手島和希(東福岡 福岡県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
180cmの体格を生かした安定した守備で最終ラインを統率した、史上初の高校三冠チームのキャプテン。1979年6月7日、福岡県飯塚市の生まれで、庄内少年サッカークラブ、福岡・春日イーグルスFCを経て東福岡高校へ進学した。3年生の1997年に主将としてチームを率い、高校サッカー史上初となる三冠を達成している。
1年時の第74回選手権(1995年度)では、チームが1回戦の桐光学園に2-1、2回戦の作陽に4-0、3回戦の近大付に3-0、準々決勝の市立船橋戦を0-0の末PK戦5-4で制して決勝トーナメントを勝ち上がり、準決勝の静岡学園戦に1-1の末PK戦4-5で敗れてベスト4となった。2年時は本大会出場を逃したが、3年時の第76回大会(1997年度)では、1回戦の富山一に5-0、2回戦の情報科学に4-0、3回戦の国見に2-0、準々決勝の逗葉に5-0、準決勝の丸岡に3-1と勝ち上がり、決勝の帝京を2-1で下して全国優勝。センターバックで主将としてチームを率いた手島は大会優秀選手にも選出された。
高校総体(1997年)でも決勝の帝京戦を4-3で制して優勝し、高円宮杯全日本ユースも制覇。卒業後は1998年に横浜フリューゲルスへ加入して天皇杯優勝を経験すると、1999年からは京都パープルサンガへ移ってリーグ戦242試合3得点の長いキャリアを積んだ。2009年12月に現役を引退すると、京都サンガのアカデミー指導者として普及部からU-18監督までを務め、2026年からは東京ヴェルディユースの監督に就任している。
所属
東福岡高等学校(福岡県)
生年月日
1979年6月7日
サイズ(身長・体重)
180cm / 72kg
ポジション
DF(センターバック)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):確認できた記録なし(要確認)
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):庄内少年サッカークラブ、福岡・春日イーグルスFC
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1995年度・第74回大会):チームはベスト4。1回戦の桐光学園戦に2-1、2回戦の作陽戦に4-0、3回戦の近大付戦に3-0、準々決勝の市立船橋戦は0-0の末PK戦5-4で勝利し、準決勝の静岡学園戦は1-1の末PK戦4-5で敗退(1年生の手島の出場状況は要確認)。
- 2年時(1996年度・第75回大会):本大会出場を逃した(東福岡の出場なし)。
- 3年時(1997年度・第76回大会):全国優勝(主将・史上初の高校三冠の一角)。1回戦の富山一戦に5-0、2回戦の情報科学戦に4-0、3回戦の国見戦に2-0、準々決勝の逗葉戦に5-0、準決勝の丸岡戦に3-1で勝利し、決勝の帝京戦を2-1で制した(国立霞ヶ丘競技場)。
- 個人表彰:第76回大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1995年)〜2年時(1996年):確認できた出場記録なし(この期間の全国優勝は習志野、清水市商)。
- 3年時(1997年):全国優勝。決勝の帝京戦に4-3で勝利した。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1995年)〜2年時(1996年):確認できた出場記録なし。
- 3年時(1997年):全国優勝(決勝の対戦相手は清水市商。スコアの詳細は要確認)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1995年)〜3年時(1997年):確認できた出場記録なし(この期間の少年男子の優勝は千葉・千葉・長崎)。
代表歴
高校時代の代表・選抜歴:1998年アジア大会日本代表、1999年シドニーオリンピック予選代表、1999年FIFAワールドユース選手権日本代表(準優勝)。
【高校時代の代表歴について】
手島の高校時代の代表歴として確認できるのは、高校卒業前後の1998年アジア大会(バンコク)日本代表の選出と、1999年シドニーオリンピック予選代表の選出である。高校三冠を達成した主将として、すでに成人世代の代表でも戦力として見られていたことがうかがえる。
1999年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権に出場。同大会で日本は決勝に進出し、準優勝という成績を残した。同期には同じ東福岡の本山雅志がおり、東福岡の三冠世代が世代別代表の中核を担った形となっている。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 横浜フリューゲルス(1998年):高校卒業後に加入。リーグ戦出場なし。
- 京都パープルサンガ/京都サンガF.C.(1999年〜2009年):リーグ戦242試合3得点。2006年はガンバ大阪へ期限付き移籍(リーグ戦0試合)。
- 通算成績:Jリーグ公式戦(リーグ戦)242試合3得点。
- タイトル:天皇杯優勝(1998年、横浜フリューゲルス)、J2リーグ優勝(2001年、京都パープルサンガ)、天皇杯優勝(2002年、京都パープルサンガ)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
日本代表(国際Aマッチ)
出場記録なし。1998年アジア大会日本代表、1999年シドニーオリンピック予選代表、1999年FIFAワールドユース選手権日本代表(準優勝)。
引退後の活動・指導歴・役職
2009年12月に現役引退し、2010年から京都サンガF.C.のアカデミー指導者に就任。普及部コーチ(2010年〜2012年)、U-18コーチ(2013年〜2016年)、U-15監督(2017年〜2018年)、U-18監督(2019年)、U-15監督(2020年〜2024年)を歴任した。2025年はセレッソ大阪のスクールコーチを務め、2026年からは東京ヴェルディユースの監督に就任している。
【卒業後のキャリアの総評】
手島の高校時代は、史上初の高校三冠を達成した1997年の東福岡で主将として過ぎ去っていった。1年生でベスト4を経験しながら2年時に本大会を逃した選手たちが、3年生の1997年にまとまった。公式戦49勝2分無敗という圧倒的な強さで迎えた第76回選手権では、守備の要としてセンターラインを統率し、決勝の帝京戦を2-1で制して優勝旗を掲げた。
卒業後は1998年に横浜フリューゲルスへ加入。高卒ルーキーとして公式戦出場はなかったものの、フリューゲルス最後の年となったこのシーズンにチームは天皇杯を制覇し、手島もその優勝メンバーとなった。フリューゲルス解散後は京都パープルサンガへ移ると、J2に降格した2001年には優勝してJ1復帰に貢献。2002年には天皇杯でも優勝し、2009年までの11年間でリーグ戦242試合に出場した。
現役引退後は指導者へ転じ、京都サンガのアカデミーで15年近くにわたって普及部からU-15、U-18までを指導。2025年にセレッソ大阪へ移り、2026年からは東京ヴェルディユースの監督に就任した。三冠のキャプテンとして培ったリーダーシップは、指導者としても最大の武器となっており、育成の現場でその経験が活かされ続けている。





















