽力しました。その粘り強い指導が実を結び、2009年度の第88回全国高校サッカー選手権大会長崎県予選を制して3年ぶりの全国大会出場を果たすと、翌2010年度の第89回大会でも2年連続となる全国切符を獲得。激戦区の長崎県予選を勝ち抜く勝負強さを取り戻し、過渡期にあった名門の看板を支えて後進へとバトンをつなぎました。

  • 内田利広(うちだとしひろ)(在籍期間:2011年〜2014年頃 監督・指導統括、2018年〜現在 総監督)

    国見高校OBで元Jリーガー(名古屋グランパスエイト、セレッソ大阪)の内田利広は、現役引退後に地元・国見町へ戻り、役場勤務や地域サッカーの普及・強化に携わった後、2011年に母校の指導陣へ復帰しました。瀧上知巳監督退任後の過渡期において、堀川純一教諭らとともに指導統括・監督としてチームの再建に尽力しました。名門の火を絶やすまいと、自らのプロ経験や明治大学時代に培った戦術眼を選手たちへ注入。公立高校として選手集めや少子化の波に苦しむなかでも、全国の強豪大学や有力クラブチームとの独自のネットワークを活かしてスカウティングや進路支援を支え続けました。2018年に木藤健太監督が就任して以降は「総監督」に就任し、グラウンド内外で現場を全面的にバックアップ。木藤監督が目指す自立的で近代的なサッカーを後方から支え、2022年度の12年ぶり高校選手権出場や2023年のインターハイ全国ベスト4進出、プリンスリーグ九州1部復帰といった近年の躍進に多大な貢献を果たしています。

  • 堀川純一(ほりかわじゅんいち)(在籍期間:2011年〜2015年頃 教員・監督・現場指導)

    国見高校OBであり、同校の教諭として長く校内に常駐していた堀川純一は、瀧上知巳監督の退任後、内田利広らとともに激動の過渡期にあった国見高校サッカー部の指導体制を支えた中心的人物です。名将・小嶺忠敏監督の薫陶を受けた直系の教え子として、国見の伝統である「誠実・気魄・努力」の精神と規律正しい生活習慣を日々の指導の基盤に据えました。学校現場の教員として生徒一人ひとりの学業や私生活に目を配りながら、放課後のグラウンドで熱血指導を展開。県内外のライバル私学が台頭し、戦績が伸び悩む苦しい状況下にあっても、選手たちを鼓舞し続け、名門のプライドとサッカーを通じた人間教育を徹底しました。同期の小嶺栄二を専任監督として招聘する際にも尽力し、現場のコーチ・教員として円滑なバトンタッチをサポート。名門が最も苦しんだ時代に現場の砦として踏みとどまり、伝統の灯を絶やさずに次の世代へとつないだ功労者です。

  • 小嶺栄二(こみねえいじ)(在籍期間:2015年〜2017年頃 専任監督)

    堀川純一教諭の高校同期OBである小嶺栄二は、日本体育大学で最新のスポーツ科学やサッカー指導理論を学んだ後、2015年に専任監督として招聘されました。名将・小嶺忠敏元監督と名字が同じであり遠戚でもあったことから大きな注目を集めるなか、苦境にあった名門の抜本的なチーム改革に着手しました。指導スタイルは極めて理論的かつアカデミックで、従来の素走り中心の過酷なトレーニングを見直し、戦術ボードを用いて練習メニューの目的を選手と共有。状況判断力、ポジショニングの精度、ボールの受け方や体の向きといった細やかな戦術的アプローチを集中的に導入しました。走力やフィジカルの強さに頼るだけでなく、組織的なパスワークと連動したプレッシングで相手を上回る「近代的な国見サッカー」の基礎を構築。2019年に37歳の若さで惜しまれつつ逝去しましたが、彼が蒔いた自律的・理論的なサッカースタイルの種は、その後の木藤健太監督体制における全国ベスト4進出などの大躍進へと確実に結実しました。

  • 木藤健太(きふじけんた)(在籍期間:2018年〜現在 監督)

