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本田圭佑(星稜)高校サッカーヒーロー列伝

本田圭佑_星稜

本田圭佑(星稜 石川県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

正確無比な左足のキックと強靭なフィジカル、強いリーダーシップでチームを牽引した大型司令塔。1986年6月13日、大阪府摂津市の生まれで、摂津FC、ガンバ大阪ジュニアユースを経て、更なる飛躍の場を求めて石川県の星稜高校へ進学した。1学年上に豊田陽平、2学年下に鈴木大輔らがいる。

1年時の2002年に高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝に貢献して頭角を現すと、3年時の第83回全国高校サッカー選手権(2004年度)では主将として君臨した。初戦の滝川第二戦で直接フリーキックを決めるなど躍動し、石川県勢初となる全国ベスト4進出の快挙を成し遂げた。

高校卒業後は名古屋グランパスに入団し、その後はオランダのVVVフェンローやロシアのCSKAモスクワ、イタリアの名門ACミランなどで世界を舞台に活躍した。日本代表としては国際Aマッチ98試合37得点を記録し、FIFAワールドカップでは3大会連続(2010年、2014年、2018年)でゴールとアシストを記録。現役選手として世界各国でプレーを続ける傍ら、指導者や実業家としても精力的な活動を展開している。

所属

星稜高等学校(石川県)

生年月日

1986年6月13日

サイズ(身長・体重)

182cm / 74kg

ポジション

MF(トップ下・ボランチ・右ウイング)

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):ガンバ大阪ジュニアユース(摂津市立第四中学校)
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):摂津FC(摂津市立鳥飼北小学校)

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(2002年度・第81回大会):1回戦敗退。1回戦の高知戦に0-1で敗れた。
  • 2年時(2003年度・第82回大会):3回戦敗退。1回戦の遠野戦に2-0、2回戦の鵬翔戦に3-2で勝利し、3回戦で前橋育英に0-4で敗れた。
  • 3年時(2004年度・第83回大会):全国ベスト4(3位)。2回戦の滝川第二戦に4-3、3回戦の熊本国府戦に1-0、準々決勝の前橋商戦に1-0と勝ち上がり、準決勝(2005年1月8日/国立霞ヶ丘陸上競技場)で市立船橋に2-2(PK4-5)で惜敗した。
  • 個人表彰:大会優秀選手(3年時)
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(2002年):3回戦敗退(ベスト16)。1回戦の奈良育英戦に1-1(PK4-2)、2回戦の登別大谷戦に2-1で勝利し、3回戦で国見に0-1で敗れた。
  • 2年時(2003年):1回戦敗退。1回戦で鹿児島実業に1-2で敗れた。
  • 3年時(2004年):2回戦敗退。1回戦の高松商戦に2-1で勝利し、2回戦で前橋育英に0-1で敗れた。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(2002年・第13回大会):全国準優勝。グループリーグを突破し、ノックアウトステージを勝ち上がって決勝進出。決勝で国見に2-4で敗れた。
  • 2年時(2003年・第14回大会):グループリーグ敗退。
  • 3年時(2004年・第15回大会):ベスト8(準々決勝敗退)。準々決勝でサンフレッチェ広島ユースに敗れた。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
  • 1年時(2002年):少年男子(石川県選抜)出場記録確認できず。
  • 2年時(2003年):少年男子(石川県選抜)出場。
  • 3年時(2004年):少年男子(石川県選抜)出場。左サイドバックなどでも起用された。

代表歴

高校時代の代表/選抜歴:石川県国体選抜(2003年、2004年)、日本高校選抜候補、第83回全国高校サッカー選手権大会優秀選手。

【高校時代の代表歴について】

本田は高校時代、世代別日本代表への選出歴はなかったものの、石川県選抜の中心として国体などで異彩を放った。星稜高校3年時には持ち前の高い戦術理解度と左足のキック精度を評価され、国体選抜では本職のボランチやトップ下のみならず左サイドバックとしてもプレーの幅を広げた。

選手権でのベスト4進出と大会優秀選手選出を契機に全国的な注目を一気に高め、高校卒業後の2005年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権(オランダ大会)に出場。2008年には北京オリンピックに出場するなど、アンダー世代のトッププレーヤーへと急成長を遂げていった。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 名古屋グランパス(2005年〜2007年):JFA・Jリーグ特別指定選手を経て加入。
  • VVVフェンロー(2008年〜2009年):オランダ。エールディヴィジ昇格に貢献し、2部MVPを受賞。
  • CSKAモスクワ(2010年〜2013年):ロシア。ロシア・プレミアリーグ優勝、ロシア・カップ優勝。UEFAチャンピオンズリーグでベスト8進出。
  • ACミラン(2014年〜2017年):イタリア・セリエA。伝統の背番号10を背負った。
  • CFパチューカ(2017年〜2018年):メキシコ。FIFAクラブワールドカップ3位。
  • メルボルン・ビクトリーFC(2018年〜2019年):オーストラリア。
  • フィテッセ(2019年):オランダ。
  • ボタフォゴFR(2020年):ブラジル。
  • ポルティモネンセSC(2021年):ポルトガル。
  • ネフチ・バクー(2021年):アゼルバイジャン。プレミアリーグ優勝。
  • FKスードゥヴァ(2021年):リトアニア。
  • パロFC(2024年):ブータン。
  • 通算成績:公式戦通算500試合以上に出場、世界各国のトップリーグで得点を記録。
  • タイトル:ロシア・プレミアリーグ優勝(2012-13)、スーペルコッパ・イタリアーナ優勝(2016)、アゼルバイジャン・プレミアリーグ優勝(2020-21)など。

日本代表(国際Aマッチ)

国際Aマッチ98試合37得点(2008年〜2018年)。2008年6月22日のバーレーン戦でデビュー。2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会(ベスト16、2得点)、2011年AFCアジアカップ(優勝、大会MVP)、2014年FIFAワールドカップブラジル大会(1得点)、2018年FIFAワールドカップロシア大会(ベスト16、1得点)。日本人初となるW杯3大会連続ゴールを達成。

引退後の活動・指導歴・役職

現役プレーヤーを続けながら、カンボジア代表の実質的な監督・GM(2018年〜2023年)を務めた。SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOLをはじめとする育成アカデミーのプロデュース、EDO ALL UNITEDの立ち上げや国内外クラブ経営、投資ファンドの運営など多角的な活動を展開している。

【卒業後のキャリアの総評】

高校卒業後に加入した名古屋グランパスでプロとしての第一歩を踏み出すと、2008年にオランダのVVVフェンローへ完全移籍。欧州での躍進をスタートさせ、エースとしてチームを牽引した。その後移籍したロシアのCSKAモスクワではUEFAチャンピオンズリーグで直接フリーキックを決めるなど大舞台で勝負強さを発揮し、2014年にはイタリアの名門ACミランへ移籍して背番号10を背負った。

日本代表としては中心選手として長年君臨し、2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、2018年ロシア大会とワールドカップ3大会連続でゴールとアシストを記録。大舞台での圧倒的な存在感と勝負強さで日本サッカーの歴史を塗り替えた。

その後もメキシコ、オーストラリア、ブラジル、アゼルバイジャンなど世界各大陸のクラブを渡り歩き、前例のない挑戦を継続。選手としてプレーを続けながら代表チームの指揮官やクラブオーナー、起業家としても手腕を発揮するなど、日本サッカー界において唯一無二のキャリアを歩み続けている。

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