増嶋竜也(市立船橋 千葉県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
市立船橋高校の堅守を象徴するディフェンスリーダーとして君臨し、冷静沈着なカバーリングと卓越した対人守備、正確なビルドアップで高校年代の頂点を極めたセンターバック。1985年4月22日、千葉県千葉市生まれ。千葉市立生浜西小学校の生浜FCで本格的にサッカーを始め、千葉市立生浜中学校を経て、中学生時代から憧れを抱いていた千葉県の名門・船橋市立船橋高校へ進学した。同級生にはカレン・ロバート、鈴木修人、佐藤優也らがおり、強烈な個性と高い実力を兼ね備えた黄金世代の一角を形成した。
2年時の2002年度には早くも守備の要として定着し、冬の第81回全国高校サッカー選手権大会で全6試合をわずか2失点に抑えて全国制覇に大きく貢献。秋には千葉県選抜の主力として国民体育大会(少年の部)も制覇した。3年時には名門・市船伝統の主将ナンバーである「背番号5」を継承し、キャプテンとしてチームを牽引。2003年秋の高円宮杯第14回全日本ユース選手権では静岡学園を決勝で破り初優勝を達成した。同年の第83回天皇杯ではJ1王者の横浜F・マリノスを相手に同点ゴールを決めるなど歴史的な熱戦を演じた。
高校卒業後の2004年にFC東京へ加入。ヴァンフォーレ甲府、京都サンガF.C.への期限付き移籍を経て、2011年に地元千葉県の柏レイソルへ完全移籍すると、同年のJ1リーグ初優勝や2012年の天皇杯優勝、2013年のナビスコカップ優勝など黄金期の主力CBとして数々のタイトルを獲得した。その後はベガルタ仙台、ジェフユナイテッド市原・千葉でプレーし、2020年シーズンをもって現役を引退。引退後は市立船橋高校コーチやSHIBUYA CITY FCの監督を経て、指導者としてのキャリアを着実に歩んでいる。
所属
船橋市立船橋高等学校(千葉県)
生年月日
1985年4月22日
サイズ(身長・体重)
179cm / 76kg
ポジション
DF(センターバック・サイドバック)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):千葉市立生浜中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):生浜FC(千葉市立生浜西小学校)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(2001年度・第80回大会):千葉県予選敗退(千葉県代表は習志野高校)。
- 2年時(2002年度・第81回大会):全国優勝。1回戦の一条戦に6-1、2回戦の奈良育英戦に1-0、3回戦の盛岡商戦に4-0、準々決勝の野洲戦に1-0、準決勝の滝川第二戦に2-0と勝ち上がり、決勝(国立霞ヶ丘陸上競技場)で国見を1-0で破って全国制覇を達成。
- 3年時(2003年度・第82回大会):ベスト8(準々決勝敗退)。2回戦から登場し草津東戦に1-0、3回戦の武南戦に3-0で勝利。準々決勝で鹿児島実業と対戦し1-1(PK4-5)で敗退。
- 個人表彰:第81回大会優秀選手、第82回大会優秀選手。
高校総体(インターハイ)
- 1年時(2001年):千葉県予選敗退(千葉県代表は習志野高校、渋谷幕張高校)。
- 2年時(2002年):千葉県予選敗退(千葉県代表は習志野高校、柏日体高校)。
- 3年時(2003年):全国ベスト4(3位)。2回戦から登場し丸岡戦に2-0、3回戦の多々良学園戦に3-1、準々決勝の岐阜工戦に3-0で勝利。準決勝で国見と対戦し1-1(PK3-4)で敗退。
- 個人表彰:2003年大会優秀選手。
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(2001年・第12回大会):グループリーグ敗退。
- 2年時(2002年・第13回大会):全国ベスト8(準々決勝敗退)。
- 3年時(2003年・第14回大会):全国優勝。1回戦から勝ち上がり、決勝で静岡学園を1-0で破り初優勝を達成。
- 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
- 1年時(2001年・第56回新世紀・みやぎ国体):少年男子・出場記録なし。
- 2年時(2002年・第57回よさこい高知国体):少年男子・千葉県選抜として全国優勝。
