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澤登 正朗(東海大一高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
卓越した戦術眼と広い視野、左右両足から繰り出す高精度のキックと芸術的なフリーキックで一時代を築き、「ミスターエスパルス」と称えられた日本屈指の天才ゲームメーカー。名門・東海大一高校(現・東海大翔洋高)で中盤の底から長短のパスを自在に配球し、チームの黄金期を司った。
高校時代はインターハイ予選敗退の悔しさを味わいながらも冬の選手権で躍進。2年時の第65回全国高校選手権ではボランチとして攻守を完璧に統率し初出場初優勝を達成。主将を務めた3年時の第66回選手権でも絶大な統率力を発揮して2年連続の決勝進出(準優勝)へと導き、2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。
東海大学で大学日本一を経験後、清水エスパルス創設期から14年間にわたり背番号10を背負い数々のタイトルを獲得。日本年間最優秀選手やドーハの悲劇も経験した稀代の司令塔の原点は、激戦区・静岡を制した高校時代の緻密なゲームメイクにある。
所属チーム
東海大学第一高等学校(現・東海大学付属静岡翔洋高等学校)
生年月日
1970年1月12日
サイズ(身長・体重)
170cm / 66kg
ポジション
MF
出身チーム
- 3種:東海大学第一中学校サッカー部(現・東海大学付属静岡翔洋高等学校中等部 / 静岡県)
- 4種:富士宮市立上野小学校サッカー少年団(静岡県富士宮市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1985年度・第64回):静岡県予選 準優勝(全国大会不出場)
- 2年時(1986年度・第65回):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初出場初制覇)(大会優秀選手選出)
- 3年時(1987年度・第66回):主将として静岡県予選 優勝、全国大会 準優勝(大会優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1985年度・石川総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1986年度・山口総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1987年度・北海道総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1985年度):該当なし(※大会創設前)
- 2年時(1986年度):該当なし(※大会創設前)
- 3年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1985年・わかとり鳥取国体):該当なし(未選出・不出場)
- 2年時(1986年・かいじ山梨国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 3年時(1987年・海邦沖縄国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 準優勝
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-18 / U-19日本代表候補
- 日本高校選抜:1987年・1988年選出(2年連続選出・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:静岡県選抜(1986年、1987年 国民体育大会少年男子の部 準優勝)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
東海大一中から東海大一高へ進学し、多彩なキック精度と戦術眼を買われて1年生春からトップチームに抜擢。高校2年・3年時には世代別日本代表候補に名を連ね、国体静岡県選抜の司令塔としても全国準優勝に大きく貢献した。
全国高校選手権において2年時に初出場初優勝、3年時に主将として準優勝を飾り、2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出。欧州遠征(デュッセルドルフ国際ユース大会等)でも欧州強豪クラブユースを相手に卓越したゲームメイクを披露し、高校年代屈指のミッドフィールダーとしての評価を確固たるものにした。
卒業後の進路
大学
東海大学体育学部(1988年 – 1991年 / 全日本大学サッカー選手権優勝、総理大臣杯優勝)
プロ
- 清水エスパルス(1992年 – 2005年 / 1993年Jリーグ初代新人王、1996年ナビスコ杯優勝、1999年J1ステージ優勝、2000年アジアカップウィナーズ杯優勝、2001年天皇杯優勝)
日本代表
サッカー日本代表(A代表)(1993年 – 2000年 / 国際Aマッチ16試合3得点、1993年W杯アジア最終予選「ドーハの悲劇」日本代表メンバー、2000年アジアカップ優勝)
卒業後のキャリアの総評
東海大学進学後は1年時からレギュラーとしてインカレ制覇や総理大臣杯優勝に貢献し、大学ナンバーワン司令塔として君臨。1992年のJリーグ開幕に合わせて地元・清水エスパルスに創設メンバーとして加入した。
1993年のJリーグ開幕初年度に初代新人王に輝くと、その後14シーズンにわたりエスパルス一筋でプレー。1996年ナビスコ杯初制覇、1999年J1ステージ優勝、2000年アジア制覇、2001年天皇杯優勝など数々のタイトルをもたらし、クラブ歴代最多となる公式戦115得点を記録。「ミスターエスパルス」として絶大な敬愛を集めた。
日本代表としても1993年「ドーハの悲劇」を最年少で経験し、1994年には背番号10番を背負った。現役引退後は解説者や大学・ユース監督として指導に尽力し、静岡サッカーの発展を牽引し続けている。
















