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松井大輔(鹿児島実業)高校サッカーヒーロー列伝

松井大輔_鹿児島実業

松井大輔(鹿児島実業 鹿児島県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

175cmの小柄な体で繰り出す柔軟なドリブルと、敵の急所を突くパスで大会を彩った創造性あふれる攻撃的MF。1981年5月11日、京都府京都市山科区の生まれで、大宅サッカースポーツ少年団、京都市立大宅中学校、京都市立藤森中学校を経て、15歳の決断で単身鹿児島へ渡り、鹿児島実業高校へ進学した。同級生に那須大亮、1学年下に田原豊らがいる。

1年時の第76回大会(1997年度)は2回戦敗退に終わったが、3年時の第78回大会(1999年度)でチームは頂点に迫った。1回戦の松商学園に4-0、2回戦の国見に2-0、3回戦の真岡に3-1、準々決勝の帝京に2-1、準決勝の富山第一に4-1と勝ち上がり、決勝では全試合無失点で臨んできた市立船橋に0-2で敗れて全国準優勝。松井は大会の主な出場選手として名を連ね、そのプレーは大きな注目を集めた。

卒業後は京都パープルサンガに入団してJ2優勝と天皇杯優勝を経験すると、2004年からはフランスへ渡り、ル・マンなどで10年を超える海外キャリアを積んだ。2010年南アフリカW杯では全4試合にスタメン出場して日本のベスト16進出に貢献。引退後は指導・育成の立場とフットサル界の運営にも関わっている。

所属

鹿児島実業高等学校(鹿児島県)

生年月日

1981年5月11日

サイズ(身長・体重)

175cm / 66kg

ポジション

MF(攻撃的MF・サイドハーフ)

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):京都市立大宅中学校、京都市立藤森中学校
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):大宅サッカースポーツ少年団(小学3年から入団)

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(1997年度・第76回大会):2回戦敗退。1回戦の浦和東戦に4-0、2回戦で前橋商に1-4で敗れた(1学年上の遠藤保仁、同級生の那須大亮らとともに出場。1年生の松井の出場状況の詳細は要確認)。
  • 2年時(1998年度・第77回大会):本大会出場を逃した(第77回大会の出場校に鹿児島実業の名はなかった)。
  • 3年時(1999年度・第78回大会):全国準優勝。1回戦の松商学園戦に4-0(三ツ沢公園球技場)、2回戦の国見戦に2-0(等々力陸上競技場)、3回戦の真岡戦に3-1、準々決勝の帝京戦に2-1、準決勝の富山第一戦に4-1と勝利し、決勝(2000年1月8日/国立霞ヶ丘陸上競技場)で市立船橋に0-2で敗れた。市立船橋は全試合無失点での優勝。
  • 個人表彰:確認できた記録なし(大会得点王は富山第一の石黒智久、9得点。松井は大会の主な出場選手に名を連ねた)。
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(1997年)〜3年時(1999年):確認できた出場記録なし(この期間の全国優勝は東福岡、市立船橋、八千代と広島皆実の両校優勝)。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1997年)〜3年時(1999年):鹿児島実業の優勝/進出記録は確認できず。
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1997年)〜3年時(1999年):確認できた出場記録なし(この期間の少年男子優勝は静岡/千葉/千葉)。

代表歴

高校時代の代表/選抜歴:1999年U-18日本代表(オランダ遠征、SBSカップ)。

【高校時代の代表歴について】

松井の高校時代の代表歴として確認できるのは、1999年U-18日本代表への選出である。同年5月のオランダ遠征メンバーに名を連ね、7月にはSBSカップの候補メンバー、8月にはSBSカップのメンバーとして登録され、11月のU-18日本代表メンバーにも鹿児島実業から選出されている。

卒業後は2003年6月22日のコロンビア戦で日本代表デビューを果たすと、ジーコ監督がアテネ世代として大久保嘉人、石川直宏とともにいち早く招集した一人となった。2004年のアテネオリンピックではU-23日本代表の背番号10を背負い、2010年南アフリカW杯では全4試合にスタメン出場している。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 京都パープルサンガ(2000年〜2004年):J2リーグ優勝(2001年)と天皇杯優勝(2002年)を経験した。
  • ル・マン(2004年〜2008年):フランスへ移籍し、4年間プレーした。
  • ASサンテティエンヌ(2008年〜2009年)。
  • グルノーブル・フォワ38(2009年〜2011年):2010年はロシアのFCトム・トムスクへレンタル移籍。
  • ディジョンFCO(2011年〜2012年)。
  • PFCスラヴィア・ソフィア(2012年〜2013年):ブルガリア。
  • レヒア・グダニスク(2013年):ポーランド。
  • ジュビロ磐田(2014年〜2017年):Jリーグへ復帰。
  • オードラ・オポーレ(2017年):ポーランド。
  • 横浜FC(2018年〜2020年)。
  • サイゴンFC(2021年):ベトナム。
  • Y.S.C.C.横浜フットサル(2021年〜2022年)、Y.S.C.C.横浜(2022年〜2023年):2024年2月20日に現役引退を発表した。
  • 通算成績:リーグ戦通算506試合55得点(国内リーグ戦のみの集計)。
  • タイトル:J2リーグ優勝(2001年、京都パープルサンガ)、天皇杯優勝(2002年、京都パープルサンガ)。
  • 個人表彰:確認できた記録なし

日本代表(国際Aマッチ)

国際Aマッチ31試合1得点(2003年〜2011年)。2003年6月22日のコロンビア戦でデビュー。2003年FIFAコンフェデレーションズカップ、2004年アテネオリンピック(U-23日本代表・背番号10)、2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会(全4試合にスタメン出場)、2011年AFCアジアカップ。U-23日本代表として25試合2得点。

引退後の活動・指導歴・役職

2024年3月に横浜FCサッカースクールのコーチに就任。同年4月からは浦和レッドダイヤモンズのアカデミーでロールモデルコーチを務め(横浜FCと兼任)、2024年7月には一般社団法人日本フットサルトップリーグの理事長に就任した。

【卒業後のキャリアの総評】

松井は2000年に京都パープルサンガへ加入すると、2001年のJ2優勝によるJ1復帰と、2002年の天皇杯優勝を経験した。2004年からはフランスのル・マンへ移り、以降はサンテティエンヌ、グルノーブルとフランスでプレーを続け、その間にはロシアのトム・トムスクへのレンタル移籍も経験。2012年からはブルガリアのスラヴィア・ソフィア、ポーランドのレヒア・グダニスクと国境を越えながら現役を続けた。

2014年にジュビロ磐田へ加入してJリーグへ復帰すると、2018年からは横浜FCでプレー。2021年にはベトナムのサイゴンFCとフットサルのY.S.C.C.横浜フットサルを経て、2022年からはY.S.C.C.横浜でサッカー選手として復帰し、2024年2月に現役引退を発表した。日本代表としては31試合1得点で、2010年南アフリカW杯の全4試合にスタメン出場している。

高校時代から一貫していたのは、相手の急所を突く発想と、どの環境でもプレーを続ける強さである。15歳で京都から鹿児島へ渡った決断は、フランス、ブルガリア、ポーランド、ベトナムへと続く幅広いキャリアの原点となった。引退後は2024年に日本フットサルトップリーグの理事長に就任するなど、現場と運営の両面でサッカーに関わり続けている。

鹿児島実業(ヒーロー列伝)

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