    国見高校サッカー部OBであり、高校時代は中心選手として活躍した木藤健太は、近畿大学を経てアビスパ福岡やモンテディオ山形などでプロ選手として通算6年間プレーしました。引退後に教員免許を取得して教員採用試験に合格し、県立高校の教員として指導者キャリアをスタート。2017年に母校のコーチとして着任し、2018年に監督に就任しました。木藤監督は、全国大会から遠ざかっていた名門の再建にあたり、創部以来の伝統であった部員の「丸刈り(坊主頭)義務」を廃止し、スマートフォンの使用解禁など時代に即した生活環境の近代化を断行。小嶺イズムの根幹である「球際の強さ」「ハードワーク」「礼儀・感謝の心」といった良き伝統を継承しつつ、選手自らが考えて判断・行動する自律的なサッカースタイルへと舵を切りました。2021年の九州新人大会で14年ぶりの優勝を果たすと、2022年度の第101回全国高校サッカー選手権大会長崎県予選で12年ぶりの優勝を飾り、全国大会でも3回戦(ベスト16)進出を達成。さらに2023年のインターハイでは19年ぶりの全国ベスト4進出、2026年にも長崎県総体を制してインターハイ出場へ導くなど、新時代の国見サッカーを牽引しています。

チームのサッカー

  • スローガン・育成理念
    • 部訓・モットー:「誠実・気魄・努力」「国見魂」
    • 育成理念:「サッカーを通じた人間形成」。挨拶、礼儀、清掃、学業を重んじ、厳しい鍛錬と集団生活を通じて社会で力強く生き抜くタフな人間性を育成。自ら考え自ら行動する自立心の確立。
  • 基本フォーメーション
    • 「4-4-2」または「4-2-3-1」
  • 戦術的特徴
    • 圧倒的な運動量とハードワーク:攻守において90分間足を止めず、相手陣内からの素早いプレスと連動したプレッシングでボールを奪取。
    • 球際の強度と空中戦:伝統の強靭なフィジカルを活かしたデュエルの強さ、ヘディングやセカンドボール争いにおける圧倒的な勝負強さ。
    • 堅守速攻と緻密なセットプレー:強固な守備ブロックからのダイレクトなカウンター攻撃と、徹底的に鍛え上げられたコーナーキック、フリーキック、ロングスローによる得点力。

全国大会の成績

全国高校サッカー選手権大会

全国大会出場回数:24回(優勝6回、準優勝3回、ベスト4 3回)

年度 大会名(回数) 成績 詳細・戦績メモ
1986第65回全国選手権(初出場)準優勝初出場で快進撃、決勝で東海大一に0-1惜敗
1987第66回全国選手権(2回目)優勝決勝で東海大一を1-0で下し選手権初制覇
1988第67回全国選手権(3回目)ベスト8準々決勝で清水商に0-1で惜敗
1989第68回全国選手権(4回目)ベスト4準決勝で南宇和と激闘、全国3位
1990第69回全国選手権(5回目)優勝決勝で鹿児島実業を1-0で破り2度目の日本一
1991第70回全国選手権(6回目)ベスト4準決勝で帝京にPK戦惜敗、全国3位
1992第71回全国選手権(7回目)優勝決勝で山城を2-0で下し3度目の全国制覇
1993第72回全国選手権(8回目)準優勝決勝で清水商に1-2で敗れ準優勝
1994第73回全国選手権(9回目)3回戦敗退ベスト16進出、富山第一に敗れる
1995第74回全国選手権(10回目)2回戦敗退10年連続出場、初戦突破も2回戦敗退
1996第75回全国選手権(11回目)ベスト8準々決勝で徳島市立にPK戦敗退
1997第76回全国選手権(12回目)3回戦敗退ベスト16進出、帝京に敗れる
1998第77回全国選手権(13回目)2回戦敗退初戦で前橋育英に敗退
1999第78回全国選手権(14回目)2回戦敗退日大藤沢にPK戦で敗れる
2000第79回全国選手権(15回目)優勝大久保嘉人得点王、草津東を破り高校3冠
2001第80回全国選手権(16回目)優勝岐阜工を3-1で下し選手権連覇を達成
2002第81回全国選手権(17回目)準優勝平山相太得点王、市立船橋に0-1で惜敗
2003第82回全国選手権(18回目)優勝平山相太9得点、筑陽学園を6-0で圧倒し6度目V
2004第83回全国選手権(19回目)ベスト4準決勝で市立船橋とPK戦激闘、全国3位
2005第84回全国選手権(20回目)2回戦敗退20年連続出場、初戦で青森山田に敗れる
2006第85回全国選手権(21回目)1回戦敗退八千代にPK戦敗退、小嶺監督ラスト大会
2007第86回長崎県予選予選8強長崎南山にPK戦惜敗、連続出場がストップ
2008第87回長崎県予選予選4強長崎日大に敗れ2年連続予選敗退
2009第88回全国選手権(22回目)2回戦敗退瀧上体制で3年ぶり全国復帰、初戦突破
2010第89回全国選手権(23回目)2回戦敗退2年連続出場、初戦突破も座間に敗れる
2011第90回長崎県予選予選敗退長崎日大が県代表となる
2012第91回長崎県予選予選敗退長崎総科大附が初優勝
2013第92回長崎県予選予選敗退長崎総科大附が2連覇
2014第93回長崎県予選予選敗退長崎総科大附が3連覇
2015第94回長崎県予選予選敗退長崎南山が県代表となる
2016第95回長崎県予選予選4強長崎総科大附に敗れる
2017第96回長崎県予選予選敗退長崎総科大附が県代表
2018第97回長崎県予選予選4強木藤新監督就任、長崎総科大附に惜敗
2019第98回長崎県予選予選4強長崎総科大附に敗れる
2020第99回長崎県予選予選4強創成館が県代表となる
2021第100回長崎県予選予選準優勝長崎総科大附との決勝に0-1惜敗
2022第101回全国選手権(24回目)3回戦敗退12年ぶり全国復帰、尚志をPKで下し16強
2023第102回長崎県予選予選準優勝長崎総科大附に1-3惜敗し全国逃す
2024第103回長崎県予選予選敗退長崎総科大附が県代表
2025第104回長崎県予選予選敗退激戦の県予選で上位進出も本大会逃す

