森岡隆三(桐蔭学園)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
180cmの体格に冷静な判断と正確なビルドアップを兼ね備えた、クレバーな守備が光るストッパー。1975年10月7日、神奈川県横浜市の生まれで、幼稚園の頃からサッカーを始め、桐蔭学園中学校から桐蔭学園高校へ進学した。李国秀監督の下で「高校時代は次のステージに進むための準備期間」という考え方を学び、1年時から全国選手権の舞台に立った。
高校時代の全国選手権では、1年時の第70回大会(1991年度)で1回戦の鵬翔に1-0、2回戦の仙台育英に2-0と勝ち進み、3回戦でこの年の優勝校である国見に1-1の末PK戦で敗れた。2年時の第71回大会(1992年度)も1回戦の佐賀商に5-0で勝利しながら、2回戦で準優勝の山城にPK戦の末に屈した。全国タイトルこそないものの、強豪と渡り合う経験を積み、1994年に鹿島アントラーズへ加入してプロへの道を歩み始めた。
卒業後は清水エスパルスで主力として長くプレーし、1999年にJリーグベストイレブンに選ばれた。日本代表では国際Aマッチ38試合に出場し、2002年W杯ではキャプテンマークを巻いた。引退後は京都サンガU-18やガイナーレ鳥取の監督を経て、現在は清水エスパルスのアカデミーヘッドオブコーチングとして育成に関わっている。
所属
桐蔭学園高等学校(神奈川県)
生年月日
1975年10月7日
サイズ(身長・体重)
180cm / 71kg
ポジション
DF(センターバック)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):桐蔭学園中学校(1988年進学)
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):確認できた記録なし(幼稚園の頃からサッカーを始めたとの記録あり。所属チームの詳細は要確認)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1991年度・第70回大会):3回戦敗退。1回戦の鵬翔戦に1-0、2回戦の仙台育英戦に2-0で勝利したが、3回戦の国見戦は1-1の末PK戦0-3で敗れた(国見はこの年の優勝校)。
- 2年時(1992年度・第71回大会):2回戦敗退。1回戦の佐賀商戦に5-0、2回戦の山城戦は1-1の末PK戦3-4で敗れた(山城はこの年の準優勝校)。
- 3年時(1993年度・第72回大会):確認できた出場記録なし(第72回大会の試合結果・主な出場選手に桐蔭学園の記録は見つからず。大会の優勝は清水市商)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1991年)〜3年時(1993年):確認できた出場記録なし(この期間の全国優勝は清水東、徳島市立、国見)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1991年):第2回大会。出場記録は確認できない。
- 2年時(1992年)〜3年時(1993年):第3回/第4回大会と開催されたが、桐蔭学園の出場記録は確認できない。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1991年)〜3年時(1993年):確認できた出場記録なし。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:確認できた記録なし(要確認)。
【高校時代の代表歴について】
森岡の高校時代の代表/選抜歴として確認できる記録は得られていない。桐蔭学園では李国秀監督の下で、高校時代を「大学や社会人、プロなど次のステージへ進むための準備期間」と捉える姿勢を学んだと本人が後に語っており、全国タイトルこそないものの、この時期の積み重ねがプロへの土台となった。
卒業後にはU-20日本代表として1995年FIFAワールドユース選手権に出場した記録が残る(チーム成績の詳細は要確認)。1999年3月に日本代表デビューを果たすと、2000年のAFCアジアカップ優勝やシドニーオリンピック、2001年のFIFAコンフェデレーションズカップ準優勝を経て、2002年W杯ではキャプテンマークを巻くまでになった。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 鹿島アントラーズ(1994年〜1995年):高校卒業後に加入。1994年の後期ステージにリーグ戦1試合出場。
- 清水エスパルス(1995年〜2006年):1995年にレンタル移籍し、1996年に完全移籍。在籍中にJ1・2ndステージ優勝(1999年)と天皇杯優勝(2001年)を経験した。
- 京都サンガF.C.(2007年〜2008年):キャプテンとしてチームを率い、J2優勝(2007年)によるJ1復帰に貢献。2008年にJ1残留を決めて現役引退した。
- 通算成績:J1リーグ285試合9得点、J2リーグ22試合1得点。
- タイトル:J1・2ndステージ優勝(1999年、清水エスパルス)、天皇杯優勝(2001年、清水エスパルス)、J2リーグ優勝(2007年、京都サンガF.C.)。
- 個人表彰:Jリーグベストイレブン(1999年)、Jリーグ功労選手賞(2009年)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ38試合0得点(1999年3月にデビュー)。2000年AFCアジアカップ優勝、2000年シドニーオリンピック(オーバーエイジ枠でキャプテン、ベスト8)、2001年FIFAコンフェデレーションズカップ準優勝、2002年FIFAワールドカップ日本代表(キャプテン。開幕戦のベルギー戦に出場したが、負傷により以後の試合を欠場した)。1995年FIFAワールドユース選手権(U-20日本代表)。
引退後の活動・指導歴・役職
引退後にS級指導者ライセンスを取得し、京都サンガF.C.のコーチ、佐川印刷京都のヘッドコーチ、京都サンガU-18監督、ガイナーレ鳥取の監督を歴任。現在は清水エスパルスのアカデミーヘッドオブコーチングとして育成年代に関わり、解説者としても活動している。
【卒業後のキャリアの総評】
森岡のプロキャリアは、1994年の鹿島アントラーズ加入から始まった。出場機会に恵まれない時期を経て1995年に清水エスパルスへレンタル移籍し、翌1996年に完全移籍。アルディレス監督の下で成長を続けた森岡は、清水のセンターラインに12シーズンにわたって立ち続け、1999年にはJ1・2ndステージ優勝とJリーグベストイレブン獲得を果たした。2001年には天皇杯優勝も経験している。
日本代表では1999年3月にデビューすると、2000年のAFCアジアカップ優勝に貢献。シドニーオリンピックではオーバーエイジ枠でキャプテンを務めてベスト8進出に導き、2001年のFIFAコンフェデレーションズカップでは準優勝を果たした。2002年W杯では日本代表のキャプテンマークを巻いたが、開幕戦のベルギー戦で負傷し、地元開催の大舞台を途中で去る無念を味わった。
2007年にはJ2の京都サンガF.C.へ移ると、キャプテンとしてチームをJ1復帰へ導き、2008年のJ1残留を決めて現役を引退した。引退後は指導者の道へ進み、京都サンガU-18やガイナーレ鳥取の監督を経て、現在は清水エスパルスのアカデミーヘッドオブコーチングとして育成年代に関わっている。李国秀監督から学んだ「次のステージへの準備」という姿勢は、選手時代から指導者時代まで一貫して森岡の軸となっている。
























