金古聖司(東福岡 福岡県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
180cmの体で敵陵のセットプレーでも圧倒的な存在感を放ち、DFながら大会得点王に輝いた“赤い彗星”の守備の要。1980年5月27日、福岡県三潴郡(現:久留米市)の生まれで、城島中学校から東福岡高校へ進学した。2年時の1997年にインターハイ・高円宮杯・選手権の史上初の高校三冠を達成し、3年時の選手権でも連覇を果たした。
2年時の1997年、東福岡は公式戦49勝2分無敗という圧倒的な強さで三冠を達成する。高校総体では決勝の帝京戦を4-3で制し、高円宮杯全日本ユースも制覇。迎えた第76回選手権(1998年1月)では、1回戦の富山一に5-0、2回戦の情報科学に4-0、3回戦の国見に2-0、準々決勝の逗葉戦では金古のロングシュートも飛び出して5-0、準決勝の丸岡に3-1と無失点近乎で勝ち上がり、決勝の帝京を2-1で下して優勝。ディフェンダーながら5得点を挙げて大会得点王(藤枝東の河村優と同数)に輝いた。3年時の第77回大会も、準決勝の滝川二戦を3-2で制すると、決勝で再び帝京に4-2の快勝。選手権2連覇の中心として最後の全国舞台を飾った。
卒業後は1999年に鹿島アントラーズへ加入し、J1優勝3回をはじめとするタイトルを獲得。神戸、福岡、名古屋への期限付き移籍を経験したのち、2009年からはシンガポール・タイ・ミャンマーのクラブを渡り歩いて現役を続け、2015年に引退した。引退後は高校サッカーの指導者となり、2021年からはサッカー代理人の道へ進んでいる。
所属
東福岡高等学校(福岡県)
生年月日
1980年5月27日
サイズ(身長・体重)
180cm / 79kg
ポジション
DF(センターバック)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):城島中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):確認できた記録なし(要確認)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1996年度・第75回大会):本大会出場を逃した(東福岡の出場なし)。
- 2年時(1997年度・第76回大会):全国優勝(史上初の高校三冠の一角)。1回戦の富山一戦に5-0、2回戦の情報科学戦に4-0、3回戦の国見戦に2-0、準々決勝の逗葉戦に5-0(後半28分に金古のロングシュートが決まった)、準決勝の丸岡戦に3-1で勝利し、決勝の帝京戦を2-1で制した(国立霞ヶ丘競技場)。
- 3年時(1998年度・第77回大会):全国優勝(2連覇)。2回戦の金沢桜丘戦に1-0、3回戦の遠野戦に3-0、準々決勝の室蘭大谷戦に1-0、準決勝の滝川二戦に3-2、決勝の帝京戦に4-2で勝利した。
- 個人表彰:第76回大会得点王(5得点、DF選手として)
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1996年):確認できた出場記録なし。
- 2年時(1997年):全国優勝。決勝の帝京戦に4-3で勝利した。
- 3年時(1998年):確認できた出場記録なし(この大会の全国優勝は市立船橋)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1996年):確認できた出場記録なし。
- 2年時(1997年):全国優勝(決勝の対戦相手は清水市商。スコアの詳細は要確認)。
- 3年時(1998年):確認できた出場記録なし。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1996年)〜3年時(1998年):確認できた出場記録なし(この期間の少年男子の優勝は千葉・千葉・長崎)。
代表歴
高校時代の代表・選抜歴:U-19日本代表(1998年・AFCユース選手権)、U-21日本代表(1998年・バンコクアジア大会)。
【高校時代の代表歴について】
金古の高校時代の代表歴として確認できるのは、2年時から3年時にかけての世代別代表の選出である。1998年にはU-19日本代表としてAFCユース選手権に出場し、同年12月にはバンコクアジア大会へ臨むU-21日本代表にも選ばれた。高校三冠を達成したセンターバックとして、同世代から代表の目が向いていたことがうかがえる。
同期の東福岡のバックラインには千代反田充、手島和希、山崎理人がそろい、中盤には本山雅志と宮原裕司がいた。1999年のFIFAワールドユース選手権で準優勝を果たした世代の底力を支えた一人であり、高校卒業後はそのまま鹿島アントラーズへ加入してプロの道へ進んだ。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 鹿島アントラーズ(1999年〜2008年):リーグ戦45試合4得点。2005年はヴィッセル神戸へ期限付き移籍(リーグ戦10試合0得点)、2006年〜2007年はアビスパ福岡へ期限付き移籍(リーグ戦18試合1得点)、2007年は名古屋グランパスエイトへ期限付き移籍(リーグ戦0試合)。
- タンピネス・ローバース(シンガポール、2009年〜2011年):リーグ戦87試合8得点。
- ミトラ・クカール(タイ、2012年):リーグ戦22試合1得点。
- タンピネス・ローバース(2013年)、アーントーン(タイ、2014年)、ヤンゴン・ユナイテッド(ミャンマー、2015年):プレーし、2015年限りで現役引退。
- 通算成績:国内Jリーグ戦73試合5得点。
- タイトル:J1優勝3回(2000年・2001年・2008年)、Jリーグカップ優勝2回(2000年・2002年)、天皇杯優勝(2000年)、ゼロックススーパーカップ優勝(1999年)、A3チャンピオンズカップ優勝(2003年)(いずれも鹿島アントラーズ)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
日本代表(国際Aマッチ)
出場記録なし。U-19日本代表(1998年・AFCユース選手権)、U-21日本代表(1998年・バンコクアジア大会)。
引退後の活動・指導歴・役職
2016年4月から本庄第一高等学校の事務職員兼サッカー部監督に就任。2021年からはサッカー代理人業へ転じ、株式会社アストニックに所属する一方、スポーツ選手のコンディション管理に特化したサービス「ONE TAP SPORTS」を運営する株式会社ユーフォリアで営業を担当している。
【卒業後のキャリアの総評】
金古の高校時代は、1997年の“赤い彗星”東福岡の中心として過ぎ去っていった。公式戦49勝2分無敗で史上初の高校三冠を達成したチームの中で、金古はセンターバックでありながら第76回選手権で5得点を挙げて大会得点王に輝いた。決勝の帝京戦を2-1で制した年に続いて、3年時の第77回大会でも決勝で同一カードに4-2の快勝。選手権2連覇の最終ラインを支え続けた。
卒業後は1999年に鹿島アントラーズへ加入。大学やユース出身の選手が多い中で高卒ルーキーとしてトップチームに名を連ねると、2000年・2001年にはJ1優勝を経験。神戸、福岡、名古屋への期限付き移籍を挟みながら、2008年まで在籍してJ1優勝3回、Jリーグカップ2回、天皇杯1回のタイトルに加わった。リーグ戦45試合4得点という出場数以上に、堅牢な守備のバックアップとして鹿島の黄金期を支えた。
2009年からは海へ渡り、シンガポールのタンピネス・ローバースで3年間87試合8得点とレギュラーとして活躍。タイのミトラ・クカール、アーントーン、ミャンマーのヤンゴン・ユナイテッドと、2015年までアジア各国のリーグで現役を続けた。引退後は本庄第一高校の監督として後進を育てたのち、2021年からはサッカー代理人業へ転身。選手時代に積んだ国内外の人脈と経験が、現場からマネジメントの側面まで幅広く活かされている。





