- 3年時(2003年・第58回NEW!!わかふじ国体):少年男子・千葉県選抜として出場。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:2002年千葉県選抜(国体優勝)、2002年U-17日本代表(国際ユースサッカーin新潟)、2003年U-18日本代表(SBSカップ、仙台カップ、AFCユース選手権予選)、2003年日本高校選抜、2004年日本高校選抜。
【高校時代の代表歴について】
増嶋は名門・市立船橋で頭角を現した高校2年時から年代別の日本代表および選抜チームに継続して選出された。2002年には千葉県選抜の主軸として高知国体少年の部で優勝を飾り、同年のU-17日本代表にも名を連ねた。高校3年時の2003年にはU-18日本代表の中心選手としてSBSカップや仙台カップに出場し、AFCユース選手権予選の突破に貢献。また日本高校選抜にも2年連続(2003年・2004年)で選出され、高校サッカー界屈指のディフェンダーとして国内外にその存在感を示した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- FC東京(2004年〜2008年):2004年ナビスコカップ優勝。
- ヴァンフォーレ甲府(2007年):期限付き移籍。
- 京都サンガF.C.(2008年〜2010年):2008年は期限付き移籍、2009年より完全移籍。
- 柏レイソル(2011年〜2017年):2011年J1リーグ優勝、2012年ゼロックススーパーカップ優勝、2012年天皇杯優勝、2013年ナビスコカップ優勝。
- ベガルタ仙台(2017年):期限付き移籍。
- ジェフユナイテッド市原・千葉(2018年〜2020年):2018年〜2019年は期限付き移籍、2020年より完全移籍。2020年シーズン終了後に現役引退。
- 通算成績:J1リーグ通算279試合12得点、J2リーグ通算80試合5得点、リーグカップ通算48試合3得点、天皇杯通算30試合6得点、ACL通算18試合3得点。
- タイトル:J1リーグ優勝(2011年、柏レイソル)、天皇杯優勝(2012年、柏レイソル)、Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝(2004年、FC東京/2013年、柏レイソル)、FUJI XEROX SUPER CUP優勝(2012年、柏レイソル)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ出場なし。世代別日本代表として2004年U-19日本代表(AFCユース選手権2004・3位)、2005年U-20日本代表(2005 FIFAワールドユース選手権オランダ大会・ベスト16進出、全4試合先発フル出場)、2006年U-21日本代表(カタール・アジア競技大会)。
引退後の活動・指導歴・役職
2021年より母校・船橋市立船橋高校サッカー部のコーチに就任。2022年12月にSHIBUYA CITY FCの監督に就任し、2度の昇格を果たして関東サッカーリーグ1部へ導いた。2026年6月にジュビロ磐田のトップチームコーチに就任した。
【卒業後のキャリアの総評】
2004年にFC東京へ入団した増嶋は、プロ1年目からナビスコカップ優勝を経験し、2005年にはU-20日本代表の主力CBとしてオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権に出場して世界ベスト16進出に貢献した。その後、甲府や京都での武者修行を経て経験を積み、2011年に加入した地元・千葉県の柏レイソルでキャリアの黄金期を迎えた。ネルシーニョ監督のもとで強固な守備網を形成し、J1昇格即優勝の快挙に大きく貢献すると、翌2012年の天皇杯制覇や2013年のナビスコカップ優勝などクラブの主要タイトル獲得を支え続けた。
選手キャリアの晩年はベガルタ仙台、そして生まれ故郷のジェフユナイテッド市原・千葉でプレーし、2020年限りで17年間に及ぶプロ生活に幕を下ろした。現役引退後は母校である市立船橋高校のコーチとして後進の指導にあたり、SHIBUYA CITY FCの監督として手腕を発揮したのち、Jリーグ・ジュビロ磐田のコーチに就任するなど、指導者としても着実なキャリアを築いている。

























