志波芳則(東福岡高校)高校サッカー名将列伝
目次
1. 監督総評
1976年に東福岡高等学校サッカー部監督に就任。当時県内でも無名に近かった同校を情熱と緻密な指導で引き上げ、1990年代から2000年代にかけて高校サッカー界の頂点へと導いた名将。元八幡製鉄サッカー部監督の名将・寺西忠成氏をコーチに招聘し、徹底したボールコントロールと組織的なポジショナルプレー、両サイドを広く使うサイドアタックを融合させた革新的な【4-1-4-1】システムを確立。「赤い彗星」の異名をとる東福岡の黄金時代を築き上げた。
1997年度には、卓越したテクニックを誇る本山雅志を軸に、全国高校総体(インターハイ)、高円宮杯全日本ユース、全国高校サッカー選手権のすべてを制覇する「高校サッカー史上初の全国三冠」と「公式戦無敗記録」という不滅の金字塔を樹立。翌1998年度の選手権でも帝京高校を決勝で破り大会連覇を達成した。
監督退任後も総監督としてチームを支え、2014年・2015年のインターハイ連覇や2015年度の選手権優勝など、東福岡を高校サッカー界屈指の超名門として全国に君臨させ続けた。小島宏美、山下芳輝、本山雅志、古賀誠史、手島和希、金古聖司、千代反田充、宮原裕司、長友佑都ら数多の日本代表・Jリーガーを育成した名伯楽である。
2. 基本情報
- 氏名:志波 芳則(シバ ヨシノリ)
- 生年月日:1950年12月1日(昭和25年12月1日)
- 現所属:元・東福岡高等学校 サッカー部 監督・総監督
3. 指導歴
- 1976年 – 2002年:東福岡高等学校 保健体育科教諭・サッカー部 監督
- 2003年 – 2023年6月:東福岡高等学校 サッカー部 総監督
4. 指導者戦績
全国高校サッカー選手権
出場10回 優勝:2回 準優勝:0回 ベスト4:2回 ベスト8:1回(※1976年度〜2002年度の東福岡高校監督在任時)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1976年 | 東福岡高校 | 第55回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 監督就任初年度 / 門司工業高校が本大会出場 |
| 1977年 | 東福岡高校 | 第56回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 門司工業高校が本大会出場 |
| 1978年 | 東福岡高校 | 第57回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 福岡商業高校が本大会出場 |
| 1979年 | 東福岡高校 | 第58回全国高校サッカー選手権(初出場) | 1回戦敗退 | 選手権全国大会初出場 / 1回戦で愛知高校に1-4敗退(入江徹) |
| 1980年 | 東福岡高校 | 第59回全国高校サッカー選手権(2年連続2回目) | 1回戦敗退 | 1回戦で岡崎城西高校に1-4敗退(小林正喜) |
| 1981年 | 東福岡高校 | 第60回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が本大会出場 |
| 1982年 | 東福岡高校 | 第61回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が本大会出場(県新人戦優勝) |
| 1983年 | 東福岡高校 | 第62回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が本大会出場 |
| 1984年 | 東福岡高校 | 第63回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が本大会出場 |
| 1985年 | 東福岡高校 | 第64回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が本大会出場(県新人戦優勝) |
| 1986年 | 東福岡高校 | 第65回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が本大会出場 |
| 1987年 | 東福岡高校 | 第66回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が本大会出場 |
| 1988年 | 東福岡高校 | 第67回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が本大会出場 |
| 1989年 | 東福岡高校 | 第68回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が本大会出場(県新人戦優勝) |
| 1990年 | 東福岡高校 | 第69回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選敗退 | 寺西忠成コーチ就任 / 東海大五高校が出場 |
| 1991年 | 東福岡高校 | 第70回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選準優勝 | 決勝で東海大五高校に惜敗 |
| 1992年 | 東福岡高校 | 第71回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選準優勝 | 決勝で東海大五高校に惜敗 |
| 1993年 | 東福岡高校 | 第72回全国高校サッカー選手権(12年ぶり3回目) | ベスト4(3位) | 選手権初の全国4強進出 / 準決勝で国見高校に敗退(小島宏美、栄井健太郎) |
