今野泰幸(東北 宮城県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
驚異的な危機察知能力と鋭い出足のボール奪取、正確なビルドアップで中盤と最終ラインを支えた守備のスペシャリスト。1983年1月25日に宮城県仙台市で生まれ、上野山FC、仙台市立山田中学校を経て東北高校へと進学した。高校入学時は特待生ではなく一般受験での入部であったが、たゆまぬ努力と高いサッカー理解力で頭角を現し、チームの中心選手へと急成長を遂げた。
2年時には高校総体(インターハイ)に出場し、主将を務めた3年時には第79回全国高等学校サッカー選手権大会でチームを牽引した。初戦となった2回戦の広島皆実、3回戦の明徳義塾と強豪を破って東北高校史上最高成績となる全国ベスト8進出を果たし、自身も大会優秀選手に選出された。その屈強な守備力とキャプテンシーは全国の舞台で高い評価を集めた。
高校卒業後はコンサドーレ札幌へ入団し、FC東京、ガンバ大阪、ジュビロ磐田などで数々のタイトル獲得に貢献した。日本代表としてもFIFAワールドカップに2大会連続で出場し、国際Aマッチ通算93試合4得点を記録。晩年も南葛SCなどでプレーを続け、日本を代表する名ボランチ・センターバックとして長く第一線で輝きを放った。
所属
東北高等学校(宮城県)
生年月日
1983年1月25日
サイズ(身長・体重)
178cm / 73kg
ポジション
MF(守備的MF) / DF(センターバック)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):仙台市立山田中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):上野山FC(仙台市立上野山小学校)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1998年度・第77回大会):宮城県予選敗退(宮城県代表は仙台育英)
- 2年時(1999年度・第78回大会):宮城県予選敗退(宮城県代表は東北学院)
- 3年時(2000年度・第79回大会):全国ベスト8進出。初戦の2回戦で広島皆実に2-0、3回戦で明徳義塾に2-1で勝利し、準々決勝で富山第一に0-1で敗れた。
- 個人表彰:第79回大会 優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1998年):宮城県予選敗退(宮城県代表は仙台育英)
- 2年時(1999年):全国大会1回戦敗退。1回戦で久御山(京都)に0-1で惜敗した。
- 3年時(2000年):宮城県予選敗退(宮城県代表は仙台育英)
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1998年)〜3年時(2000年):本大会進出記録なし
- 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
- 1年時(1998年)〜2年時(1999年):確認できた出場記録なし
- 3年時(2000年・第55回富山国体):宮城県選抜(少年男子)のメンバーとして出場。
- 個人表彰:確認できた記録なし
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:宮城県選抜(2000年国体)、高校選手権優秀選手(2000年度)
【高校時代の代表歴について】
高校時代の今野は、全国的な年代別代表の常連ではなく、地域選抜や大会優秀選手としての選出が中心であった。高校3年時には宮城県選抜の一員として富山国体に出場し、第79回高校サッカー選手権大会でのベスト8進出によって大会優秀選手に名を連ねた。
卒業直前の2001年から本格的に頭角を現し、プロ入り後にU-20日本代表としてFIFAワールドユース(現U-20W杯)に出場。以降は各年代の日本代表で主力を張り、2004年アテネオリンピック出場やフル代表への定着へとステップアップしていった。
卒業後の進路
プロ・社会人
- コンサドーレ札幌(2001年〜2003年)
- FC東京(2004年〜2011年):ナビスコカップ優勝(2004年、2009年)、J2リーグ優勝(2011年)、天皇杯優勝(2011年)
- ガンバ大阪(2012年〜2019年):J2リーグ優勝(2013年)、J1リーグ優勝・ナビスコカップ優勝・天皇杯優勝の国内3冠(2014年)、天皇杯優勝(2015年)
- ジュビロ磐田(2019年〜2021年)
- 南葛SC(2022年〜)
- タイトル:J1リーグ優勝(2014年)、J2リーグ優勝(2011年、2013年)、Jリーグカップ優勝(2004年、2009年、2014年)、天皇杯優勝(2011年、2014年、2015年)
- 個人表彰:Jリーグベストイレブン(2014年)、Jリーグ優秀選手賞5回(2004年、2005年、2009年、2010年、2014年)
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ93試合4得点(2005年〜2017年)。2005年8月3日の中国戦でデビュー。2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会(ベスト16)、2014年FIFAワールドカップブラジル大会、AFCアジアカップ2011(優勝)などに出場。U-23日本代表としてアテネ五輪出場。
引退後の活動・指導歴・役職
現役選手として南葛SCでプレーを継続中(現役選手)。
【卒業後のキャリアの総評】
高校卒業後の2001年にコンサドーレ札幌へ加入すると、ルーキーイヤーから出場機会を掴み、守備的MFとして高い評価を獲得した。2004年にFC東京へ移籍すると守備の要としてナビスコカップ制覇に貢献し、センターバックとボランチをハイレベルでこなす万能守備職人としてリーグ屈指の地位を確立した。
2012年にはガンバ大阪へ移籍し、2014年にはJ1昇格初年度での国内3冠(J1リーグ、ナビスコカップ、天皇杯)達成に大きく貢献してJリーグベストイレブンに選出された。ジュビロ磐田を経て南葛SCへ移籍後も第一線でプレーを続け、ピッチ内外で高い存在感を示している。
日本代表としても2010年南アフリカW杯、2014年ブラジルW杯と2大会連続でメンバー入りを果たし、2011年のAFCアジアカップ制覇にも貢献。国際Aマッチ93試合出場の偉業を成し遂げた。派手さはなくとも常にチームの勝利のために汗をかき、決定的な場面でピンチを摘み取るプレースタイルは、日本のサッカー界に多大な足跡を残した。



