全国高等学校総合体育大会(インターハイ)

全国大会出場回数:23回(優勝5回、準優勝2回、ベスト4 3回)

年度 大会名(回数) 成績 詳細・戦績メモ
1986昭和61年度全国総体(初出場)優勝初出場で決勝進出、東福岡を破り総体初制覇
1987昭和62年度全国総体(2回目)準優勝2年連続決勝進出、市立船橋に敗れ準優勝
1988昭和63年度全国総体(3回目)2回戦敗退全国大会出場、初戦突破
1989平成元年度長崎県総体予選敗退島原商が県代表となる
1990平成2年度全国総体(4回目)3回戦敗退ベスト16進出
1991平成3年度全国総体(5回目)2回戦敗退全国大会出場
1992平成4年度全国総体(6回目)ベスト4全国3位進出、準決勝で清水商に惜敗
1993平成5年度全国総体(7回目)優勝決勝で鹿児島実業を下し7年ぶり2度目の頂点
1994平成6年度全国総体(8回目)2回戦敗退全国大会出場
1995平成7年度全国総体(9回目)3回戦敗退ベスト16進出
1996平成8年度全国総体(10回目)2回戦敗退10回目のインターハイ出場
1997平成9年度全国総体(11回目)ベスト4全国3位進出、準決勝で東福岡に敗れる
1998平成10年度全国総体(12回目)2回戦敗退全国大会出場
1999平成11年度全国総体(13回目)3回戦敗退ベスト16進出
20002000年岐阜総体(14回目)優勝決勝で青森山田を下し3度目の制覇・3冠初戦
20012001ひのくに新世紀総体(15回目)ベスト8準々決勝で藤枝東に敗退
20022002茨城総体(16回目)準優勝決勝進出、帝京に敗れ準優勝
20032003長崎ゆめ総体(17回目)優勝地元長崎で市立船橋を破り4度目の全国制覇
20042004中国総体(18回目)優勝市立船橋を再び破り大会連覇・5度目のV
20052005千葉総体(19回目)2回戦敗退全国大会出場
20062006近畿総体(20回目)1回戦敗退初戦で前橋育英に敗退
20072007佐賀総体長崎県予選予選敗退島原商が県代表
20082008埼玉総体長崎県予選予選敗退長崎日大が県代表
20092009奈良総体長崎県予選予選敗退島原商が県代表
20102010沖縄総体長崎県予選予選決勝敗退海星に惜敗し代表を逃す
20112011秋田総体長崎県予選予選敗退長崎日大が県代表
20122012北信越総体長崎県予選予選敗退長崎総科大附が初代表
20132013北部九州総体長崎県予選予選敗退長崎総科大附が代表
20142014南関東総体長崎県予選予選敗退海星が代表
20152015近畿総体長崎県予選予選敗退長崎総科大附が代表
20162016中国総体長崎県予選予選敗退長崎総科大附が代表
20172017南東北総体長崎県予選予選敗退長崎総科大附が代表
20182018東海総体長崎県予選予選敗退長崎日大が代表
20192019南部九州総体長崎県予選予選敗退創成館が代表
2020令和2年度全国高校総体大会中止新型コロナウイルス感染症拡大の影響で中止
20212021北信越総体長崎県予選予選4強長崎総科大附に敗れる
20222022四国総体長崎県予選予選準優勝長崎総科大附との決勝に惜敗
20232023北海道総体(21回目)ベスト413年ぶり出場で快進撃、19年ぶり全国3位入賞
20242024北部九州総体(22回目)3回戦敗退2年連続全国出場、ベスト16進出
20252025中国総体長崎県予選予選準優勝長崎総科大附に敗れ惜しくも準優勝
20262026福島総体(23回目)2回戦敗退長崎総科大附を延長で下し2年ぶり全国復帰

