鬼木達(市立船橋 千葉県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
市立船橋高校の黄金期を中盤から支え、相手ディフェンスを鋭く切り裂くドリブルと泥臭い守備力を武器に活躍したアタッカー。千葉県船橋市出身で、船橋FC、船橋市立習志野台第二小学校、船橋市立坪井中学校を経て、布啓一郎監督率いる名門・船橋市立船橋高校へ進学した。同期には水野淳や鈴木潤、1学年上には高田昌明や和田潤、2学年上には永田崇らが揃う充実の陣容の中で研鑽を積んだ。
2年時の1991年度にはレギュラーとして第70回全国高校サッカー選手権大会に出場。準々決勝の室蘭大谷戦で自らゴールを奪うなど攻撃の核として躍動し、チームの全国ベスト4進出に大きく貢献した。準決勝の帝京戦では終盤の逆転を許し惜敗したものの、その高い戦術眼と局面打開力は全国に強烈なインパクトを残した。3年時の1992年にはインターハイで快進撃を見せ、3回戦の中京戦でゴールを挙げるなど主力として全国準優勝を果たした。
高校卒業後は1993年にJリーグの鹿島アントラーズへ加入し、ジーコら世界的名手とともにプレー。その後は川崎フロンターレの主力ボランチとしてチームのJ1昇格や定着を牽引した。現役引退後は指導者へ転身し、2017年から川崎フロンターレの監督としてJ1リーグを4度制覇するなど計7つの主要タイトルを獲得。高校時代に培った球際の激しさと戦術眼を土台に、日本を代表する名将へと上り詰めた。
所属
船橋市立船橋高等学校(千葉県)
生年月日
1974年4月20日
サイズ(身長・体重)
168cm / 66kg
ポジション
MF(ミッドフィールダー、攻撃的MF/ボランチ)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):船橋市立坪井中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):船橋FC、船橋市立習志野台第二小学校
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1990年度・第69回大会):ベンチ入り・出場なし(チームは1回戦で高松商に2-0で勝利、2回戦で清水商に1-1 PK6-7で敗退)。
- 2年時(1991年度・第70回大会):全国ベスト4(3位)。2回戦の山口戦に3-2、3回戦の徳島市立戦に1-0、準々決勝の室蘭大谷戦に2-1(鬼木が1得点)、準決勝の帝京戦に1-2で敗退。鬼木は主力として全試合に出場した。
- 3年時(1992年度・第71回大会):県予選準々決勝敗退(千葉県予選準々決勝で東海大浦安に0-0 PK戦で敗退し本大会出場を逃す)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1990年):登録メンバー外(チームは1回戦で佐賀北に2-0、2回戦で北陽に0-0 延長0-1で敗退)。
- 2年時(1991年):全国ベスト4。2回戦で初芝に3-1、3回戦で丸岡に2-0、準々決勝で高松商に3-1で勝利し、準決勝で清水東に1-1 延長0-1で惜敗。
- 3年時(1992年):全国準優勝。2回戦で富山第一に1-0、3回戦で中京に2-1(鬼木が1得点)、準々決勝で宇都宮学園に3-0、準決勝で国見に2-1と勝ち上がり、決勝で徳島市立に0-1で敗退。鬼木は全試合に出場。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1990年)〜3年時(1992年):市立船橋の本大会出場・上位進出記録は確認できず。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1990年)〜3年時(1992年):千葉県選抜としての登録出場記録は確認できず。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:確認できた記録なし。
【高校時代の代表歴について】
鬼木は高校時代、世代別日本代表などの公的な選抜歴こそ目立たなかったものの、布啓一郎監督が率いる市立船橋の強烈なプレッシングサッカーの中核として、同世代屈指の技術力と状況判断力を高く評価されていた。当時、同級生の水野淳や1学年上の高田昌明らが脚光を浴びる中、鬼木は局面打開の切り札としてピッチ上で決定的な働きを見せていた。
全国の舞台で見せた高い戦術眼とインテンシティの高さはJリーグ関係者の強い注目を集め、高校卒業後の1993年にJリーグ開幕を迎えた名門・鹿島アントラーズへのプロ入りを果たす原動力となった。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 鹿島アントラーズ(1993年〜1997年、1999年):Jリーグ優勝(1996年)、天皇杯優勝(1997年)、ナビスコカップ優勝(1997年)。
- 川崎フロンターレ(1998年、2000年〜2006年):1998年は期限付き移籍。J2リーグ優勝(2004年)とJ1復帰に貢献。2006年に現役引退。
- 通算成績:J1リーグ通算49試合2得点、J2リーグ通算111試合0得点、JFL通算27試合1得点、カップ戦通算19試合1得点、天皇杯通算23試合1得点。
- タイトル:Jリーグ優勝(1996年、鹿島アントラーズ)、天皇杯優勝(1997年、鹿島アントラーズ)、ナビスコカップ優勝(1997年、鹿島アントラーズ)、J2リーグ優勝(2004年、川崎フロンターレ)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ出場なし。
引退後の活動・指導歴・役職
2007年に川崎フロンターレの育成・指導スタッフに就任。U-12コーチ、U-18コーチ(2008年〜2009年)を経て、2010年から2016年までトップチームコーチを務める。2017年から2024年まで川崎フロンターレのトップチーム監督を務め、J1リーグ優勝4回(2017年、2018年、2020年、2021年)、天皇杯優勝2回(2020年度、2023年度)、ルヴァンカップ優勝1回(2019年)、スーパーカップ優勝3回を達成。J1優秀監督賞を4回受賞。2025年シーズンより鹿島アントラーズの監督に就任。
【卒業後のキャリアの総評】
高校卒業後、1993年に鹿島アントラーズへ入団した鬼木は、名手ジーコやレオナルド、アルシンドらと日常を共にし、勝者のメンタリティとプロの基準を身体に叩き込んだ。その後、出場機会を求めて1998年に川崎フロンターレへ期限付き移籍し、2000年からは完全移籍で加入。中盤の汗かき役としてチームを支え、2004年のJ2制覇とJ1復帰にキャプテンシーを発揮して大きく貢献した。
現役引退後は川崎フロンターレで指導者の道を歩み始め、育成年代の指導を経てトップチームコーチを長年担当。2017年にトップチーム監督に昇格すると、就任初年度にクラブ史上初となるJ1リーグ優勝を成し遂げた。その後も圧倒的なポゼッションとハイプレスを融合させたスタイルを進化させ、在任8年間で主要タイトル7冠という黄金時代を築き上げた。
高校時代に布監督のもとで徹底的に磨かれた走力、規律、戦術的柔軟性は、選手としての泥臭いプレースタイルのみならず、現代Jリーグを代表する指揮官としての手腕の確固たる土台となった。



























