小笠原満男(大船渡 岩手県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
広い視野と卓越した戦術眼、精密なキックと泥臭い球際の強さを兼ね備え、東北のファンタジスタとして高校年代から異彩を放った稀代のゲームメーカー。1979年4月5日、岩手県盛岡市に生まれ、盛岡太田東サッカー少年団、盛岡市立大宮中学校を経て、名将・齋藤重信監督の指導を受けるために親元を離れて岩手県立大船渡高校へ進学した。下宿生活を送りながら心技体を徹底的に磨き上げた。
2年時の高校総体(1996年)で全国初出場を果たし、1回戦の東京学館新潟戦を3-0で快勝して2回戦で小野伸二擁する清水商と対戦(1-3で敗退)。同年度の第75回全国高校サッカー選手権では、1回戦で徳島商と3-3の激闘を演じてPK戦の末に惜敗したものの、卓越した存在感で2年生ながら大会優秀選手に選出された。3年時の第76回選手権(1997年度)では主将・司令塔として奈良育英、徳島市立を破ってベスト16に進出。大津との激闘の末にPK戦で敗れたが、2大会連続で大会優秀選手に輝いた。
高校卒業後は鹿島アントラーズに加入し、J1リーグ通算7度の優勝や3連覇、国内外合わせて数多くのタイトル獲得に貢献してクラブの黄金期を築いた。日本代表としても2002年日韓大会、2006年ドイツ大会とFIFAワールドカップに2度出場。2009年にはJリーグ最優秀選手賞(MVP)を獲得するなど日本サッカー界に燦然と輝く足跡を残した。
所属
岩手県立大船渡高等学校(岩手県)
生年月日
1979年4月5日
サイズ(身長・体重)
173cm / 72kg
ポジション
MF(攻撃的MF・ボランチ)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):盛岡市立大宮中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):盛岡太田東サッカー少年団(小学6年時に全日本少年少女サッカー大会出場)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1995年度・第74回大会):岩手県予選敗退(岩手県代表は遠野)。
- 2年時(1996年度・第75回大会):1回戦敗退。1回戦で徳島商と対戦し3-3(PK 2-4)で敗れた。敗れはしたものの2年生ながら大会優秀選手に選出された。
- 3年時(1997年度・第76回大会):ベスト16(3回戦敗退)。1回戦で奈良育英に3-2、2回戦で徳島市立に2-1と勝利。3回戦で大津と対戦し2-2(PK 1-4)で敗退。2大会連続で大会優秀選手に選出された。
- 個人表彰:第75回大会 優秀選手、第76回大会 優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1995年・第48回大会):岩手県予選敗退(岩手県代表は遠野/全国優勝は習志野)。
- 2年時(1996年・第49回大会):2回戦敗退。大船渡高校として総体初出場。1回戦で東京学館新潟に3-0で勝利し、2回戦で清水商に1-3で敗れた(優勝は清水商)。
- 3年時(1997年・第50回大会):岩手県予選敗退(岩手県代表は遠野/全国優勝は東福岡)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1995年・第6回大会):大船渡高校の出場記録なし(優勝は静岡学園)。
- 2年時(1996年・第7回大会):大船渡高校の出場記録なし(優勝は鹿児島実)。
- 3年時(1997年・第8回大会):大船渡高校の出場記録なし(優勝は清水商)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1995年・第50回大会):確認できた出場記録なし(少年男子優勝は静岡)。
- 2年時(1996年・第51回大会):確認できた出場記録なし(少年男子優勝は静岡)。
- 3年時(1997年・第52回大会):確認できた出場記録なし(少年男子優勝は千葉)。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:1997年U-18日本代表、日本高校選抜(第58回ベリンツォーナ国際ユース大会出場・第76回大会優秀選手で構成)。
【高校時代の代表歴について】
小笠原は中学3年時にすでにU-16日本代表候補に名を連ねて頭角を現していた。大船渡高校進学後もその才能は高く評価され、3年時にはU-18日本代表に選出されて国際舞台を経験した。
第76回全国高校サッカー選手権大会終了後には2年連続の大会優秀選手として日本高校選抜に選出され、スイスで開催された第58回ベリンツォーナ国際ユース大会に出場。世界の同世代と渡り合い、のちにワールドユース準優勝を果たす黄金世代の中核へと成長していった。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 鹿島アントラーズ(1998年〜2006年8月、2007年7月〜2018年):J1リーグ優勝7回(1998年、2000年、2001年、2007年、2008年、2009年、2016年)、Jリーグカップ優勝5回、天皇杯優勝4回、AFCチャンピオンズリーグ優勝1回(2018年)など数々のタイトルを獲得。
- メッシーナ(2006年8月〜2007年7月):イタリア・セリエAでプレー(6試合1得点)。
- 通算成績:J1リーグ通算525試合69得点(Jリーグ通算出場数は歴代上位)。
- タイトル:J1リーグ優勝7回、Jリーグカップ優勝5回、天皇杯優勝4回、AFCチャンピオンズリーグ優勝1回(2018年)、スルガ銀行チャンピオンシップ優勝2回など主要タイトル多数。
- 個人表彰:Jリーグ最優秀選手賞(MVP、2009年)、Jリーグベストイレブン6回(2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2009年)、JリーグカップMVP(2002年)、日本年間最優秀選手賞(2009年)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ55試合7得点(2002年〜2010年)。2002年3月21日のウクライナ戦でA代表デビュー。2002年FIFAワールドカップ日韓大会(ベスト16)、2006年FIFAワールドカップドイツ大会に出場。2003年・2005年FIFAコンフェデレーションズカップ、2004年AFCアジアカップ(優勝)出場。U-20日本代表として1999年FIFAワールドユース選手権準優勝。
引退後の活動・指導歴・役職
2018年シーズンをもって現役引退を発表。2019年より鹿島アントラーズのアカデミー・アドバイザーに就任し、育成組織の巡回指導や若手育成・クラブの発展に尽力している。
【卒業後のキャリアの総評】
1998年に鹿島アントラーズへ加入した小笠原は、ルーキーイヤーから出場機会を得るとすぐさま定位置を確保した。抜群のキック精度とパスセンス、さらには卓越した勝負強さを武器に常勝軍団・鹿島の心臓として君臨し、2000年の国内三冠をはじめ数々のタイトル獲得に大きく貢献した。
2006年にはイタリア・セリエAのメッシーナへ移籍して海外挑戦を経験。復帰後の鹿島では前人未到のJ1リーグ3連覇(2007年〜2009年)を中心選手として牽引し、2009年にはJリーグ最優秀選手賞(MVP)に輝いた。年齢を重ねてからはボランチとして守備の強度や試合をコントロールする老獪さを増し、2018年には主将として悲願のAFCチャンピオンズリーグ初優勝を果たして現役を退いた。
日本代表としても1999年のワールドユース準優勝を成し遂げた黄金世代の象徴の一人として活躍し、2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯と2大会連続で本大会のピッチに立った。岩手・大船渡の地で培った不屈の闘争心と高い技術は、プロの舞台でも色褪せることなく、日本サッカー界屈指の勝負師として燦然たるキャリアを築き上げた。