高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会

出場回数:12回(優勝2回、準優勝2回、ベスト4 3回)

年度 大会名(回数) 成績 詳細・戦績メモ
1989第1回全日本ユース(初出場)準優勝プレ大会決勝進出、読売ユースに惜敗
1990第2回全日本ユース(2回目)ベスト4全国3位進出
1991第3回全日本ユース(3回目)準優勝決勝進出、徳島市商に敗れ準優勝
1992第4回全日本ユース(4回目)1回戦敗退4年連続全国大会出場
1993第5回全日本ユース(5回目)1回戦敗退5年連続全国大会出場
1994第6回全日本ユース九州予選予選敗退九州地区予選敗退
1995第7回全日本ユース九州予選予選敗退九州地区予選敗退
1996第8回全日本ユース(6回目)ベスト43年ぶり全国出場で3位入賞
1997第9回全日本ユース九州予選予選敗退九州地区予選敗退
1998第10回全日本ユース九州予選予選敗退九州地区予選敗退
1999第11回全日本ユース九州予選予選敗退九州地区予選敗退
2000第11回全日本ユース(7回目)ベスト4秋開催移行初年度、全国3位進出
2001第12回全日本ユース(8回目)優勝FC東京U-18を破り全日本ユース初制覇
2002第13回全日本ユース(9回目)優勝C大阪ユースを下し大会連覇達成
2003第14回全日本ユース(10回目)GL敗退グループリーグ1勝2敗で敗退
2004第15回全日本ユース(11回目)GL敗退グループリーグ敗退
2005第16回全日本ユース(12回目)16強敗退決勝トーナメント進出、ラウンド16敗退
2006第17回高円宮杯九州予選予選敗退プリンス九州6位で出場権逃す
2007第18回高円宮杯九州予選予選敗退プリンス九州6位で出場権逃す
2008第19回高円宮杯九州予選予選敗退プリンス九州11位で出場権逃す
2009第20回高円宮杯九州予選予選敗退プリンス九州2部優勝も本大会逃す
2010第21回高円宮杯九州予選予選敗退大会最終年度、九州予選突破ならず

高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ九州

参戦リーグ:プリンスリーグ九州(1部優勝・2部優勝・上位入賞多数)

