吉田昭義(島原商業 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
鋭い攻撃参加と豊富な運動量で右サイドを制圧し、島原商業の黄金期を支えた超攻撃的サイドバック。1966年9月8日生まれ、長崎県出身。名将・小嶺忠敏監督率いる島原商業高等学校で鍛え上げられ、高い走力とアグレッシブな攻守の切り替えを武器にチームの主力として台頭した。
高校最後の冬となった3年時の第78回大会に先立つ昭和59年度・第63回全国高等学校サッカー選手権大会(1984年度)では、背番号2をつけて全試合に先発出場。2回戦の磐城(2-0)、3回戦の九州学院(2-1)、準々決勝の日立工(1-0)を破り、準決勝では藤枝東とのPK戦を制して決勝へ進出した。帝京との決勝では1-1の引き分けとなり、両校優勝の栄冠を獲得。攻守にわたる出色の活躍により、大会優秀選手に選出された。
卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)のトヨタ自動車サッカー部へ加入。Jリーグ開幕後は名古屋グランパスエイトの創設メンバーとして1994年まで10シーズンにわたりプレーし、プロの舞台では主にフォワードとしてもチームを支えた。
所属
長崎県立島原商業高等学校(長崎県)
生年月日
1966年9月8日
サイズ(身長・体重)
169cm / 67kg
ポジション
DF / FW(サイドバック、フォワード)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):長崎県内中学校(要確認)
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):長崎県内小学校(要確認)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1982年度・第61回大会):長崎県予選敗退(長崎県代表は国見)。
- 2年時(1983年度・第62回大会):3回戦敗退。島原商業は初戦となる2回戦で大淀に2-1で勝利し、3回戦で武南に0-1で敗れた(吉田の出場状況の詳細は要確認)。
- 3年時(1984年度・第63回大会):全国優勝(両校優勝)。背番号2の右サイドバックとして全試合に出場。初戦の2回戦で磐城に2-0、3回戦で九州学院に2-1、準々決勝で日立工に1-0、準決勝(国立霞ヶ丘陸上競技場)で藤枝東と0-0(PK4-2)で勝利。1985年1月8日の決勝(国立霞ヶ丘陸上競技場)では帝京と1-1で引き分け、両校優勝を果たした。
- 個人表彰:第63回大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1982年)〜3年時(1984年):確認できた全国大会出場記録なし(この期間の長崎県勢記録等は要確認)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1982年)〜3年時(1984年):当時は大会創設前(第1回大会は1989年開催)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1982年)〜3年時(1984年):少年男子長崎県選抜としての全国大会出場記録は確認できず(要確認)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:第63回全国高校サッカー選手権大会優秀選手(1985年)。
【高校時代の代表歴について】
高校時代の公式表彰として、3年時の第63回全国高等学校サッカー選手権大会において大会優秀選手に選出されている。強豪・島原商業の右サイドバックとして抜群の推進力と守備の粘り強さを発揮し、帝京との両校優勝を達成した立役者の一人として高い評価を受けた。当時の高校サッカー界を代表するディフェンダーとして名を残している。
卒業後の進路
プロ・社会人
- トヨタ自動車サッカー部(1985年〜1992年):日本サッカーリーグ(JSL)でプレー。
- 名古屋グランパスエイト(1992年〜1994年):Jリーグ創設メンバーとして加入。1993年サントリーシリーズなどでリーグ戦5試合に出場。
- 通算成績:J1リーグ通算5試合0得点(トヨタ自動車時代のJSL成績等は要確認)。
- タイトル:全国高等学校サッカー選手権大会優勝(1984年度、島原商業)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ出場なし。
引退後の活動・指導歴・役職
現役引退後はシニアサッカー等で活動を継続(JFA全日本O-60サッカー大会長崎県選抜など)。
【卒業後のキャリアの総評】
高校卒業後の1985年、日本サッカーリーグの強豪・トヨタ自動車サッカー部に入団。高校時代の超攻撃的サイドバックからフォワードや攻撃的MFとしても起用され、ハードワークと機敏な動きでチームに貢献した。
1992年のJリーグ発足に伴い、トヨタ自動車を母体とする名古屋グランパスエイトのプロ契約選手として登録。1993年のJリーグ開幕期にはサントリーシリーズを中心にリーグ戦5試合に出場した。1994年まで10シーズンにわたりトヨタ・名古屋一筋で現役生活を送り、日本サッカーのプロ化への転換期をピッチ内外で支え続けた。






















