神田勝夫(新潟工 新潟県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
182cmの恵まれた体格と正確かつ力強い左足のキックを武器に、高校時代からプロ・日本代表へと登りつめた名DF。1966年6月21日に新潟県新潟市で生まれ、新潟県立新潟工業高校へと進学した。高校時代は前線のFWなどを務め、長身を生かした迫力あるプレーでチームを牽引した。
3年時の第63回全国高校サッカー選手権大会(1984年度)では、新潟工の主軸として大躍進を遂げた。1回戦の和歌山北戦を6-0の快勝で突破すると、2回戦の中津工戦を2-1、3回戦の藤沢西戦をPK戦の末に破り、同校最高タイとなる全国ベスト8進出を果たした。準々決勝で藤枝東に0-1で惜敗したものの、大会優秀選手に選出されるなど大会を代表する大型選手として強い印象を残した。
東京農業大学を経て1989年に日本サッカーリーグ(JSL)のNKKへ入団。1994年に加入したセレッソ大阪で左サイドバックへと本格転向を果たすと才能が開花し、同年JFLベストイレブンに選出された。1995年には新潟県出身選手として初となる日本代表選出を果たし、国際Aマッチに出場。晩年は地元・アルビレックス新潟に移籍してJ1昇格の立役者となり、引退後も強化部長としてクラブ発展に尽力した。
所属
新潟県立新潟工業高等学校(新潟県)
生年月日
1966年6月21日
サイズ(身長・体重)
182cm / 74kg
ポジション
DF(左サイドバック・センターバック)、FW
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):新潟市立小針中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):新潟市立小針小学校(要確認)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1982年度・第61回大会):2回戦敗退。1回戦で浦添(沖縄)に2-0で勝利、2回戦で浦和南(埼玉)に2-3で敗戦。
- 2年時(1983年度・第62回大会):2回戦敗退。初戦となった2回戦で徳島商(徳島)に1-3で敗戦。
- 3年時(1984年度・第63回大会):全国ベスト8。1回戦で和歌山北(和歌山)に6-0で勝利、2回戦で中津工(大分)に2-1で勝利、3回戦で藤沢西(神奈川)に0-0(PK4-3)で勝利。準々決勝で藤枝東(静岡)に0-1で敗戦。
- 個人表彰:第63回全国高校サッカー選手権大会 優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1982年・第17回鹿児島インターハイ):新潟県代表として出場(新潟県予選優勝)。本大会1回戦敗退。
- 2年時(1983年・第18回愛知インターハイ):新潟県代表として出場(新潟県予選優勝)。本大会出場。
- 3年時(1984年・第19回秋田インターハイ):新潟県代表として出場(新潟県予選優勝)。本大会出場。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1982年)〜3年時(1984年):当時は大会創設前(第1回大会は1989年開催のため実施なし)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1982年)〜3年時(1984年):新潟県選抜としての出場状況の詳細は要確認。
代表歴
高校時代の代表・選抜歴:確認できた選抜歴なし(要確認)
【高校時代の代表歴について】
神田の高校在籍時における年代別日本代表や日本高校選抜への選出歴は公式記録上では確認できない。当時の新潟県勢は全国大会での上位進出機会が限られていたが、新潟工の主軸として3年時の選手権で全国ベスト8入りを果たし大会優秀選手に選ばれたことで、その大型アタッカーとしての高いポテンシャルは中央の指導者や関係者から大きな注目を集めることとなった。
高校卒業後に進学した東京農業大学を経て社会人・プロの舞台へと進み、セレッソ大阪時代に左サイドバックへとコンバートされたことで才能が一気に開花。1995年5月には新潟県出身のサッカー選手として史上初となる日本代表選出を果たし、国立霞ヶ丘競技場で行われたキリンカップのエクアドル戦で国際Aマッチ出場を記録した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 東京農業大学(1985年〜1988年)
- NKK(1989年〜1993年):JSL1部・2部、旧JFLでFWとしてプレー。
- セレッソ大阪(1994年〜1997年):1994年にJFLベストイレブン選出、Jリーグ昇格に貢献。
- 横浜マリノス/横浜F・マリノス(1998年〜1999年)
- アルビレックス新潟(2000年〜2003年):2003年にJ2優勝・J1初昇格を達成し現役引退。
- 通算成績:J1リーグ通算130試合7得点、J2リーグ通算114試合5得点、JSL1部通算32試合0得点、JSL2部通算29試合6得点、旧JFL1部通算46試合8得点、旧JFL2部通算10試合8得点、国内リーグ戦総通算361試合34得点。
- タイトル:1994年旧JFL優勝(セレッソ大阪)、2003年J2リーグ優勝(アルビレックス新潟)。
- 個人表彰:1994年旧JFLベストイレブン。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ1試合0得点(1995年5月28日 キリンカップ・エクアドル戦)。
引退後の活動・指導歴・役職
アルビレックス新潟 強化部長(2004年〜2017年、2018年9月〜2020年3月)、新潟医療福祉大学 健康科学部健康スポーツ学科 教授、同大学サッカー部 ゼネラルマネージャー(2018年〜)、アルビレックス新潟 取締役(2020年〜2021年3月)。
【卒業後のキャリアの総評】
神田は大学卒業後に日本鋼管(NKK)へ入団し、大型フォワードとしてJSLや旧JFLの舞台で活躍した。転機となったのは1994年、セレッソ大阪への移籍である。ここで左サイドバックへとコンバートされると、持ち前の恵まれた体格と左足のキック力を存分に発揮し、JFLベストイレブンに輝くなどクラブの悲願であったJリーグ昇格の原動力となった。
Jリーグ開幕後も攻守両面で存在感を放ち、1995年5月には新潟県出身者として初となる日本代表(加茂周監督)に選出され、キリンカップのエクアドル戦で国際Aマッチ初キャップを記録。その後、横浜マリノスを経て2000年に故郷のアルビレックス新潟へ加入した。キャプテンシーと経験値で若手を牽引し、2003年にはJ2優勝とJ1昇格を見届けて現役を引退した。
引退後は即座にアルビレックス新潟の強化部長に就任し、長期にわたりJ1定着を支えるチーム編成を担った。後進の指導にも情熱を注ぎ、新潟医療福祉大学の教授やサッカー部GMを務めるなど、新潟のサッカー界を黎明期から現代に至るまで牽引し続けた偉大なパイオニアである。




















