手倉森誠(五戸 青森県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
青森県立五戸高校が生んだ屈指のアタッカー。双子の弟である手倉森浩とともに息の合った連係と卓越した得点感覚で前線を牽引し、チームの攻撃陣を力強く支えた。1967年11月14日に青森県三戸郡五戸町で生まれ、地元の五戸町立五戸小学校、五戸町立五戸中学校を経て五戸高校へ進学。伝統の堅守速攻スタイルの中で攻撃のキーマンとして頭角を現した。
1年時の第62回大会(1983年度)は1回戦で浜田を7-0で下し2回戦に進出。2年時の第63回大会(1984年度)でも全国大会へ出場した。そして3年時の第64回大会(1985年度)では、1回戦の別府商戦を4-1、2回戦の美濃加茂戦を2-1、3回戦の宇治山田商戦を5-1と快勝を重ねて全国ベスト8に進出。準々決勝で名門の清水市立商に2-4で惜敗したものの、東北の古豪ここにありを全国に印象づけた。
高校卒業後の1986年に日本サッカーリーグ2部の住友金属工業蹴球団(現・鹿島アントラーズ)へ加入し、Jリーグ開幕期までプレー。その後はNEC山形(現・モンテディオ山形)へ移籍して1995年まで現役を続けた。引退後は指導者としてベガルタ仙台をJ1昇格や上位進出へ導き、U-23日本代表監督として2016年リオデジャネイロ五輪出場権を獲得して本大会でも指揮を執った。
所属
青森県立五戸高等学校(青森県)
生年月日
1967年11月14日
サイズ(身長・体重)
174cm / 68kg
ポジション
FW / MF
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):五戸町立五戸中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):五戸町立五戸小学校
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1983年度・第62回大会):2回戦敗退。1回戦で浜田(島根県)に7-0で大勝し、2回戦で遠野(岩手県)に0-3で敗れた。
- 2年時(1984年度・第63回大会):2回戦敗退。初戦となった2回戦で國學院栃木(栃木県)に1-2で敗れた。
- 3年時(1985年度・第64回大会):全国ベスト8。1回戦で別府商(大分県)に4-1、2回戦で美濃加茂(岐阜県)に2-1、3回戦で宇治山田商(三重県)に5-1と勝利し、準々決勝で清水市立商(静岡県)に2-4で敗れた。
- 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1983年):確認できた出場記録なし
- 2年時(1984年):確認できた出場記録なし
- 3年時(1985年):確認できた出場記録なし
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1983年)〜3年時(1985年):当時は大会創設前(第1回大会は1990年開催)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1983年・第38回あかぎ国体)〜3年時(1985年・第40回わかとり国体):青森県選抜としての出場記録は確認できず。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:ユース日本代表候補(1986年AFCユース選手権代表へ選出)
【高校時代の代表歴について】
手倉森誠は五戸高校時代、双子の弟である浩とともに卓越した連係と突破力を誇り、東北屈指のタレントとして全国的に注目を集めた。全国高校サッカー選手権での活躍が高く評価され、世代別日本代表の選考対象となった。
高校卒業直後の1986年にはAFCユース選手権1986に臨むユース日本代表に選出されるなど、高校年代のトッププレーヤーとして確固たる評価を確立した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 住友金属工業蹴球団 / 鹿島アントラーズ(1986年〜1992年):日本サッカーリーグおよびJリーグ黎明期に在籍。
- NEC山形サッカー部(1993年〜1995年):旧JFLで主力としてプレーし、1995年シーズン終了後に現役引退。
- 通算成績:JSL2部通算80試合12得点、JFL通算57試合6得点。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ出場なし。世代別代表として1986年ユース日本代表。
引退後の活動・指導歴・役職
1996年にNEC山形のコーチに就任し指導者キャリアを開始。大分トリニータのヘッドコーチなどを経て、2008年からベガルタ仙台の監督に就任しJ2優勝とJ1定着、2012年にはJ1準優勝を達成した。2014年にU-21日本代表監督に就任し、2016年のAFC U-23選手権で優勝。同年のリオデジャネイロオリンピックでU-23日本代表を指揮した。その後も日本代表コーチ、V・ファーレン長崎監督、BGパトゥム・ユナイテッドFC(タイ)監督、チョンブリーFC監督などを歴任した。
【卒業後のキャリアの総評】
五戸高校を卒業した手倉森誠は、住友金属工業蹴球団へ加入。JSL2部で実績を積み、Jリーグ発足後は鹿島アントラーズに登録された後、NEC山形へ移籍してチームのJFL定着を牽引し、1995年に惜しまれつつ現役を引退した。
現役引退後は指導者の道を歩み、山形や大分での指導経験を経て、2008年にベガルタ仙台の監督へ就任。チームをJ1昇格へ導き、2011年の東日本大震災の際には被災地のクラブを率いてJ1で4位、翌2012年にはクラブ史上最高のJ1準優勝へと導く歴史的な手腕を発揮した。
2014年からは年代別日本代表の指揮官に就任し、2016年のリオデジャネイロ五輪ではチームを本大会へと導き、A代表のコーチとしても2018年ロシアW杯ベスト16進出に貢献。タイのBGパトゥム・ユナイテッドをリーグ制覇に導くなど国内外で輝かしい指導実績を築き上げている。




















