遠藤保仁(鹿児島実業 鹿児島県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
一瞬のスキも見せない正確なボールコントロールと、試合全体を見通す視野で中盤を支配し続けた、日本代表歴代最多となる国際Aマッチ152試合を誇る司令塔。鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)の出身で、実兄の遠藤彰弘の影響で蹴り始めたボールが、やがて時代を代表するマエストロへの道を切り開いた。鹿児島実業では1年生で全国の頂点を経験すると、2年生では高円宮杯全日本ユースを制覇して大会優秀選手/U-18日本代表にも名を連ねた。
1年時の第74回選手権(1995年度)では、2回戦の帝京に2-1、3回戦の鵬翔に5-1、準々決勝の室蘭大谷に4-2、準決勝の初芝橋本に2-1と勝ち上がり、決勝の静岡学園戦を2-2(延長0-0)で終えて両校優勝という歴史的な形で全国制覇。この時のチームメイトには、のちに鹿島などで活躍する平瀬智行がいた。2年時の第75回大会は準々決勝で徳島商にPK戦の末に屈したものの大会優秀選手に選ばれ、同年の高円宮杯も制覇。3年時の第76回大会は1回戦の浦和東戦に4-0で勝利したが、2回戦で前橋商に1-4と大敗している。
卒業後は1998年に横浜フリューゲルスへ加入し、Jリーグ開幕戦の横浜マリノス戦でいきなりプロデビュー。京都パープルサンガを経て2001年にガンバ大阪へ移ると、J1歴代最多となる672試合に出場して2005年/2014年のJ1優勝、2008年のアジアチャンピオンズリーグ制覇に貢献し、2009年にアジア年間最優秀選手、2014年にJリーグMVPを受賞した。日本代表でも歴代最多の152試合に出場し、ワールドカップには3大会(2006年/2010年/2014年)に選出。2024年1月に現役を引退すると、ガンバ大阪の指導者へ転身している。
所属
鹿児島実業高等学校(鹿児島県)
生年月日
1980年1月28日
サイズ(身長/体重)
178cm / 75kg
ポジション
MF(攻撃的ミッドフィルダー/ボランチ)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):確認できた記録なし(要確認)
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):確認できた記録なし(要確認)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1995年度/第74回大会):全国優勝(両校優勝)。2回戦の帝京戦に2-1、3回戦の鵬翔戦に5-1、準々決勝の室蘭大谷戦に4-2、準決勝の初芝橋本戦に2-1で勝利し、決勝の静岡学園戦は2-2(延長0-0)で引き分け、両校優勝で全国制覇。国立霞ヶ丘競技場の決勝で、1年生ながら優勝を経験した。
- 2年時(1996年度/第75回大会):ベスト8。2回戦の仙台育英戦に1-0、3回戦の日章学園戦に5-1で勝利し、準々決勝の徳島商戦は0-0の末、PK戦2-4で敗退。
- 3年時(1997年度/第76回大会):2回戦敗退。1回戦の浦和東戦に4-0で勝利したが、2回戦で前橋商に1-4で敗れた。
- 個人表彰:第75回大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1995年)〜3年時(1997年):確認できた出場記録なし(この期間の全国優勝は習志野/清水市商/東福岡)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1995年):確認できた記録なし。
- 2年時(1996年):高円宮杯全日本ユースサッカー選手権を制覇(決勝の詳細な記録は要確認)。
- 3年時(1997年):確認できた記録なし。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1995年)〜3年時(1997年):確認できた出場記録なし(この期間の少年男子優勝は千葉/静岡/静岡)。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:U-18日本代表(2年時)。
【高校時代の代表歴について】
遠藤の高校時代の代表歴として確認できるのは、2年時のU-18日本代表選出である。1996年に高円宮杯全日本ユースを制覇し、第75回選手権で大会優秀選手に選ばれた実績が、年代別代表の監督陣の目に留まることになった。
1980年1月生まれの遠藤は、1999年のFIFAワールドユース選手権に臨むU-20日本代表の中核として位置づけられていた世代の先端にあたる。高校を卒業してすぐにプロの世界へ飛び込みながら、のちにU-20代表として11試合1得点を記録したことは、高校時代からすでに全国トップレベルの完成度を備えていたことの証明といえる。
卒業後の進路
プロ/社会人
- 横浜フリューゲルス(1998年):高校卒業後に加入。1998年3月21日のJリーグ開幕戦/横浜マリノス戦(横浜ダービー)でプロデビュー。リーグ戦16試合1得点。
- 京都パープルサンガ(1999-2000年):リーグ戦53試合9得点。
- ガンバ大阪(2001-2021年):リーグ戦605試合98得点。2020-2021年はジュビロ磐田へ期限付き移籍(リーグ戦50試合5得点)。
- ジュビロ磐田(2022-2023年):リーグ戦52試合0得点。2024年1月9日、2023シーズンをもっての現役引退を発表。
- 通算成績:国内リーグ戦776試合113得点(J1は歴代最多の672試合)。
- タイトル:J1優勝2回(2005年/2014年)、J2優勝(2013年)、天皇杯優勝4回(2008年/2009年/2014年/2015年)、Jリーグカップ優勝2回(2007年/2014年)、AFCチャンピオンズリーグ優勝(2008年)(いずれもガンバ大阪。J2優勝の2021年はジュビロ磐田)。
- 個人表彰:Jリーグベストイレブン12回(2003年〜2012年/2014年/2015年、歴代最多)、2009年アジア年間最優秀選手、2014年JリーグMVP。
日本代表(国際Aマッチ)
152試合15得点(2002-2015、日本代表最多出場)。2002年11月20日のキリンチャレンジカップ/アルゼンチン戦で初出場。ワールドカップには2006年/2010年/2014年の3大会に出場し、2010年大会は全4試合にスタメン出場した。AFCアジアカップでは2004年/2011年の優勝に貢献。
引退後の活動/指導歴/役職
2024年1月9日の現役引退発表と同時にガンバ大阪のトップチームコーチに就任。現在は同クラブでヘッドコーチを務めている(2026年現在)。
【卒業後のキャリアの総評】
遠藤の高校時代は、1年時の両校優勝と2年時の高円宮杯制覇という二つの全国タイトルに彩られている。3年時こそ2回戦で前橋商の速攻に屈して終わったが、卒業前からすでにプロの目は止まっており、1998年には横浜フリューゲルスへ加入。カルロス/レシャック監督が見いだした才能は、開幕戦の横浜ダービーでいきなりスタメンに抜擢され、18歳でJリーグの舞台に立った。
フリューゲルス解散という不運を経て京都パープルサンガへ移り、2001年にガンバ大阪へ移籍。ここで遠藤はクラブの象徴となり、2005年の初優勝を皮切りにJ1優勝2回、2008年にはアジアチャンピオンズリーグを制覇。2009年にはアジア年間最優秀選手に輝き、2014年にはJリーグMVPとJ1優勝の二冠を締めくくった。ベストイレブン12回は歴代最多で、J1最多の672試合という出場記録は、同時代を生きた選手たちの憧れの的であり続けた。
日本代表では2002年11月のアルゼンチン戦で初出場して以降、152試合という歴代最多のキャップを積み上げ、ワールドカップ3大会に出場。2010年南アフリカ大会では全4試合にスタメン出場してベスト16進出の中核を担った。2024年1月に2023シーズン限りでの現役引退を発表すると、即座にガンバ大阪のトップチームコーチへ就任。現在は同クラブのヘッドコーチとして、指導者の道を歩んでいる。























