奥大介(神戸弘陵 兵庫県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
卓越したボールコントロールと高精度のキック、相手の急所を的確に突く戦術眼で中盤を支配した司令塔。1976年2月7日、兵庫県尼崎市生まれ。浦風FC、尼崎市立小田南中学校を経て進学した神戸弘陵高校では、卓越した技術と高いサッカーIQを武器に1年時から主力を担い、チームの中核として頭角を現した。
2年時の第71回全国高校サッカー選手権(1992年度)で全国の舞台を経験すると、主将として臨んだ3年時の第72回大会(1993年度)ではチームを牽引。2回戦の山形中央、3回戦の桐光学園を撃破して同校史上最高成績となる全国ベスト8進出を果たし、大会優秀選手に選出された。
卒業後は1994年にジュビロ磐田へ加入し、黄金期の中盤で不可欠な存在として数々のタイトル獲得に貢献。2002年に移籍した横浜F・マリノスでは主将として2003年・2004年のJ1リーグ連覇を達成した。Jリーグ通算280試合62得点、Jリーグベストイレブン3度受賞。日本代表でも国際Aマッチ26試合2得点を記録し、繊細な技術と情熱的なプレーで日本サッカー界に確かな足跡を残した。
所属
神戸弘陵学園高等学校(兵庫県)
生年月日
1976年2月7日
サイズ(身長・体重)
173cm / 68kg
ポジション
MF(攻撃的MF・ボランチ・サイドハーフ)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):尼崎市立小田南中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):浦風フットボールクラブ(小学3年から入団)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1991年度・第70回大会):県予選敗退(兵庫県代表は滝川二)。
- 2年時(1992年度・第71回大会):2回戦敗退。1回戦の上田東戦に2-1で勝利、2回戦で熊本農に0-4で敗退。
- 3年時(1993年度・第72回大会):全国ベスト8。2回戦の山形中央戦に1-0、3回戦の桐光学園戦に1-1(PK4-2)で勝利し、準々決勝で鹿児島実業に0-2で敗退。
- 個人表彰:第72回大会優秀選手選出。
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1991年):県予選敗退(兵庫県代表は滝川第二)。
- 2年時(1992年):県予選敗退(兵庫県代表は滝川第二)。
- 3年時(1993年):県予選敗退(兵庫県代表は滝川第二)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1991年)〜3年時(1993年):神戸弘陵高校の出場記録なし。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1991年)〜3年時(1993年):兵庫県選抜メンバーとして出場記録あり(1993年東四国国体少年の部で兵庫県選抜として準優勝)。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:高校選抜、1993年国体兵庫県選抜、U-18日本代表候補。
【高校時代の代表歴について】
奥は高校時代から関西屈指のゲームメーカーとして高い評価を受け、高校3年時には国体兵庫県選抜の中心として準優勝に貢献した。第72回全国高校サッカー選手権でのベスト8進出と大会優秀選手選出によりその評価は不動のものとなり、卒業直後にはU-19日本代表に選出され、1994年のAFCユース選手権準優勝、1995年FIFAワールドユース選手権(現U-20W杯)ベスト8進出の原動力となった。
プロ入り後もその成長は止まらず、フィリップ・トルシエ監督指揮下の1998年10月にエジプト戦で国際Aマッチデビューを果たすと、コパ・アメリカ1999やAFCアジアカップ2000優勝メンバーに名を連ねた。ジーコ体制でも重用され、国際Aマッチ通算26試合2得点を記録した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- ジュビロ磐田(1994年〜2001年):1997年・1999年のJリーグ年間優勝、1998年ナビスコカップ優勝、1999年アジアクラブ選手権優勝など数多くのタイトル獲得に貢献。1998年には自身初のJリーグベストイレブンに選出。
- 横浜F・マリノス(2002年〜2006年):期限付き移籍から完全移籍へ移行し、主将を務めた2003年・2004年にJ1リーグ完全制覇・連覇を達成。2年連続(2003年・2004年)でJリーグベストイレブンを受賞。
- 横浜FC(2007年):J1昇格初年度のチームで16試合1得点を記録し、同シーズン終了後に現役引退を表明。
- 通算成績:J1リーグ通算280試合62得点、カップ戦通算67試合11得点、天皇杯通算30試合9得点。
- タイトル:J1リーグ年間優勝4回(1997年、1999年、2003年、2004年)、Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝1回(1998年)、アジアクラブ選手権優勝1回(1998-99年)、Jリーグベストイレブン3回(1998年、2003年、2004年)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ26試合2得点(1998年〜2004年)。1998年10月28日のエジプト戦でA代表デビュー。1999年コパ・アメリカ、2000年AFCアジアカップ(優勝)、2003年FIFAコンフェデレーションズカップ、2004年AFCアジアカップ(優勝)などの主要国際大会に出場。
引退後の活動・指導歴・役職
引退後は横浜FCサッカースクールのテクニカルアドバイザーやフットサルクラブのエスポラーダ北海道テクニカルアドバイザーを務めた。2008年9月から2012年まで多摩大学目黒高等学校サッカー部の監督を務め、2011年10月には横浜FCの強化部長に就任した。2014年10月17日に不慮の事故により38歳で逝去。
【卒業後のキャリアの総評】
奥大介は高卒ルーキーとして加入したジュビロ磐田で、名波浩やドゥンガ、藤田俊哉ら錚々たるタレントが揃う「N-BOX」時代の黄金期において、右サイドや攻撃的MFの主力として不可欠な存在となった。正確無比な右足のキック、狭い局面を打開するドリブル、そして果敢な前線への飛び出しを武器に数多くの勝利をもたらした。
2002年に横浜F・マリノスへ移籍すると、岡田武史監督のもとでキャプテンに就任。強烈なキャプテンシーと円熟味を増したプレーメイクでチームを牽引し、2003年と2004年のJ1リーグ連覇の金字塔を打ち立てた。磐田時代と合わせて3度のベストイレブンに輝くなど、名実ともに日本最高峰のアタッカーとして君臨した。
日本代表としてもトルシエ、ジーコ両監督に重用され、アジアカップ2度の制覇に貢献するなど国際舞台でも存在感を発揮した。引退後も高校サッカーの指導やクラブの強化責任者として日本サッカーの発展に情熱を注ぎ続けた彼の功績は、没後も多くのサッカー関係者とファンから深く敬愛されている。



