| 1994年 | 東福岡高校 | 第73回全国高校サッカー選手権(2年連続4回目) | 3回戦進出(ベスト16) | 3回戦で市立船橋高校に0-2惜敗(小島宏美、山下芳輝、西政治、園田励) |
| 1995年 | 東福岡高校 | 第74回全国高校サッカー選手権(3年連続5回目) | ベスト4(3位) | 準決勝で静岡学園高校に1-1(PK4-5)惜敗(小島宏美、山下芳輝、生津将司、西政治、古賀正紘、本山雅志) |
| 1996年 | 東福岡高校 | 第75回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選ベスト4 | 準決勝で豊国学園高校に敗退 / 東海大五高校が出場 |
| 1997年 | 東福岡高校 | 第76回全国高校サッカー選手権(2年ぶり6回目) | 優勝 | 選手権初制覇・史上初の全国三冠達成 / 決勝の「雪の国立」で帝京高校に2-1逆転勝利(本山雅志、古賀誠史、手島和希、金古聖司、千代反田充、宮原裕司) |
| 1998年 | 東福岡高校 | 第77回全国高校サッカー選手権(2年連続7回目) | 優勝 | 選手権2連覇達成 / 決勝で帝京高校に4-2勝利(金古聖司、千代反田充、宮原裕司、山形恭平、富永康博) |
| 1999年 | 東福岡高校 | 第78回全国高校サッカー選手権(3年連続8回目) | 3回戦進出(ベスト16) | 3回戦で市立船橋高校に0-3惜敗(山形恭平、前田隆) |
| 2000年 | 東福岡高校 | 第79回全国高校サッカー選手権 | 福岡県予選準優勝 | 決勝で東海大五高校に1-3敗退 |
| 2001年 | 東福岡高校 | 第80回全国高校サッカー選手権(2年ぶり9回目) | 3回戦進出(ベスト16) | 3回戦で前橋育英高校に1-1(PK5-6)惜敗(山形辰徳、衛藤裕、池元友樹) |
| 2002年 | 東福岡高校 | 第81回全国高校サッカー選手権(2年連続10回目) | ベスト8 | 準々決勝で滝川第二高校に2-3惜敗(前川正行、池元友樹) |
全国高校総体(インターハイ)
出場5回 優勝:1回 準優勝:0回 ベスト4:0回 ベスト8:0回(※1976年度〜2002年度の東福岡高校監督在任時)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1976年 | 東福岡高校 | 昭和51年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 監督就任初年度 / 福岡商業高校が出場 |
| 1977年 | 東福岡高校 | 昭和52年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 福岡商業高校が出場 |
| 1978年 | 東福岡高校 | 昭和53年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 福岡商業高校が出場 |
| 1979年 | 東福岡高校 | 昭和54年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1980年 | 東福岡高校 | 昭和55年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1981年 | 東福岡高校 | 昭和56年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1982年 | 東福岡高校 | 昭和57年度全国高校総体(初出場) | 1回戦敗退 | インターハイ全国大会初出場(百田宏明) |
| 1983年 | 東福岡高校 | 昭和58年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1984年 | 東福岡高校 | 昭和59年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1985年 | 東福岡高校 | 昭和60年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1986年 | 東福岡高校 | 昭和61年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1987年 | 東福岡高校 | 昭和62年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1988年 | 東福岡高校 | 昭和63年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1989年 | 東福岡高校 | 平成元年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1990年 | 東福岡高校 | 平成2年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1991年 | 東福岡高校 | 平成3年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1992年 | 東福岡高校 | 平成4年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1993年 | 東福岡高校 | 平成5年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1994年 | 東福岡高校 | 平成6年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 東海大五高校が出場 |
| 1995年 | 東福岡高校 | 平成7年度全国高校総体(13年ぶり2回目) | 2回戦敗退 | 初戦の2回戦で敗退(小島宏美、山下芳輝、西政治) |
