宮原裕司(東福岡 福岡県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
広い視野と卓越した戦術眼、長短自在のパスワークで東福岡高校の黄金期を中盤の底から操った大型ボランチ。1980年7月19日、福岡県北九州市若松区生まれ。兄の影響で4歳からサッカーを始め、二島スポーツ少年団、北九州市立二島中学校を経て、1学年先輩の本山雅志を追う形で東福岡高校へ進学した。
2年時の1997年度には、ボランチのレギュラーとして高校総体、全日本ユース選手権、全国高校サッカー選手権のすべてを制する高校サッカー史上初の「3冠」達成に大きく貢献。3年時の1998年度には背番号10を背負い、主将の金古聖司や千代反田充らとともに第77回全国高校サッカー選手権を制覇し、大会連覇という金字塔を打ち立てた。帝京との決勝では自ら試合を決定づけるダメ押しゴールを奪い、その勝負強さと完成度の高さを示した。
卒業後は1999年に名古屋グランパスエイトへ入団。アビスパ福岡、サガン鳥栖、セレッソ大阪、愛媛FCなどで司令塔として活躍し、Jリーグ通算200試合以上に出場した。現役引退後は指導者の道へ進み、アビスパ福岡のアカデミー監督をはじめ、ガンバ大阪、松本山雅FC、ヴィッセル神戸、清水エスパルスのトップチームコーチを歴任している。
所属
東福岡高等学校(福岡県)
生年月日
1980年7月19日
サイズ(身長・体重)
180cm / 73kg
ポジション
MF(ボランチ・セントラルMF)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):北九州市立二島中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):二島スポーツ少年団(北九州市立二島小学校)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1996年度・第75回大会):初戦(2回戦)敗退。富山第一に0-1で敗れた。
- 2年時(1997年度・第76回大会):全国優勝(高校3冠達成)。2回戦の逗子開成に5-0、3回戦の国見に2-0、準々決勝の逗葉に5-0、準決勝の丸岡に3-1、決勝(雪の国立)で帝京に2-1で勝利。大会優秀選手に選出。
- 3年時(1998年度・第77回大会):全国優勝(大会連覇)。1回戦の日大山形に5-0、2回戦の富山第一に3-0、3回戦の星稜に2-0、準々決勝の前橋育英に2-0、準決勝の滝川第二に3-2、決勝で帝京に4-2で勝利。決勝でダメ押しゴールを記録し大会優秀選手に選出。
- 個人表彰:第76回大会優秀選手、第77回大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1996年):出場なし(福岡県予選敗退)。
- 2年時(1997年):全国優勝。決勝で帝京を破り優勝(3冠の第1冠)。
- 3年時(1998年):2回戦敗退。1回戦で水戸短大付に勝利、2回戦で前橋育英に敗退。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1996年):グループリーグ敗退。
- 2年時(1997年):全国優勝。グループリーグを突破し、準決勝で清水エスパルスユース、決勝で鹿児島実業を破り初優勝(3冠の第2冠)。
- 3年時(1998年):ベスト8。
- 個人表彰:第8回大会優秀選手(1997年)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1996年):福岡県選抜。
- 2年時(1997年):福岡県選抜。
- 3年時(1998年):福岡県選抜。
- 個人表彰:確認できた記録なし
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:1997年U-17日本代表、1998年U-18日本代表、1998年U-19日本代表候補、1997年度日本高校選抜(ヨーロッパ遠征)、1998年度日本高校選抜。
【高校時代の代表歴について】
宮原は卓越したパスセンスと体格を併せ持つ大型MFとして早くから頭角を現し、東福岡で3冠を達成した2年時の1997年にはU-17日本代表や日本高校選抜に選出された。翌1998年にはU-18日本代表およびU-19日本代表候補に名を連ね、高校選抜でも中心選手として国際ユース大会などで活躍した。
同世代屈指のゲームメーカーとして国際経験を積み、フィジカルコンタクトに頼らず戦況を見極めるインテリジェンスは年代別代表でも高く評価されていた。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 名古屋グランパスエイト(1999年〜2002年):2002年途中よりアビスパ福岡へ期限付き移籍。
- アビスパ福岡(2002年〜2004年):2002年は期限付き移籍、2003年より完全移籍。
- サガン鳥栖(2005年〜2007年):2005年途中よりセレッソ大阪へ期限付き移籍、2006年は完全移籍後、途中にサガン鳥栖へ期限付き移籍。2007年に鳥栖へ完全移籍。
- セレッソ大阪(2005年〜2006年):2005年期限付き移籍、2006年完全移籍。
- 愛媛FC(2007年〜2008年):2007年途中より期限付き移籍、2008年に完全移籍。
- アビスパ福岡(2009年):現役引退。
- 通算成績:J1リーグ通算14試合0得点、J2リーグ通算175試合2得点、カップ戦通算14試合0得点、天皇杯通算11試合0得点。
- タイトル:第79回天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝(1999年、名古屋グランパスエイト)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ出場なし(年代別日本代表歴:U-16、U-17、U-18、U-19日本代表候補)。
引退後の活動・指導歴・役職
引退後は指導者の道に進み、アビスパ福岡のアカデミーでU-13監督、U-14監督、U-15監督、U-18コーチなどを歴任。その後、ガンバ大阪(U-23コーチ/トップチームコーチ)、松本山雅FC、ヴィッセル神戸、清水エスパルスでトップチームコーチを務める。
【卒業後のキャリアの総評】
高校サッカー史に残る偉業を成し遂げて1999年に名古屋グランパスエイトへ入団した宮原は、プロの世界では度重なる怪我にも苦しみながら、アビスパ福岡、サガン鳥栖、セレッソ大阪、愛媛FCといったJクラブで中盤のコンダクターとして存在感を示した。J2リーグを中心に175試合に出場し、豊かな戦術眼と正確無比な配球で各チームのリズムを作り続けた。
2009年に現役を引退した後はアビスパ福岡のアカデミーで指導者としてのキャリアをスタートさせ、年代別の育成に尽力。JFA公認S級コーチライセンスを取得し、ガンバ大阪、松本山雅FC、ヴィッセル神戸、清水エスパルスなどJリーグクラブのトップチームコーチとして戦術面を支えるなど、プロ指導者としても確固たる地位を築いている。
























