目次
反町 康治(清水東高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
高い戦術眼と相手の逆を突く卓越したテクニック、左足から繰り出す正確無比なラストパスで攻撃を自在に操った名門・清水東高校のゲームメーカー。勝沢要監督のもと、同学年の澤入重雄や望月達也らとともに「青の軍団」の黄金期を牽引した。
高校2年時の1980年にはインターハイ初優勝を飾り、栃の葉国体でも静岡県選抜として決勝ゴールを決めて全国制覇。冬の第59回全国高校選手権でも国立のピッチで躍動し準優勝に輝いた。3年時にはインターハイ全国2連覇を達成し、高校サッカー界屈指の頭脳派司令塔として名を轟かせた。
文武両道を貫き、一浪を経て慶應義塾大学へ進学。全日空入社後は「サラリーマンJリーガー」として異彩を放ち、日本代表にも選出された。引退後は北京五輪代表やJクラブで名将として手腕を振るい、JFA技術委員長を経て清水エスパルスのGMを務めるなど、日本サッカー界の知将の原点は清水東での日々に刻まれている。
所属チーム
静岡県立清水東高等学校
生年月日
1964年3月8日
サイズ(身長・体重)
173cm / 68kg
ポジション
MF / FW
出身チーム
- 3種:清水市立第七中学校サッカー部(静岡県清水市[現・静岡市清水区])
- 4種:清水市立有度第二小学校 / オール清水(清水FC)(静岡県清水市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1979年度・第58回):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1980年度・第59回):静岡県予選 優勝、全国大会 準優勝
- 3年時(1981年度・第60回):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
高校総体
- 1年時(1979年度・滋賀総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1980年度・愛媛総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)
- 3年時(1981年度・神奈川総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(大会2連覇)
全日本ユース(高円宮杯)
- 該当なし(※第1回大会は1989年度創設のため大会創設前)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1979年・日本のふるさと宮崎国体):記録なし/未確認
- 2年時(1980年・栃の葉国体):静岡県選抜として出場・全国優勝
- 3年時(1981年・びわこ国体):記録なし/未確認
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-17 / U-18日本代表候補(1980年 – 1981年)
- 日本高校選抜:1981年選出(高校3年時・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:静岡県選抜(1980年 栃の葉国体少年男子の部 優勝、SBSカップ国際ユース出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
少年時代から「オール清水(清水FC)」の中心として西ドイツやブラジル遠征を経験し、清水市立第七中学校を経て進学した清水東高校では1年時から試合に出場。2年時には高校総体優勝・国体優勝・選手権準優勝を達成し、静岡県選抜や世代別ユース代表候補として頭角を現した。
高校3年時にはチームの主軸としてインターハイ全国2連覇を成し遂げ、日本高校選抜に選出されて欧州遠征に参加。海外の屈強な同世代相手にも類まれな戦術眼と繊細なボールコントロールで対等に渡り合い、高校年代屈指のゲームメーカーとしてその名を全国に轟かせた。
卒業後の進路
大学
慶應義塾大学(法学部政治学科 / 体育会ソッカー部)
実業団・プロ
- 全日空横浜サッカークラブ / 横浜フリューゲルス(1987年 – 1993年)
- ベルマーレ平塚(1994年 – 1997年)
日本代表
サッカー日本代表(A代表)(1990年 – 1991年 / 国際Aマッチ4試合0得点、ダイナスティカップ・北京アジア大会・キリンカップ出場)
卒業後のキャリアの総評
慶應義塾大学卒業後、全日本空輸(全日空)に総合職として入社。羽田空港で運航管理業務をこなしながら全日空横浜SCでプレーし、Jリーグ発足後も横浜フリューゲルスで「社員Jリーガー」として活躍。1990年には日本代表(A代表)に選出された。1994年にベルマーレ平塚へプロ移籍し、天皇杯制覇やアジアカップウィナーズカップ優勝に貢献して1997年に現役を引退した。
引退後は指導者としてアルビレックス新潟、湘南ベルマーレ、松本山雅FCを率いて計4度のJ1昇格を成し遂げ「昇格請負人」と称されたほか、北京五輪日本代表監督も務めた。その後はJFA技術委員長として日本代表の躍進を支え、2024年からは故郷の清水エスパルスGMとしてクラブ改革を推進している。
















