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松田 直樹(前橋育英高校 群馬県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
熱き魂と圧倒的な統率力、高校生離れした屈強なフィジカルで最終ラインに君臨した「超高校級リベロ」。名将・山田耕介監督のもとで背番号「14」を背負い、強烈な対人守備と空中戦の強さ、最後尾から一気に前線へ駆け上がる豪快なオーバーラップで前橋育英高校を牽引した。
高校時代のチーム最高成績はインターハイ16強、選手権2回戦敗退と全国上位進出には恵まれなかったものの、個人としての存在感は突出。高校2年時の1993年にはU-17世界選手権で主力CBとして世界8強入り(イタリア戦でゴール)を果たし、高校3年時には17歳で飛び級となるU-19日本代表選出や国体3位進出に貢献した。
チームの戦績を超越して「超高校級」と謳われ、高卒時にJリーグ10クラブが争奪戦を繰り広げた不屈の闘争心は、後に横浜F・マリノスの象徴としてJ1完全連覇を達成し、2002年日韓W杯で「フラット3」の主力として日本のW杯初16強進出を支える偉大なキャリアの揺るぎない原点となった。
所属チーム
前橋育英高等学校
生年月日
1977年3月14日(2011年8月4日没)
サイズ(身長・体重)
183cm / 78kg
ポジション
DF
出身チーム
- 3種:桐生市立相生中学校サッカー部
- 4種:天沼FC(桐生市立天沼小学校)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1992年度・第71回):群馬県予選 優勝、全国大会 1回戦敗退
- 2年時(1993年度・第72回):群馬県予選 準優勝(全国大会不出場)
- 3年時(1994年度・第73回):群馬県予選 優勝、全国大会 2回戦敗退
高校総体
- 1年時(1992年度・宮崎総体):群馬県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1993年度・栃木総体):群馬県予選 優勝、全国大会 2回戦敗退
- 3年時(1994年度・富山総体):群馬県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(ベスト16)
リーグ戦(全日本ユース等)
- 1年時(1992年・第3回大会):地域予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1993年・第4回大会):地域予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1994年・第5回大会):地域予選 敗退(全国大会不出場)
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- U-17日本代表:1993年選出(1993年FIFA U-17世界選手権・日本大会8強、全4試合先発1得点)
- U-18 / U-19日本代表:1994年選出(AFCユース選手権準優勝・飛び級選出)
- 日本高校選抜:1995年選出(欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:群馬県選抜(1993年出場、1994年 国民体育大会少年男子の部 第3位)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
中学時代にU-15日本代表に選出されて以降、常に世代のトップランナーとして日の丸を背負い続けた。高校単独チームとしての全国タイトルには手が届かなかったものの、高校2年時の1993年には自国開催のFIFA U-17世界選手権に出場。中田英寿や宮本恒靖らと共にセンターバックの不動のレギュラーとして全4試合にフル出場し、イタリア戦で豪快なミドルシュートを決めて世界ベスト8進出の立役者となった。
高校3年時の1994年には、17歳ながら飛び級でU-19日本代表に選出され、AFCユース選手権準優勝と翌年のワールドユース出場権獲得に大きく貢献。国体でも群馬県選抜のキャプテンとして第3位に導くなど、チーム成績を超越して「超高校級」と評され、高校年代にして日本を代表するディフェンダーとしての名声を確立した。
卒業後の進路
大学
該当なし(高卒でプロ入り)
プロ
- 横浜マリノス / 横浜F・マリノス(1995年 – 2010年 / J1優勝3回、2001年ナビスコ杯優勝、ベストイレブン2回)
- 松本山雅FC(2011年)
日本代表
サッカー日本代表(A代表)(2000年 – 2005年 / 2002年W杯16強、アジア杯優勝2回)、U-23日本代表(1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪8強)、U-20日本代表
卒業後のキャリアの総評
1995年にJリーグ10クラブ争奪戦の末に横浜マリノスへ入団。高卒1年目からレギュラーとしてJリーグ年間王者に貢献し、1996年には史上最年少の19歳でアトランタ五輪に出場。「マイアミの奇跡」で王国ブラジルを完封して世界に衝撃を与えた。
日本代表では通算40試合に出場し、2000年・2004年のアジアカップ連覇を達成。2002年日韓W杯ではトルシエ監督率いる「フラット3」の右CBとして全4試合フル出場を果たし、日本史上初となるW杯16強進出の偉業を支えた。
横浜F・マリノスで16シーズンにわたり熱くプレーし、J1通算385試合出場・3度のリーグ制覇を達成した偉大なバンディエラとしてサポーターから絶大な愛を受けた。2011年にJFLの松本山雅FCへ移籍後、同年8月に惜しまれつつ急逝した今も、日本サッカー界の永遠のレジェンドとして語り継がれている。














