野見山秀樹(鹿児島実業 鹿児島県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
180cmの長身と高い技術を兼ね備え、中盤から決定的なパスと高い得点力でチームを牽引した大型ミッドフィールダー。1975年4月28日、鹿児島県鹿児島市に生まれ、鹿児島市立明和小学校で小学3年生から本格的にサッカーを始め、鹿児島市立明和中学校を経て名門の鹿児島実業高校へ進学した。同期には後に日本代表のエースストライカーとなる城彰二や遠藤彰弘、藤崎義孝らが揃い、強力な黄金世代を形成した。
3年時の1993年度は高校サッカー界屈指の強豪として躍動。夏の高校総体(インターハイ)と秋の全日本ユース(高円宮杯)でともに全国準優勝を達成した。集大成となった第72回全国高等学校サッカー選手権大会では、1回戦の盛岡商戦に3-0、2回戦の四日市中央工戦に2-0、3回戦の武南戦に1-0、準々決勝の神戸弘陵戦に2-0と無失点で勝ち上がった。準決勝では川口能活らを擁する清水市商を相手に野見山が2得点を奪い、国立競技場で2-2のPK戦(4-5)に及ぶ死闘を演じて全国ベスト4に進出。大会通算5得点を記録し、中盤の選手ながら単独で大会得点王に輝いた。
高校卒業後は九州産業大学へ進学し、1年で中退した後に1995年ガンバ大阪へ加入してJリーグの舞台に挑んだ。度重なる怪我の影響もありプロでの現役生活は短く幕を閉じたが、引退後は地元鹿児島での指導者活動や京都サンガF.C.の強化部長・スポーツダイレクター(SD)などを歴任し、日本サッカーの発展に多大な貢献を続けている。
所属
鹿児島実業高等学校(鹿児島県)
生年月日
1975年4月28日
サイズ(身長・体重)
180cm / 65kg
ポジション
MF
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):鹿児島市立明和中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):鹿児島市立明和小学校(小学3年時から入団)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1991年度・第70回大会):鹿児島実業は全国ベスト8進出(1年生の野見山秀樹の登録・出場状況の詳細は要確認)。
- 2年時(1992年度・第71回大会):鹿児島県予選敗退(鹿児島県代表はれいめい高校)。
- 3年時(1993年度・第72回大会):全国ベスト4(3位)。1回戦の盛岡商戦に3-0、2回戦の四日市中央工戦に2-0、3回戦の武南戦に1-0、準々決勝の神戸弘陵戦に2-0と勝利。準決勝(国立霞ヶ丘陸上競技場)で清水市商と2-2の末にPK戦4-5で敗退(準決勝の2ゴールを含む大会通算5得点を記録)。
- 個人表彰:大会得点王(5得点)
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1991年):確認できた出場記録なし
- 2年時(1992年):確認できた出場記録なし
- 3年時(1993年):全国準優勝(決勝で国見高校に敗れ準優勝)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1991年・第2回):確認できた出場記録なし
- 2年時(1992年・第3回):確認できた出場記録なし
- 3年時(1993年・第4回):全国準優勝(決勝で清水市商に0-1で敗れて準優勝)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
- 1年時(1991年・第46回石川国体)〜3年時(1993年・第48回東四国国体):鹿児島県選抜としての詳細なメンバー登録状況は要確認(1991年は鹿児島県選抜が少年男子3位)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:1994年日本高校選抜(ヨーロッパ遠征)。
【高校時代の代表歴について】
高校3年時の第72回全国高校サッカー選手権で得点王に輝いた活躍により、大会後に編成された1994年日本高校選抜メンバーに選出され、ヨーロッパ遠征に参加した。中盤のポジションから果敢にゴール前へ進出し、高いシュート精度と決定力を見せた野見山は、城彰二や遠藤彰弘らとともに全国トップクラスのタレントとして高い評価を集めた。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 九州産業大学(1994年〜1995年):大学サッカー部でプレーした後に中退。
- ガンバ大阪(1995年〜1997年):Jリーグ通算2試合0得点、カップ戦通算2試合0得点。1997年シーズン限りで怪我のため現役を引退。
- 京セラ(1998年〜):引退後に一般社員として入社。
- 通算成績:Jリーグ通算2試合0得点、ヤマザキナビスコカップ2試合0得点。
- タイトル:確認できた記録なし
- 個人表彰:確認できた記録なし
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ出場なし
引退後の活動・指導歴・役職
引退後は一般企業勤務を経てサッカー界へ復帰。地元鹿児島での育成指導をはじめ、京都サンガF.C.にて強化部スタッフ、強化部長、スポーツダイレクター(SD)などを歴任し、クラブ強化と選手スカウティングに深く携わった。
【卒業後のキャリアの総評】
高校サッカー選手権で得点王を獲得した野見山は、九州産業大学を経て1995年にJリーグのガンバ大阪へ入団した。高いサッカーセンスと長身を生かしたプレーで期待されたものの、相次ぐ怪我に見舞われてトップチームでの定着は叶わず、1997年シーズンをもって現役引退を決断した。
選手引退後は京セラでの社会人経験を経てサッカー界に戻り、指導者として次世代の育成にあたるとともに、Jリーグ・京都サンガF.C.のフロントとして強化部長やスポーツダイレクターを務めた。高校時代の華々しい実績とプロでの挫折の双方を知る経験を活かし、チーム編成や選手発掘の現場で重要な役割を果たした。

