年度 所属リーグ 順位・成績 備考
2003プリンスリーグ九州1部1部 3位創設初年度参戦、全日本ユース出場権獲得
2004プリンスリーグ九州1部1部 3位上位進出、全日本ユース出場権獲得
2005プリンスリーグ九州1部1部 2位準優勝、全日本ユース出場権獲得
2006プリンスリーグ九州1部1部 6位1部リーグ残留
2007プリンスリーグ九州1部1部 6位小嶺総監督退任初年度、1部残留
2008プリンスリーグ九州1部1部 11位年間3勝にとどまり2部降格
2009プリンスリーグ九州2部2部 1位2部優勝、得失点+41の快進撃で1部復帰
2010プリンスリーグ九州1部1部 9位1部残留
2011プリンスリーグ九州1部1部 11位高円宮杯改編年、11位で2部降格
2012プリンスリーグ九州2部2部 6位2部リーグで戦う
2013プリンスリーグ九州2部2部 7位2部リーグで戦う
2014プリンスリーグ九州2部2部 8位2部制最終年、長崎県リーグへ降格
2015長崎県U-18リーグ1部県1部 3位プリンスリーグ参入戦進出ならず
2016長崎県U-18リーグ1部県1部 3位県リーグで奮闘
2017長崎県U-18リーグ1部県1部 3位木藤コーチ着任、県リーグ上位
2018長崎県U-18リーグ1部県1部 3位木藤監督就任、プリンス復帰を目指す
2019長崎県U-18リーグ1部県1部 2位県リーグで優勝争い
2020スーパープリンス九州B組 6位コロナ禍特例大会に参戦
2021長崎県U-18リーグ1部県1部 1位県1部優勝、九州参入戦を制しプリンス復帰
2022プリンスリーグ九州2部2部 7位プリンス九州2部参戦、県リーグ降格
2023長崎県U-18リーグ1部県1部 1位県リーグ優勝、参入戦を勝ち抜き昇格
2024プリンスリーグ九州2部2部 1位2部優勝、2025年からの1部復帰決定
2025プリンスリーグ九州1部1部 5位復帰初年度で5位と健闘し1部残留
2026プリンスリーグ九州1部1部 5位(参戦中)第10節終了時点で5位、上位争い継続中

ユニフォーム

  • サプライヤー:アディダス(adidas / アディダス ジャパン株式会社)

    伝統のブランドパートナーシップから現在はアディダスを採用し、機能性とデザイン性を高めた最新ギアを着用。

  • ファーストユニフォーム(HOME):全国の高校サッカーファンに知れ渡る伝統の「青と黄の縦縞(ストライプ)」シャツ、青パンツ、青ソックス。
  • セカンドユニフォーム(AWAY):ホワイト(白)を基調としたクリーンなシャツ、白パンツ、白ソックス(対戦相手に応じて別カラーも採用)。

部員人数

  • 総部員数:約80名〜100名
  • カテゴリー構成・活動実態:
    • トップチーム(Aチーム):高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ九州1部に参戦
    • セカンドチーム(Bチーム):長崎県サッカーリーグ1部に参戦
    • サードチーム(Cチーム):長崎県サッカーリーグ2部/3部に参戦
    • U-16チーム:球蹴男児U-16ルーキーリーグD1に参戦
    • 各カテゴリーに専任スタッフを配置し、すべての選手に公式戦の真剣勝負の場を提供。
  • 主な出身チーム:
    • 長崎県内中学校・クラブ(国見中、スネイルSC、キックスFC、V・ファーレン長崎U-15、長崎ドリームFC、エクセデール長崎FC等)
    • 九州各県有力街クラブ(FCカミーリア筑紫野、CA Fukuocana、久留米AZALEA、ヴェルスパ大分U-15、太陽SC等)
    • 関西・関東有力クラブ(Erba FC、千里丘FC、RIP ACE等)

学校生活

  • 練習環境:
    • 国見高校グラウンド:夜間照明設備を完備したフルコートの土グラウンド
    • 周辺施設利用:雲仙市国見町総合運動公園(多目的広場・人工芝ピッチ)や遊学の里グラウンドを日常的に活用
    • トレーニングルーム:プロ仕様のウエイトトレーニング器具を完備
  • 練習時間:
    • 放課後の約2時間〜2時間半に集中した高強度トレーニングを実施。
    • 朝練(コンディショニング・個人技術トレーニング)および週末の公式戦・遠征合宿を定期実施。
  • 生活体制:
    • サッカー部専用寮(烏兎寮、第1寮、第2寮、第3寮等)を整備。
    • 県内外から集まった遠方出身の部員が共同生活を送り、自立心、自己管理能力、協調性を醸成。
  • 寮について:

