大倉智(暁星 東京都)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
180cmの体格の屈強なストライカーで、村上浩と並んだ“史上最強のツートップ”の片割れ。1969年5月22日、神奈川県川崎市の生まれで、16歳で東京のサッカー強豪校・暁星高校に入学した。総体、選手権、国体にそれぞれ2度出場する全国大会の常連で、高校時代からそのフィジカルの強さで東京都予選を牽引した。
全国選手権へは第65回(1986年度)と第66回(1987年度)の2大会連続で出場。第65回では2回戦の米子東に4-0で勝利したが、3回戦で国見に1-6で屈した。第66回では1回戦の京都商に2-0、2回戦の前橋商に2-0と完勝で突破したものの、3回戦で再び国見の壁に0-2で阻まれ、2年連続で国見戦敗退に終わった。それでも都予選では1年生の村上浩とのツートップが破壊力抜群の攻撃を展開し、早稲田大学へ進んだのちにもその実力が開花することになる。
早稲田大学商学部(1988年入学)では4年時に第40回全日本大学サッカー選手権で優勝。卒業後はプロの道を選ばず、日立製作所(柏レイソル)、ジュビロ磐田、ブランメル仙台、米国のジャクソンビル・サイクロンズでプレーして1998年に現役引退した。引退後はスペインのヨハン・クライフ国際大学でスポーツマーケティングを学び、セレッソ大阪のチーム統括ディレクター、湘南ベルマーレの社長を経て、2015年12月にいわきFCの運営会社・株式会社いわきスポーツクラブを共同設立して代表取締役に就任。2022年にはJ3優勝とJ2昇格を成し遂げ、現在は立命館大学の客員教授も務める実業家である。
所属
暁星高等学校(東京都)
生年月日
1969年5月22日
サイズ(身長・体重)
180cm / 73kg
ポジション
FW(ストライカー)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):確認できた記録なし(要確認)
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):確認できた記録なし(要確認)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1985年度・第64回大会):確認できた出場記録なし。
- 2年時(1986年度・第65回大会):3回戦敗退。2回戦の米子東戦に4-0で勝利したが、3回戦で国見に1-6で敗れた。
- 3年時(1987年度・第66回大会):3回戦敗退。1回戦の京都商戦に2-0、2回戦の前橋商戦に2-0で勝利したが、3回戦で国見に0-2で敗れた。
- 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1985年):確認できた出場記録なし。
- 2年時(1986年)・3年時(1987年):全国大会に出場(対戦カード・成績の詳細は要確認)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1985年)〜3年時(1987年):高校ユースの全国大会は1989年のプレ大会が初開催で、正式な第1回大会は1990年開催。在学中は大会未創設のため出場歴なし。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1985年):確認できた出場記録なし。
- 2年時(1986年)・3年時(1987年):全国大会に出場(対戦カード・成績の詳細は要確認)。
代表歴
高校時代の代表・選抜歴:確認できた記録なし(要確認)。
【高校時代の代表歴について】
大倉の高校時代の代表・選抜歴として確認できる記録は得られていない。全国大会に総体・選手権・国体で各2度出場しながら、選手権では2年連続で3回戦敗退、当時の記録では世代別代表や選抜への選出を確認できていない。
1969年生まれの大倉は、世代別日本代表の体系的な整備が本格化する直前の世代にあたる。大学進学後には早稲田大学ア式蹴球部の主力として全日本大学選手権制覇を経験し、実業団時代にはJリーグ公式戦にも出場している。高校時代に全国タイトルがなかった選手が、その後の日本サッカーにクラブ経営の側面で大きな影響を与えた点は特筆に値する。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 早稲田大学商学部(1988年〜):ア式蹴球部に所属し、4年時に第40回全日本大学サッカー選手権で優勝。
- 日立製作所/柏レイソル(1992年〜1995年):リーグ戦35試合6得点(JSL時代とJリーグ時代を含む)。
- ジュビロ磐田(1996年):リーグ戦4試合0得点。
- ブランメル仙台(1997年):旧JFLで26試合8得点。
- ジャクソンビル・サイクロンズ(米国、1998年):プレーし、1998年に現役引退。
- 通算成績:Jリーグ公式戦28試合2得点(リーグ戦21試合1得点)。
- タイトル:確認できた記録なし
日本代表(国際Aマッチ)
出場記録なし。
引退後の活動・指導歴・役職
- スペインのヨハン・クライフ国際大学でスポーツマーケティングを学ぶ。
- セレッソ大阪 チーム統括ディレクター。
- 湘南ベルマーレ:2013年4月にゼネラルマネージャー就任、2014年4月に取締役社長、2015年に代表取締役社長。2015年12月に退任。
- いわきFC:2015年12月に株式会社いわきスポーツクラブを共同設立し、代表取締役に就任。2022年のJ3優勝とJ2昇格を牽引した。
- 立命館大学客員教授。
【卒業後のキャリアの総評】
大倉の現役時代のハイライトは、村上浩と組んだ“史上最強のツートップ”が東京都を席巻した1986年〜1987年である。全国選手権では2年連続で国見の壁に阻まれたものの、総体・選手権・国体にそれぞれ2度出場した屈強なFWは、都予選で敵を作らない得点者として名を馳せていた。
早稲田大学では4年時の1991年度に第40回全日本大学選手権を制覇。卒業後はプロの道を選ばず日立製作所へ入社し、JSL時代から柏レイソルとしてJリーグに参加したチームでプレーした。Jリーグ公式戦通算28試合2得点の成績を残し、ジュビロ磐田、ブランメル仙台、米国・ジャクソンビルを経て1998年に現役引退。この間、柏ではJ1での1993年〜1995年を経験している。
引退後の歩みは、選手時代以上に日本サッカーに影響を残している。スペインでスポーツマーケティングを学んだのちにセレッソ大阪のフロント入りし、湘南ベルマーレではGMから社長へと昇格。2015年12月に福島県いわき市へ移り、いわきFCを共同設立した。創設から10年でJリーグ入会を果たし、2022年にはJ3優勝とJ2昇格を成し遂げる。地域に根ざしたクラブ経営のモデルケースとして注目を集めるその挑戦は、暁星高校で積んだ強豪サッカーの経験と、商社マンとして培った視座が一つになった形である。




















