徳永悠平(国見 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
驚異的な走力と強靭なフィジカル、高い戦術眼を兼ね備え、高校サッカー界の頂点に君臨した万能ディフェンダー。1983年9月25日、長崎県南高来郡国見町に生まれ、国見少年サッカークラブ、国見町立国見中学校を経て長崎県立国見高校へ進学した。1学年上には大久保嘉人や松橋章太らがおり、強力なタレント陣とともに黄金期を築き上げた。
高校時代は主に右サイドバックやストッパーを務めたが、フォワードや中盤でもハイレベルなプレーをこなす高いユーティリティ性を誇った。2年時の2000年度にはインターハイ、国体、高校サッカー選手権の3冠達成に大きく貢献。3年時の2001年度にはチームの主力を担い、全日本ユース選手権優勝、高校サッカー選手権連覇を成し遂げて国見の黄金時代を支え、大会優秀選手にも選出された。
高校卒業後は早稲田大学へ進学し、在学中から特別指定選手としてFC東京で活躍。2004年アテネ五輪、2012年ロンドン五輪の2大会に出場し、ロンドンではオーバーエイジとしてベスト4進出に大きく貢献した。プロ入り後はFC東京の不動のサイドバックとして数々のタイトル獲得に寄与し、晩年は地元であるV・ファーレン長崎でプレーして2020年に現役を引退した。
所属
長崎県立国見高等学校(長崎県)
生年月日
1983年9月25日
サイズ(身長・体重)
180cm / 76kg
ポジション
DF(サイドバック・センターバック)、MF
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):国見町立国見中学校サッカー部
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):国見少年サッカークラブ
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1999年度・第78回大会):確認できた出場記録なし(チームは2回戦で鹿児島実業に0-2で敗退)。
- 2年時(2000年度・第79回大会):全国優勝。2回戦の秋田商戦に6-1、3回戦の丸岡戦に2-0、準々決勝の遠野戦に2-0、準決勝の富山第一戦に2-1、決勝(2001年1月8日/国立霞ヶ丘陸上競技場)で草津東を3-0で破り全国制覇。
- 3年時(2001年度・第80回大会):全国優勝(大会連覇)。2回戦の金光大阪戦に7-0、3回戦の真岡戦に3-0、準々決勝の静岡学園戦に1-0、準決勝の鹿児島実業戦に4-1、決勝(2002年1月8日/国立霞ヶ丘陸上競技場)で岐阜工を3-1で破り優勝。
- 個人表彰:第80回大会優秀選手に選出。
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1999年):鹿児島実業・東福岡などが出場(チーム成績の詳細は要確認)。
- 2年時(2000年・第53回大会):全国優勝。決勝で草津東を破り優勝を果たす。
- 3年時(2001年・第54回大会):全国ベスト4(準決勝で市船橋に敗退)。
- 個人表彰:確認できた記録なし。
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1999年・第10回大会):確認できた出場記録なし。
- 2年時(2000年・第11回大会):ベスト8(国士舘高に敗退)。
- 3年時(2001年・第12回大会):全国優勝。決勝でFC東京U-18を3-1で下して高校世代の日本一を獲得。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1999年・第54回くまもと未来国体):少年の部(長崎県選抜)。
- 2年時(2000年・第55回2000年とやま国体):少年の部(長崎県選抜)全国優勝。
- 3年時(2001年・第56回新世紀・みやぎ国体):少年の部(長崎県選抜)ベスト8。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:2001年U-18日本代表、2001年日本高校選抜。
【高校時代の代表歴について】
高校3年時の2001年にU-18日本代表へ選出され、国際ユースサッカー大会などに参加して頭角を現した。また、同年度の第80回全国高校サッカー選手権での圧倒的な活躍と連覇達成を受け、日本高校選抜にも選出されている。
大学進学後も各年代の日本代表で主力を張り、2003年FIFAワールドユース選手権(U-20W杯)に出場。2004年アテネオリンピックでは右サイドバックのレギュラーとして全3試合に出場した。さらに2012年ロンドンオリンピックではオーバーエイジ枠として招集され、左サイドバックなどでチームを牽引し44年ぶりのベスト4進出に大きく貢献した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 早稲田大学(2002年〜2005年):在学中の2003年・2004年にFC東京、2005年にアビスパ福岡へ特別指定選手として登録。
- FC東京(2006年〜2017年):Jリーグ屈指のサイドバックとして長年君臨。ナビスコカップ優勝(2004年・2009年)、天皇杯優勝(2011年)、J2リーグ優勝(2011年)を達成。
- V・ファーレン長崎(2018年〜2020年):地元クラブへ完全移籍し、キャプテンとして牽引。2020年シーズン終了をもって現役引退を発表。
- 通算成績:J1リーグ通算389試合4得点、J2リーグ通算74試合4得点、公式戦通算550試合以上出場。
- タイトル:Jリーグカップ優勝(2004年、2009年)、天皇杯優勝(2011年)、J2リーグ優勝(2011年)。
- 個人表彰:Jリーグベストイレブン(2013年)、Jリーグ優秀選手賞複数回。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ9試合0得点(2009年〜2013年)。2009年10月8日のAFCアジアカップ予選香港戦でA代表デビュー。2013年EAFF東アジアカップ優勝メンバー。
引退後の活動・指導歴・役職
現役引退後は実業家として家業である株式会社マルトクの副社長に就任しつつ、飲食事業やサッカー解説者、地域貢献活動など多岐にわたる分野で幅広く活動している。
【卒業後のキャリアの総評】
国見高校卒業後は早稲田大学へ進学し、大学サッカー界で存在感を示しながら特別指定選手としてJリーグを経験。2006年に正式加入したFC東京では、左右両サイドバックやセンターバック、ボランチまでハイレベルにこなす守備の要として君臨し、クラブの数々のタイトル獲得を支えた。2013年にはJリーグベストイレブンに選出されるなど、リーグを代表するサイドバックとしての地位を確立した。
代表レベルでもオリンピックに2大会出場を果たし、特に2012年ロンドン五輪ではオーバーエイジとして守備陣を統率し、日本のベスト4進出に不可欠な存在となった。2018年には故郷である長崎のV・ファーレン長崎へ移籍し、プロキャリアの集大成を地元サポーターに披露して2020年にスパイクを脱いだ。高校時代に培った強靭なフィジカルと勝者のメンタリティーは、プロ生活と引退後のビジネスにおいても大きな基盤となっている。

