    国見高校サッカー部の寮生活は、全国各地から集まった部員たちが「同じ釜の飯を食う」ことで強固な絆と自立心を育む人間形成の場となっています。学校敷地内および近隣に「烏兎寮」をはじめとする複数の専用寮が整備されており、遠方出身者や親元を離れた部員が共同生活を送っています。

    寮生活の大きな柱となっているのが、全盛期から受け継がれる徹底した「食育」です。かつて小嶺忠敏元監督が掲げた「まずは三度の食事、そして技術」という指導方針に基づき、過酷なトレーニングやフィジカル強化を内面から支えるため、栄養士の管理によるバランスの取れた食事が提供されています。朝食・夕食はもちろん、昼食も学校での弁当や寮食が確保され、体を大きく強くするための栄養摂取が徹底されています。

    現在は木藤健太監督のもとで、かつて厳格に定められていた丸刈り義務やスマートフォンの禁止が見直され、選手たちが自律的に時間管理や生活規律を守る近代的な生活環境へとアップデートされています。日々の清掃や整理整頓、点呼といった共同生活の基本を守りながら、ミーティングルームでの戦術確認や自習室での学業への取り組みを両立。ピッチ外での自己管理能力と連帯感が、大舞台での粘り強い団結力へと直結しています。

入部するには

  • 偏差値:普通科 約42〜44
  • 入部方法:
    • 一般選抜入試:長崎県公立高等学校入学者選抜試験による合格・進学。
    • 特別選抜入試(スポーツ特別選抜・部活動推薦枠):長崎県教育委員会の規定に基づく部活動の実績を重視した推薦入試。
    • 全国募集枠:県立高校でありながら長崎県外からの生徒を受け入れる「全国募集枠(定員の20%程度)」を設定。
    • 練習会・オープンスクール:中学生を対象とした夏期オープンスクールやサッカー部練習体験会への参加。

