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其田 秀太(国見高校)高校サッカーヒーロー列伝

其田秀太_国見

其田 秀太(国見高校 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

並外れたサッカーセンスと広い視野、敵の急所を正確に突くスルーパスと巧みなボールキープで国見高校を全国区へと押し上げた「名門・国見の初代司令塔」。名将・小嶺忠敏監督が率いる黎明期の国見で背番号10を背負い、攻守のコンダクターとしてピッチに君臨した。

高校3年時の1986年度には、夏の山口インターハイで中京高校を破り同校史上初となる全国優勝(日本一)を達成。冬の第65回全国高校選手権でも初出場ながら快進撃を牽引し、東海大一高校との初出場校同士による決勝戦へと導き全国準優勝に輝いた。大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。

卒業後は全日空/横浜フリューゲルスでJリーグ開幕を戦い、福岡ブルックス(現・アビスパ福岡)ではJ1昇格の原動力として活躍。引退後も指導者として育成に尽力するなど、名門・国見高校の礎を築いた伝説のゲームメーカーである。

所属チーム

長崎県立国見高等学校

生年月日

1969年2月6日

サイズ(身長・体重)

170cm / 66kg

ポジション

MF

出身チーム

  • 3種:国見町立国見中学校サッカー部(長崎県)
  • 4種:国見少年サッカースポーツ少年団(国見町立多比良小学校 / 長崎県)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1984年度・第63回):長崎県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1985年度・第64回):長崎県予選 準優勝(全国大会不出場)
  • 3年時(1986年度・第65回):長崎県予選 優勝、全国大会 準優勝(初出場で決勝進出)(大会優秀選手選出)
高校総体
  • 1年時(1984年度・秋田総体):長崎県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1985年度・石川総体):長崎県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 3年時(1986年度・山口総体):長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1984年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1985年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1986年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1984年・わかくさ奈良国体):該当なし(未選出・不出場)
  • 2年時(1985年・わかとり鳥取国体):長崎県選抜としてサッカー少年の部 準優勝
  • 3年時(1986年・かいじ山梨国体):長崎県選抜としてサッカー少年の部 出場




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:該当なし
  • 日本高校選抜:1987年選出(第65回選手権大会優秀選手)
  • 都道府県選抜:長崎県選抜(1985年鳥取国体 準優勝、1986年山梨国体 出場)
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

国見中から国見高校へ進学し、名将・小嶺忠敏監督の薫陶を受けてチームの絶対的司令塔へ成長。高校2年時の1985年鳥取国体では長崎県選抜の主力として全国準優勝に大きく貢献した。

高校3年時の1986年度には、夏のインターハイで国見高校に初の全国優勝をもたらし、冬の第65回全国選手権でも初出場ながら準優勝を達成。中盤で高いキープ力と長短のパスを操る圧巻のプレーで大会優秀選手および日本高校選抜に選出され、九州屈指のゲームメーカーとして全国にその名を轟かせた。

卒業後の進路

大学

該当なし

プロ・社会人

  • 全日空クラブ / 横浜フリューゲルス(JSL1部 / Jリーグ / 1988年 – 1993年 / 1993年天皇杯優勝)
  • 藤枝ブルックス / 福岡ブルックス / アビスパ福岡(JFL / Jリーグ / 1994年 – 1996年 / 1995年JFL優勝・Jリーグ昇格)
  • 佐川急便東京SC(関東リーグ・JFL / 1997年 – 1999年 / 現役引退)

日本代表

該当なし

卒業後のキャリアの総評

高校卒業後、JSLの全日空サッカー部(後の横浜フリューゲルス)に加入。高い技術と戦術眼を武器に中盤の核として活躍し、1993年のJリーグ開幕や同年の天皇杯制覇を経験した。

1994年にはJリーグ昇格を目指す福岡ブルックス(現・アビスパ福岡)へ移籍。チームの中心として1995年の旧JFL優勝およびJリーグ昇格に大きく貢献した。その後は佐川急便東京SCでプレーし、現役を引退した。

引退後は佐川急便東京SCの監督としてJFLで好成績を残し、2006年からは世界的なサッカースクールであるクーバー・コーチングのスクールマスターとして長年にわたりジュニア世代の育成に尽力している。