羽田憲司(市立船橋 千葉県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
強靭なフィジカルと卓越した統率力、的確なカバーリング能力を兼ね備え、高校サッカー界屈指のディフェンスリーダーとして名を馳せた大型センターバック。1981年12月1日に千葉県市川市で生まれ、市川市立塩焼小学校、市川市立妙典中学校を経て名門・船橋市立船橋高校へ進学した。高校2年次からレギュラーとして守備陣を支え、3年次には主将としてチームを牽引した。
2年時の1998年度高校総体で全国優勝を達成。3年時の第78回全国高校サッカー選手権大会では、主将として強固な守備陣を統率し、1回戦から決勝までの全6試合を1点も許さない全試合無失点という史上稀に見る圧倒的な強さで全国制覇を果たした。その高いキャプテンシーと堅牢な守備力は高校サッカー史に刻まれている。
高校卒業後の2000年に鹿島アントラーズへ入団し、同年の国内3冠達成を経験。U-20日本代表でも主将を務めて2001年FIFAワールドユース選手権に出場した。その後はセレッソ大阪、ヴィッセル神戸で主力として活躍し、現役引退後は指導者としてパリ五輪世代のU-23日本代表コーチなどを歴任している。
所属
船橋市立船橋高等学校(千葉県)
生年月日
1981年12月1日
サイズ(身長・体重)
180cm / 74kg
ポジション
DF(センターバック)・MF(ボランチ)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):市川市立妙典中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):市川市立塩焼小学校(塩焼FC)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1997年度・第76回大会):千葉県予選敗退(千葉県代表は八千代)。
- 2年時(1998年度・第77回大会):千葉県予選敗退(千葉県代表は八千代)。
- 3年時(1999年度・第78回大会):全国優勝。主将として守備陣を統率し、全6試合無失点での完全制覇を達成。1回戦の初芝橋本戦に2-0、2回戦の水戸商戦に1-0、3回戦の大津戦に3-0、準々決勝の日大藤沢戦に6-0、準決勝の前橋育英戦に0-0(PK4-2)、決勝(2000年1月8日/国立霞ヶ丘陸上競技場)の鹿児島実戦に2-0で勝利した。
- 個人表彰:大会優秀選手に選出。
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1997年):千葉県予選敗退。
- 2年時(1998年・四国総体):全国優勝。守備の主軸として安定した守備を披露し、全国制覇に貢献した。
- 3年時(1999年・岩手総体):全国ベスト4(準決勝進出)。
- 個人表彰:大会優秀選手(1998年、1999年)。
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1997年・第8回大会):出場なし。
- 2年時(1998年・第9回大会):出場なし。
- 3年時(1999年・第10回大会):出場なし(予選敗退)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1997年・第52回なみはや国体):千葉県選抜(少年男子)。
- 2年時(1998年・第53回かながわ・ゆめ国体):千葉県選抜(少年男子)として全国優勝。
- 3年時(1999年・第54回くまもと未来国体):千葉県選抜(少年男子)として全国優勝(2連覇)。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:1999年浦和レッズ(JFA・Jリーグ強化指定選手)、1999年日本高校選抜、1999年U-18日本代表、1998年・1999年国民体育大会千葉県選抜(少年男子・優勝)。
【高校時代の代表歴について】
羽田憲司の高校時代の代表歴において特筆すべきは、抜群のキャプテンシーと守備の統率力が早くから高く評価されていた点である。高校3年時の1999年にはU-18日本代表に選出され、国際大会や遠征で中軸としてプレーしたほか、JFA・Jリーグ強化指定選手として浦和レッズにも登録された。
同年度の第78回高校選手権で全試合無失点優勝を達成した後は日本高校選抜に選出され、欧州遠征などで活躍。プロ入り直後の2001年にはU-20日本代表の主将としてFIFAワールドユース選手権(アルゼンチン大会)に出場するなど、黄金世代の次を担う世代の象徴的リーダーとして君臨した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 鹿島アントラーズ(2000年〜2006年):2000年に加入。J1リーグ優勝(2000年、2001年)、Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝(2000年、2002年)、天皇杯優勝(2000年)を経験し、2000年の国内3冠達成メンバーとなる。
- セレッソ大阪(2007年〜2010年):2007年に期限付き移籍し、翌年完全移籍。ボランチやセンターバックとしてJ1昇格に大きく貢献した。
- ヴィッセル神戸(2011年〜2012年):ベテランとしてチームの守備陣を支え、2012年シーズンをもって現役引退。
- 通算成績:J1リーグ通算45試合2得点、J2リーグ通算107試合2得点、カップ戦18試合0得点、天皇杯10試合0得点。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ出場なし。世代別代表として2001年FIFAワールドユース選手権(U-20日本代表主将)、U-21日本代表、U-22日本代表などを経験。
引退後の活動・指導歴・役職
2013年にセレッソ大阪のスクールコーチに就任後、U-18コーチやトップチームコーチを歴任。2020年に鹿島アントラーズのコーチ、2021年12月からはU-21/U-22/U-23日本代表(パリ五輪代表)コーチとして大岩剛監督を支え、AFC U23アジアカップ優勝やパリオリンピック準々決勝進出に貢献した。日本サッカー協会公認Proライセンスを保有。
【卒業後のキャリアの総評】
羽田憲司は2000年に名門・鹿島アントラーズへ入団すると、加入初年度からハイレベルな選手層の中で揉まれ、同年のJリーグ史上初となる国内3冠達成を経験した。さらに2001年のFIFAワールドユース選手権ではU-20日本代表の主将としてチームを牽引し、同世代の精神的支柱として大きな信頼を寄せられた。
プロキャリア中盤以降はセレッソ大阪へ移籍し、豊富な経験と戦術眼を活かしてJ1昇格に貢献。晩年はヴィッセル神戸でプレーし、献身的な守備と的確なコーチングでチームを支え続け、2012年に13年間の現役生活に幕を下ろした。
現役引退後は指導者としての道を歩み、育成年代からトップチームまで幅広く指導。特に大岩剛監督率いるU-23日本代表コーチとして手腕を発揮し、2024年のパリオリンピックにおいて日本のベスト8進出に大きく寄与するなど、日本サッカー界の発展に大きく貢献し続けている。



