| 1996年 | 東福岡高校 | 平成8年度全国高校総体 | 福岡県予選敗退 | 豊国学園高校が出場 |
| 1997年 | 東福岡高校 | 平成9年度全国高校総体(2年ぶり3回目) | 優勝 | インターハイ全国初制覇 / 決勝で帝京高校に4-3勝利(手島和希、金古聖司、千代反田充、古賀誠史、本山雅志、宮原裕司) |
| 1998年 | 東福岡高校 | 平成10年度全国高校総体(2年連続4回目) | 2回戦敗退 | 初戦の2回戦で初芝橋本高校に0-1惜敗(金古聖司、千代反田充、宮原裕司、山形恭平) |
| 1999年 | 東福岡高校 | 平成11年度全国高校総体 | 福岡県予選準優勝 | 決勝で東海大五高校に0-1敗退 |
| 2000年 | 東福岡高校 | 平成12年度全国高校総体 | 福岡県予選1回戦敗退 | 1回戦で北筑高校に1-2敗退 / 東海大五高校が出場 |
| 2001年 | 東福岡高校 | 平成13年度全国高校総体(3年ぶり5回目) | 2回戦敗退 | 1回戦で奈良育英に2-0勝利、2回戦で藤枝東に2-3惜敗(山形辰徳、衛藤裕、池元友樹) |
| 2002年 | 東福岡高校 | 平成14年度全国高校総体 | 福岡県予選準優勝 | 決勝で東海大五高校に1-1(PK3-4)惜敗 |
高円宮杯 JFA U-18 / 全日本ユース
出場4回 優勝:1回 準優勝:1回 ベスト4:1回 ベスト8:0回(※1989年度大会創設以降、2002年度退任時まで)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1989年 | 東福岡高校 | 第1回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | 大会創設初年度 |
| 1990年 | 東福岡高校 | 第2回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | |
| 1991年 | 東福岡高校 | 第3回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | |
| 1992年 | 東福岡高校 | 第4回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | |
| 1993年 | 東福岡高校 | 第5回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | |
| 1994年 | 東福岡高校 | 第5回全日本ユース選手権(初出場) | ベスト4(3位) | ユース選手権初出場で全国4強進出 / 準決勝敗退(小島宏美、山下芳輝、西政治、園田励) |
| 1995年 | 東福岡高校 | 第6回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | |
| 1996年 | 東福岡高校 | 第7回全日本ユース選手権(2年ぶり2回目) | 準優勝 | 初の全国準優勝 / 決勝で鹿児島実業に1-5敗退(古賀正紘、手島和希、古賀誠史、本山雅志) |
| 1997年 | 東福岡高校 | 第8回全日本ユース選手権(2年連続3回目) | 優勝 | ユース選手権全国初制覇 / 決勝で清水市商に3-2勝利(手島和希、金古聖司、千代反田充、古賀誠史、本山雅志、宮原裕司) |
| 1998年 | 東福岡高校 | 第9回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | |
| 1999年 | 東福岡高校 | 第10回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | |
| 2000年 | 東福岡高校 | 第11回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | |
| 2001年 | 東福岡高校 | 第12回全日本ユース選手権 | 九州予選敗退 | |
| 2002年 | 東福岡高校 | 第13回全日本ユース選手権(4年ぶり4回目) | 1回戦敗退 | 1回戦で浦和レッズユースに0-0(PK5-6)惜敗(前川正行、池元友樹) |
5. 選手経歴
(1) 出身チーム
- 2種(高校・ユース):福岡県立福岡商業高等学校(現・福岡市立福翔高等学校)サッカー部
- 3種(中学・ジュニアユース):福岡市内公立中学校 サッカー部
- 4種(小学・ジュニア・少年団):福岡市内少年団
(2) 卒業後の進路
- 大学:日本体育大学 体育学部(学友会サッカー部、1972年卒業)
- 社会人・実業団:なし(大学卒業後、教職に就き指導者に専念)
- プロ:なし
- 日本代表:該当なし(高校時代に福岡県選抜等)
(3) 選手時代の総評
福岡県福岡市に生まれ育ち、少年期よりボールを蹴り始める。高校サッカーの名門・福岡商業高校(現・福岡市立福翔高校)に進学し、厳しい規律と高いインテンシティが求められる環境下で基礎技術と勝負強さを徹底的に鍛え上げられた。
高校卒業後は保健体育科教諭および指導者を志し、日本体育大学体育学部に進学。名門・日体大サッカー部で運動生理学や最新のトレーニング理論、組織的なグループ戦術を体系的に修得した。大学で学んだ「徹底した走力とフィジカルの強化」および「組織としての規律の徹底」は、その後の指導者人生における揺るぎない土台となった。
選手としての派手な実績以上に、日体大で体系的に培った論理的な指導理論と人間教育の重要性が、赴任当時無名だった東福岡高校サッカー部をわずか数年で県代表へと導き、やがて全国三冠を達成する最強軍団へと育て上げる確固たる原動力となった。












