松橋章太(国見 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
圧倒的な走力と縦への推進力を最大の武器に、2000年度の高校サッカー界を席巻した国見の韋駄天ストライカー。1982年8月3日、長崎県諫早市に生まれ、中学時代は陸上部と掛け持ちしながら全日本中学選手権男子200mで全国3位、国体少年男子Bの100mでも5位(11秒06)に輝くなど驚異的なスプリント能力を誇った。
名門・国見高校へ進学当初は決定力に課題を残し「はずし屋」と称された時期もあったが、名将・小嶺忠敏監督の指導のもとで技術とポジショニングを徹底して磨き上げた。3年時には同期のエース・大久保嘉人と抜群のコンビネーションを確立。インターハイ、国民体育大会、全国高校サッカー選手権のすべてを制する「高校3冠」の原動力となった。第79回選手権では準々決勝の武南戦でハットトリックを達成するなど、大久保とともに大会の主役として君臨した。
高校卒業後はJ2の大分トリニータへ入団。プロのフィジカルへの適応に時間を要したものの、プロ6年目の2006年にJ1で10得点をマークしてブレイクを果たし、オシム体制の日本代表にも選出された。その後はヴィッセル神戸、ロアッソ熊本、V・ファーレン長崎でプレーを重ね、2013年に現役を引退。引退後は育成年代の指導者として長崎のサッカー発展に尽力している。
所属
長崎県立国見高等学校(長崎県)
生年月日
1982年8月3日
サイズ(身長・体重)
171cm / 65kg
ポジション
FW(フォワード、ウイング)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):諫早市立小野中学校サッカー部
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):小野少年サッカークラブ(諫早市立小野小学校・小学4年時より入団)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1998年度・第77回大会):長崎県予選敗退(長崎県代表は長崎日大)。
- 2年時(1999年度・第78回大会):2回戦敗退(初戦敗退)。シードのため2回戦から登場し、鹿児島実戦に0-2で敗退(大会登録メンバー入り)。
- 3年時(2000年度・第79回大会):全国優勝。シードのため2回戦から登場。2回戦の帝京第三戦に2-0、3回戦の日章学園戦に6-0(松橋1得点)、準々決勝の武南戦に3-1(松橋3得点・ハットトリック達成)、準決勝の富山第一戦に1-0、決勝の草津東戦に3-0で勝利し全国制覇。
- 個人表彰:第79回大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1998年):長崎県予選敗退(長崎県代表は長崎日大)。
- 2年時(1999年):全国3回戦敗退(ベスト16)。1回戦の秋田商戦に4-0、2回戦の東山戦に3-0、3回戦で前橋育英に0-0(PK3-4)で敗退。
- 3年時(2000年):全国優勝。1回戦の東北学院戦に4-1(松橋1得点)、2回戦の市立沼田戦に2-0、3回戦の境戦に5-1(松橋1得点)、準々決勝の清水商戦に4-2、準決勝の八千代戦に3-0(松橋1得点)、決勝の國學院久我山戦に2-1(松橋1得点)で勝利し全国制覇。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1998年):グループリーグ敗退(出場状況詳細は要確認)。
- 2年時(1999年):全国ベスト8(準々決勝敗退)。1回戦の帝京戦に2-1、準々決勝でジュビロ磐田ユースに1-2で敗退。
- 3年時(2000年):1回戦敗退。1回戦で横浜F・マリノスユースに1-2で敗退。
- 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
- 1年時(1998年・かながわ・ゆめ国体):少年男子・長崎県選抜メンバー(出場状況詳細は要確認)。
- 2年時(1999年・くまもと未来国体):少年男子・長崎県選抜メンバー(出場状況詳細は要確認)。
- 3年時(2000年・2000年とやま国体):少年男子・長崎県選抜として全国優勝(単独チーム編成の国見高校が主体となり優勝を達成)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
代表歴
高校時代の代表・選抜歴:1998年U-17日本代表(国際ユースサッカーin新潟)、2000年日本高校選抜、国体長崎県選抜
【高校時代の代表歴について】
松橋は高校1年時の1998年にU-17日本代表に選出され、国際ユースサッカーin新潟などで日の丸を背負った。陸上競技で培った天性のスピードは世代トップクラスの評価を受け、年代別代表の舞台でも大きなインパクトを残した。
3年時にはインターハイ、国体、高校選手権の「高校3冠」を達成した主力として日本高校選抜に選出された。同期の大久保嘉人とともに国見の強力なツートップを形成した松橋のスピードは、全国のライバルチームから恐れられる存在であった。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 大分トリニータ(2001年〜2007年):J2優勝(2002年)、2006年J1リーグ戦31試合10得点
- ヴィッセル神戸(2008年〜2009年):J1通算13試合1得点
- ロアッソ熊本(2010年〜2011年):J2通算38試合8得点
- V・ファーレン長崎(2012年〜2013年):JFL優勝(2012年)、J2昇格に貢献。2013年シーズン限りで現役引退
- 通算成績:J1リーグ通算97試合14得点、J2リーグ通算75試合8得点、JFL通算17試合3得点、カップ戦通算24試合1得点、天皇杯通算18試合5得点
- タイトル:J2リーグ優勝(2002年)、JFL優勝(2012年)
- 個人表彰:確認できた記録なし
日本代表(国際Aマッチ)
日本代表(A代表)選出(2007年3月、イビチャ・オシム監督体制下。国際Aマッチ出場なし)。U-20日本代表(2001年)。
引退後の活動・指導歴・役職
引退後は長崎県内で指導者としての道を歩み、NPO法人井村スポーツクラブ傘下のIMURA FC U-15監督に就任。長崎県のジュニアユース世代の育成に尽力しているほか、JFAこころのプロジェクト「夢先生」などの普及活動にも参加している。
【卒業後のキャリアの総評】
2001年にJ2の大分トリニータへ入団した松橋は、プロ特有の激しい当たりや守備戦術への適応に苦しみ、初期の数シーズンは出場機会を伸ばせずにいた。しかし地道にプレースタイルを磨き上げ、プロ6年目となった2006年に才能が開花。J1リーグ戦31試合に出場して10ゴールを記録し、高松大樹とともに大分の攻撃を牽引した。
2007年3月にはオシム監督率いる日本代表に初招集を受け、同年には実弟である松橋優とともに出場しJリーグ史上初となる「兄弟2トップ」を形成するなど話題を集めた。2008年からは高校の同級生である大久保嘉人が所属するヴィッセル神戸へ移籍し、その後はロアッソ熊本を経て、地元長崎のV・ファーレン長崎へと移籍した。
長崎ではJFL優勝とJ2昇格に貢献し、2013年に惜しまれつつ現役生活に幕を下ろした。引退後は佐世保市を拠点とするクラブのU-15監督に就任し、自身が高校時代に培ったスピードと技術、そしてプロでの経験を次代の選手たちへ還元している。

























