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滝田修(韮崎)高校サッカーヒーロー列伝

滝田修_韮崎

滝田修(韮崎 山梨県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

韮崎高校サッカー部の黄金期を主将かつエースストライカーとして力強く牽引したFW。鋭い得点感覚と高いキャプテンシーを兼ね備え、前線での身体を張ったポストプレーと果敢な仕掛けで相手ゴールを脅かし続けました。1979年度(昭和54年度)の第58回全国高等学校サッカー選手権大会ではキャプテンとしてチームを束ね、堅守速攻をベースにしたチーム戦術の中心として獅子奮迅の活躍を見せました。

3年時に出場した第58回選手権では、初戦となった2回戦で佐賀学園を3-1で下すと、準々決勝の今市戦では2-2からのPK戦(4-2)を制して激闘を突破。準決勝では愛知を3-1で破り、山梨県勢として戦後初となる決勝進出の快挙を成し遂げました。国立霞ヶ丘陸上競技場で行われた決勝では名門・帝京に0-4で敗れたものの全国準優勝に輝き、自身も大会優秀選手に選出されました。

高校卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)2部に所属していた名門クラブ・甲府サッカークラブ(現ヴァンフォーレ甲府)でプレーを続け、地域のサッカーシーンを盛り上げました。引退後は指導者・教員として母校である韮崎高校の監督に就任し、第78回大会や第81回大会などでチームを全国大会へと導くなど、選手・指導者の両面で山梨県高校サッカー界に多大な足跡を残しました。

所属

山梨県立韮崎高等学校(山梨県)

生年月日

1961年(昭和36年)度生まれ(要確認)

サイズ(身長・体重)

要確認

ポジション

FW

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):山梨県内中学校(要確認)
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):要確認

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(1977年度・第56回大会):2回戦敗退。1回戦で東予工(愛媛)に2-1で勝利、2回戦で四日市中央工(三重)に0-5で敗戦。
  • 2年時(1978年度・第57回大会):2回戦敗退。1回戦で高松商(香川)に0-0(PK4-3)で勝利、2回戦で徳島商(徳島)に0-1で敗戦。
  • 3年時(1979年度・第58回大会):全国準優勝。初戦となった2回戦で佐賀学園(佐賀)に3-1、準々決勝で今市(栃木)に2-2(PK4-2)、準決勝で愛知(愛知)に3-1で勝利。決勝(国立霞ヶ丘陸上競技場)で帝京(東京)に0-4で敗れ全国準優勝。主将として全試合に出場。
  • 個人表彰:第58回大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(1977年):県予選敗退(山梨県代表:機山工)。
  • 2年時(1978年):全国大会出場(1回戦敗退・要確認)。
  • 3年時(1979年):県予選敗退(山梨県代表:日川)。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1977年)〜3年時(1979年):当時は大会創設前(第1回大会は1989年開催)。
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1977年・第32回青森国体)〜3年時(1979年・第34回日本の青空国体):山梨県選抜としての出場状況は要確認。
  • 個人表彰:確認できた記録なし

代表歴

高校時代の代表/選抜歴:第58回全国高校サッカー選手権大会 優秀選手、日本高校選抜候補(要確認)。

【高校時代の代表歴について】

滝田は3年時の第58回全国高校サッカー選手権大会において、主将としてチームを決勝の舞台へと導いたキャプテンシーと攻撃陣の軸としての高いプレー精度が評価され、大会優秀選手(FW部門)に選出されました。

当時の韮崎高校からはGK横川泉、DF駒井幸雄、MF坂本晃、FW大柴剛とともに計5名が優秀選手に選ばれる快挙となり、滝田はその強力な布陣の中心人物として全国にその名を轟かせました。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 甲府サッカークラブ(現ヴァンフォーレ甲府):日本サッカーリーグ(JSL)2部などでプレー。
  • タイトル:確認できた記録なし
  • 通算成績:要確認
  • 個人表彰:確認できた記録なし

日本代表(国際Aマッチ)

国際Aマッチ出場なし

引退後の活動・指導歴・役職

現役引退後は山梨県内で指導者・教員として活動。1998年(平成10年)4月より母校・韮崎高校サッカー部の監督に就任し、第78回大会(1999年度)や第81回大会(2002年度)などの全国高校サッカー選手権大会にチームを導いた。山梨県サッカー協会役員なども歴任。

【卒業後のキャリアの総評】

滝田は高校卒業後、地元山梨の強豪であり現在のヴァンフォーレ甲府の前身である甲府サッカークラブ(JSL2部)に進み、主力選手として地域サッカーの最前線でプレーを続けました。

現役引退後は教育者および指導者の道を歩み、1998年4月には母校である韮崎高校サッカー部の監督に就任しました。自らが主将として経験した全国準優勝の伝統と情熱を後輩たちに伝え、1999年度の第78回選手権や2002年度の第81回選手権などへ母校を導き、名門復活に向けた礎を築きました。

選手として全国準優勝・大会優秀選手に輝き、指導者としても母校を全国の晴れ舞台へと導くなど、選手・指導者の両面から山梨県および韮崎高校サッカー部の歴史に深く刻まれる存在となっています。

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