進路

  • 学校推薦・強豪大学進学実績:
    • 早稲田大学、明治大学、筑波大学、中央大学、法政大学、駒澤大学、国士舘大学、順天堂大学、大阪商業大学、近畿大学、関西学院大学、福岡大学、鹿屋体育大学、東海大学など、関東・関西・九州の大学サッカー強豪校へ多数の推薦枠・進学実績を保有。
  • Jリーグ・海外プロ出身選手一覧(卒業年度順・全員表記):
    • 1985年度卒業:高木琢也(FW:大阪商業大学→フジタ、マツダ/サンフレッチェ広島、ヴェルディ川崎、コンサドーレ札幌 / 元日本代表・元日本代表監督・現指導者)
    • 1986年度卒業:古島清人(GK:フジタ、アビスパ福岡、大宮アルディージャ、NTT九州)
    • 1986年度卒業:赤澤昌美(DF:順天堂大学→住友金属/鹿島アントラーズ)
    • 1986年度卒業:其田秀太(MF:全日空/横浜フリューゲルス、アビスパ福岡、サガン鳥栖)
    • 1986年度卒業:小島光顕(MF:東京農業大学→マツダ/サンフレッチェ広島、アビスパ福岡)
    • 1987年度卒業:立石敬之(MF:創価大学→東京ガス/FC東京、ベルマーレ平塚、大分トリニータ / 現シント=トロイデンVV CEO)
    • 1987年度卒業:中尾幸太郎(MF:大阪商業大学→ヴィッセル神戸)
    • 1987年度卒業:二宮浩(FW:中央大学→浦和レッズ、水戸ホーリーホック)
    • 1987年度卒業:村田一弘(DF:中央大学→三菱重工/浦和レッズ、セレッソ大阪、大分トリニータ)
    • 1987年度卒業:吉田裕幸(MF:国士舘大学→ヤマハ発動機/ジュビロ磐田、本田技研、ベガルタ仙台)
    • 1988年度卒業:永井秀樹(MF:国士舘大学中退→ヴェルディ川崎、福岡ブルックス、清水エスパルス、横浜フリューゲルス、横浜F・マリノス、東京ヴェルディ、FC琉球 / 元日本代表)
    • 1988年度卒業:山木勝博(DF:駒澤大学→住友金属/鹿島アントラーズ)
    • 1989年度卒業:原田武男(MF:早稲田大学→横浜フリューゲルス、セレッソ大阪、川崎フロンターレ、アビスパ福岡、V・ファーレン長崎)
    • 1990年度卒業:中口雅史(MF:大阪商業大学→ガンバ大阪、佐川急便大阪SC)
    • 1990年度卒業:路木健(MF:マツダ/サンフレッチェ広島、京都パープルサンガ)
    • 1990年度卒業:内田利広(MF:明治大学→名古屋グランパスエイト、セレッソ大阪)
    • 1991年度卒業:長峯宏範(DF:関西大学→京都パープルサンガ)
    • 1991年度卒業:塚本秀樹(GK:明治大学→アビスパ福岡、V・ファーレン長崎)
    • 1991年度卒業:路木龍次(MF:マツダ/サンフレッチェ広島、横浜マリノス/横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸、大分トリニータ / 元日本代表・アトランタ五輪代表)
    • 1991年度卒業:上村崇士(DF:横浜フリューゲルス、ヴィッセル神戸、ジェフユナイテッド市原、セレッソ大阪、川崎フロンターレ)
    • 1992年度卒業:永井篤志(MF:駒澤大学→アビスパ福岡、サンフレッチェ広島、モンテディオ山形、ベガルタ仙台、FC琉球)
    • 1992年度卒業:三浦淳宏(MF:青山学院大学中退→横浜フリューゲルス、横浜F・マリノス、東京ヴェルディ1969、ヴィッセル神戸、横浜FC / 元日本代表)
    • 1993年度卒業:中島豪(DF:早稲田大学→浦和レッズ)
    • 1995年度卒業:船越優蔵(FW:ガンバ大阪、テルスター(オランダ)、ベルマーレ平塚、アルビレックス新潟、東京ヴェルディ)
    • 1995年度卒業:宮崎健治(MF:関西学院大学→京都パープルサンガ)
    • 1995年度卒業:河口真一(DF:明治大学→アビスパ福岡)
    • 1995年度卒業:百武義成(DF:セレッソ大阪、デンソー)
    • 1995年度卒業:高木成太(MF:ヴェルディ川崎、横浜FC、東京ヴェルディ1969)
    • 1996年度卒業:都築龍太(GK:ガンバ大阪、浦和レッズ、湘南ベルマーレ / 元日本代表)
    • 1996年度卒業:中川雄二(GK:明治大学→YKK AP/カターレ富山)
    • 1997年度卒業:櫻井庄吾(GK:関西学院大学→SC鳥取/ガイナーレ鳥取)
    • 1997年度卒業:南光太(MF:水戸ホーリーホック)
    • 1998年度卒業:白尾秀人(FW:国士舘大学→ヴァンフォーレ甲府、松本山雅FC、V・ファーレン長崎、FC琉球)
    • 1999年度卒業:木藤健太(DF:近畿大学→アビスパ福岡、モンテディオ山形、三菱重工長崎SC / 現国見高校監督)
    • 1999年度卒業:小森田友明(MF:アビスパ福岡、大分トリニータ、ジェフユナイテッド千葉、ヴィッセル神戸、ロアッソ熊本、ペルシラ・バンダ・アチェ(インドネシア)、ギラヴァンツ北九州、三菱重工長崎SC)
