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阿部祐大朗(桐蔭学園)高校サッカーヒーロー列伝

阿部祐大朗_桐蔭学園

阿部祐大朗(桐蔭学園 神奈川県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

183cmの恵まれた体格と懐の深さを誇るポストプレー、そして繊細なボールコントロールでゴール前に君臨した大型ストライカー。1984年10月5日、東京都町田市生まれ。幼少期から卓越した技術と得点感覚を発揮し、中学・高校と神奈川の名門・桐蔭学園へと進学してその才能を開花させた。

高校時代は1年時からメンバー入りを果たし、3年連続で全国高校サッカー選手権に出場した。特にエースとして君臨した3年時の第81回大会では、巧みなキープ力と高い得点力で攻撃を牽引し、同校の全国ベスト4進出に大きく貢献した。高校3年時には横浜F・マリノスの特別指定選手に登録されてJ1公式戦デビューを果たし、中村俊輔からも高い技術を絶賛されるなど超高校級FWとして全国的な注目を集めた。

高校卒業後は横浜F・マリノスへ正式加入し、その後モンテディオ山形、徳島ヴォルティス、ガイナーレ鳥取などでプレーした。世代別日本代表としてもU-17世界選手権や2003年FIFAワールドユース選手権に出場するなど国際舞台を経験。現役引退後はビジネスの世界で活躍しつつ、育成年代への指導などサッカー界とも関わりを続けている。

所属

桐蔭学園高等学校(神奈川県)

生年月日

1984年10月5日

サイズ(身長・体重)

183cm / 73kg

ポジション

FW

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):桐蔭学園中学校
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):町田市内のクラブチーム(東京選抜)

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(2000年度・第79回大会):2回戦敗退。1回戦で奈良育英に3-1で勝利、2回戦で草津東に1-3で敗れた。
  • 2年時(2001年度・第80回大会):1回戦敗退。1回戦で奈良育英に0-3で敗れた。
  • 3年時(2002年度・第81回大会):全国ベスト4(3位)。2回戦で松山工に2-0、3回戦で多々良学園に2-1、準々決勝で鳴門工に1-0で勝利し、準決勝で国見に1-2で敗れた。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(2000年):2回戦敗退。
  • 2年時(2001年):3回戦敗退(ベスト16進出)。
  • 3年時(2002年):神奈川県予選敗退。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(2000年)〜3年時(2002年):本大会上位進出記録は確認できず。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
  • 1年時(2000年)〜3年時(2002年):確認できた出場記録なし。
  • 個人表彰:確認できた記録なし

代表歴

高校時代の代表/選抜歴:2000年U-16日本代表(AFC U-17選手権得点王)、2001年U-17日本代表(2001 FIFA U-17世界選手権出場)、2002年U-19日本代表、2001年・2002年横浜F・マリノス特別指定選手。

【高校時代の代表歴について】

中学時代から年代別日本代表の主軸として活躍し、2000年のAFC U-17選手権では得点王に輝いた。高校2年時の2001年にはFIFA U-17世界選手権(トリニダード・トバゴ大会)に背番号11を着けて出場し、グループリーグ第2戦のクロアチア戦でゴールを記録するなど世界相手に実力を証明した。

高校3年時にはU-19日本代表に選出されつつ、横浜F・マリノスの特別指定選手に承認されて2002年7月13日のJ1リーグ・ジュビロ磐田戦で高校生ながらJ1デビューを果たした。同世代屈指のストライカーとして常に年代別日本代表の最前線を担い続けた。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 横浜F・マリノス(2003年〜2004年):2002年は特別指定選手としてJ1公式戦3試合に出場。2003年・2004年のJ1リーグ連覇を経験。
  • モンテディオ山形(2005年〜2006年):J2で2005年に27試合5得点を記録。
  • フェルヴォローザ石川・白山FC(2007年〜同年7月):北信越1部で11試合4得点。
  • 徳島ヴォルティス(2007年8月〜2008年):J2リーグ27試合2得点。
  • ガイナーレ鳥取(2009年〜2011年):JFL優勝およびJ2昇格に貢献。2011年シーズン終了後に現役引退。
  • 通算成績:J1通算9試合0得点、J2通算75試合8得点、JFL通算54試合13得点、北信越1部通算11試合4得点(国内リーグ戦通算149試合25得点、公式戦通算160試合27得点)。
  • タイトル:J1リーグ年間優勝2回(2003年、2004年・横浜F・マリノス)、JFL優勝(2010年・ガイナーレ鳥取)。
  • 個人表彰:確認できた記録なし

日本代表(世代別代表・国際大会)

2003年FIFAワールドユース選手権(UAE大会)日本代表(背番号11、4試合出場でベスト8進出に貢献)。U-20日本代表通算4試合0得点。

引退後の活動・指導歴・役職

引退後はウェディングプランナーや民間企業勤務を経て、一般企業で活躍する傍ら、FC T.BRUEのテクニカルコーチなどを務め育成年代の指導にも携わっている。

【卒業後のキャリアの総評】

高校卒業後の2003年に横浜F・マリノスへ正式加入。厚い選手層の中で出場機会を争い、2003年と2004年のJ1ステージ優勝および年間完全優勝のチームを経験した。国際舞台では2003年のワールドユース選手権UAE大会に出場し、世界ベスト8入りを果たしたチームで前線を支えた。

2005年にモンテディオ山形へ移籍すると主力としてJ2で5ゴールを記録。その後、地域リーグの石川・白山FCや徳島ヴォルティスを経て、2009年からはガイナーレ鳥取に加入。2010年にはリーグ戦8ゴールを挙げてJFL初優勝と悲願のJ2参入に大きく貢献し、2011年限りで27歳にして現役を引退した。

大柄でありながら足元の柔らかさとポストワークに長けた万能型FWとして、高校サッカー界のみならず世代別代表でも大きなインパクトを残した。引退後はセカンドキャリアを築きながら、自身の豊かな経験を次世代へ還元している。

桐蔭学園(ヒーロー列伝)

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