    • 2000年度卒業:大久保嘉人(FW:セレッソ大阪、RCDマジョルカ(スペイン)、ヴィッセル神戸、VfLヴォルフスブルク(ドイツ)、川崎フロンターレ、FC東京、ジュビロ磐田、東京ヴェルディ / 元日本代表・J1通算最多得点記録保持者)
    • 2000年度卒業:松橋章太(FW:大分トリニータ、ヴィッセル神戸、ロアッソ熊本 / 元日本代表)
    • 2000年度卒業:田上渉(MF:大阪商業大学→V・ファーレン長崎、三菱重工長崎SC)
    • 2000年度卒業:川田和宏(MF:福岡大学→大分トリニータ、ガイナーレ鳥取、松本山雅FC、FCガンジュ岩手、ブラウブリッツ秋田)
    • 2000年度卒業:佐藤陽介(FW:青山学院大学→V・ファーレン長崎)
    • 2001年度卒業:徳重健太(GK:浦和レッズ、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸、V・ファーレン長崎、愛媛FC)
    • 2001年度卒業:徳永悠平(DF:早稲田大学→FC東京、V・ファーレン長崎 / 元日本代表・ロンドン五輪日本代表)
    • 2001年度卒業:片山奨典(MF:国士舘大学→名古屋グランパス、ロアッソ熊本)
    • 2001年度卒業:蒲原達也(MF:国士舘大学→サガン鳥栖、FC町田ゼルビア)
    • 2001年度卒業:近藤健一(GK:FC東京、V・ファーレン長崎)
    • 2002年度卒業:巻佑樹(FW:駒澤大学→名古屋グランパス、湘南ベルマーレ)
    • 2002年度卒業:松橋優(FW:早稲田大学→大分トリニータ、ヴァンフォーレ甲府)
    • 2002年度卒業:渡邉大剛(MF:京都パープルサンガ/京都サンガF.C.、大宮アルディージャ、釜山アイパーク(韓国)、カマタマーレ讃岐)
    • 2002年度卒業:柴崎晃誠(MF:国士舘大学→東京ヴェルディ、川崎フロンターレ、徳島ヴォルティス、サンフレッチェ広島 / 元日本代表)
    • 2002年度卒業:園田拓也(DF:中央大学→モンテディオ山形、愛媛FC、FC今治)
    • 2002年度卒業:綱田大志(MF:鹿屋体育大学→カマタマーレ讃岐)
    • 2003年度卒業:平山相太(FW:筑波大学中退→ヘラクレス・アルメロ(オランダ)、FC東京、ベガルタ仙台 / 元日本代表・アテネ五輪日本代表)
    • 2003年度卒業:中村北斗(MF:アビスパ福岡、FC東京、大宮アルディージャ、V・ファーレン長崎 / 元世代別日本代表)
    • 2003年度卒業:兵藤慎剛(MF:早稲田大学→横浜F・マリノス、北海道コンサドーレ札幌、ベガルタ仙台、清水エスパルス、SC相模原)
    • 2003年度卒業:関憲太郎(GK:明治大学→ベガルタ仙台、横浜FC、レノファ山口FC)
    • 2004年度卒業:渡邉千真(FW:早稲田大学→横浜F・マリノス、FC東京、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、横浜FC、松本山雅FC / 元日本代表)
    • 2004年度卒業:城後寿(MF:アビスパ福岡)
    • 2004年度卒業:藤田優人(DF:明治大学→東京ヴェルディ、横浜F・マリノス、アルビレックス新潟、柏レイソル、サガン鳥栖、ヴァンフォーレ甲府)
    • 2005年度卒業:渡邉三城(DF:法政大学→Y.S.C.C.横浜)
    • 2006年度卒業:有永一生(DF:関東学院大学→AC長野パルセイロ、いわきFC、VONDS市原)
    • 2007年度卒業:白谷建人(FW:セレッソ大阪、水戸ホーリーホック、ファジアーノ岡山、ロアッソ熊本、FC町田ゼルビア)
    • 2007年度卒業:山村和也(DF:流通経済大学→鹿島アントラーズ、セレッソ大阪、川崎フロンターレ、横浜F・マリノス / 元日本代表・ロンドン五輪日本代表)
    • 2010年度卒業:武内大(DF:福岡大学→V・ファーレン長崎)
    • 2010年度卒業:柴田隆太朗(MF:拓殖大学→松本山雅FC)
    • 2010年度卒業:大町将梧(FW:浜松大学→ツエーゲン金沢、Honda FC)
    • 2011年度卒業:高橋諒(DF:明治大学→名古屋グランパス、湘南ベルマーレ、松本山雅FC、ファジアーノ岡山)
    • 2011年度卒業:塚田翔悟(DF:九州共立大学→鹿児島ユナイテッドFC、ヴァンラーレ八戸)
    • 2013年度卒業:下川陽太(DF:大阪商業大学→松本山雅FC、愛媛FC、ツエーゲン金沢、奈良クラブ)
    • 2015年度卒業:菅田真啓(DF:福岡大学→ロアッソ熊本、ベガルタ仙台)
    • 2020年度卒業:中島大嘉(FW:北海道コンサドーレ札幌、名古屋グランパス、藤枝MYFC、水戸ホーリーホック)
    • 2025年度卒業:原田高虎(MF:ザスパ群馬)